北斗市郷土資料館では、2019年以降、日本で最初に築かれた星形稜堡式城郭である国指定史跡・松前藩戸切地陣屋跡の真価を確かめるべく調査・研究を進め、その最新成果の進捗を各年度ごとに特別展「松前藩戸切地陣屋展」として皆様にお伝えしてまいりました。
今回は、安政2年(1855年)から数えて築城170年にあたるメモリアルイヤーの開催となります。これを記念して、過去7年間の研究の研究の集大成として、かつての認識をはるかに超えた、日本最初にして唯一の「19世紀洋式軍学を忠実に実践した砲戦防衛拠点」としての戸切地陣屋のすがたを、パネル・ジオラマ・模型などを駆使してご紹介します。

日時
- 令和7年11月15日(土曜日)から令和8年3月6日(金曜日)まで
- ※年末年始(令和7年12月29日から令和8年1月3日まで)および毎週月曜日は休館です。月曜日が休日の場合は翌火曜日が休館となります。
- 9時 から 17時 まで
会場
- 北斗市郷土資料館 特別展示室(北斗市総合分庁舎 どり~みん 2階)
入場料
- 無料
「国史跡・松前藩戸切地陣屋跡」について
幕末から明治へと激動する歴史のせつな、「城」がその役割を大きく変えそして終えていく時代の夜空の中、道南を中心にまたたいた五稜郭をはじめとする「星形」の城たち。
その中でも日本で最も古く、今なお清川・野崎の丘に当時の姿をのこすのが「国指定史跡・松前藩戸切地陣屋跡」です。日本の星形城郭の代表格である五稜郭の竣工に先立つこと11年、安政2年(1855年)に当時の松前藩主・松前崇広の命のもと築かれたこの城の設計を担当したのは、五稜郭の設計者・武田斐三郎とともに同期同門として当代随一の洋学者・佐久間象山の元で欧州軍事を学んだ藤原主馬でした。
これまであまり知られてこなかったこの稀有な星の城の姿を皆様にお伝えしたく、最初の「戸切地陣屋展」を開催したのが5年前、2019年のことでした。
同時に、これまで100数十年以上の間ほぼ手付かずであったといっても過言ではない戸切地陣屋の「城」としての真価とそれをとりまく人々のドラマと歴史の流れを探るべく、再評価に向けた調査・研究も並行して続け、毎年度の開催ごとにその時々の最新成果を反映させてまいりました。
これまで続けてきた調査研究により、戸切地陣屋の星形本陣の規則的かつ幾何学的な構造は、ヨーロッパで編み出され磨かれ進化した対砲戦に特化した城郭の築き方=稜堡式築城術に間違いなく基づくものであり、昨年度の研究でその基礎となった教本もほぼ特定できました。これは、戸切地陣屋がただ星形というだけではなく、幕末日本の洋学伝習のあり方を物的証拠として現在に伝える極めて貴重な土木建築であることも意味します。
また、星形の本陣だけでなく、これが位置する「野崎の丘」の地形を生かした空間配置と備えられていた大砲の性能などから生み出される防衛構造は、19世紀当時のヨーロッパにおいて発達した「大砲での戦い」を前提とした軍学教本において、「有利に戦いを進めるためのポイント」として記された各種の条件をことごとく満たしていることもわかったのです。
これを、国内のあらゆる例に先んじて築き、なおかつ100数十年の時を経てなお今日まで非常に良好な状態でその姿を残し続けている戸切地陣屋のもつ歴史的価値は、かつてわれわれが抱いていたイメージをはるかに超えたものであるといえるでしょう。
これに加え、今回の一連の研究では、より正しく戸切地陣屋のあり方に迫るべく、これまで日本国内においてほぼ全くといっていいほど行われていなかった「稜堡式城郭そのものの350年に渡る歴史とその変遷・背景」についても、ヨーロッパにおける軍事史の整理や、世界83か国・1005か所に渡る稜堡式城郭の実例についてのデータ収集と分析によって明らかにしました。この日本で初めてとなる試みは、今後戸切地陣屋だけではなく、他の洋式城郭・洋式台場の実態解明に役立てられることでしょう。その成果の一端も、本展示で紹介しています。
以上の研究成果につきましては、2024年および2025年に発刊した北斗市郷土資料館紀要第1号・第2号において論文として所収しています。同紀要は現在、国立奈良文化財研究所のデータベースサイトである「全国文化財総覧」に登録されています。下記リンクよりアクセスならびにPDF形式にて閲覧・ダウンロードが可能ですので、よろしければご参照下さい。
>>>北斗市郷土資料館研究紀要第1号へのリンク<<<
>>>北斗市郷土資料館研究紀要第2号へのリンク<<<
また、会場でも配布しておりますが、戸切地陣屋について簡単に解説したミニパンフレットも作成しております。下記リンクよりご参照ならびにダウンロード下さい。
>>>戸切地陣屋ミニパンフレット「戸切地陣屋の5W1H」 (PDF 3.2MB)<<<
ミニギャラリー:今年度の「松前藩戸切地陣屋跡展」について
- 今回の展示では、各テーマごとにタイトルの横にミニポスターを配置し、それぞれの内容が、7年間の研究のうちどの年度の成果にもとづくものかわかるようにしています。

(1)「稜堡式」の歴史と「稜堡式城郭」としての戸切地陣屋本陣

戸切地陣屋の星形本陣、その大きな特徴である砲台が位置するひし形の堡塁、「稜堡」。
この稜堡の歴史的な成り立ちと機能、そしてその観点から見た戸切地陣屋本陣の防衛能力とその機能について、パネルおよび本陣ジオラマで解説しています。
特に今回展示する「世界各国の稜堡式の分布地図」「形状(かたち)ごとの稜堡式の分類とその比率」「グラフでみる稜堡式のはじまりからピーク、そして終焉まで」のデータは、北斗市郷土資料館が試みた「世界全体の稜堡式城郭の情報収集と分析」によって世界で初めて明らかとなった貴重なデータとなります。
(2)「星形」のルーツをたどる

戸切地陣屋本陣は現在設計図がのこっていません。しかし、設計図をもとに作られた遺構はのこっています。
─であれば、遺構の「かたち」を分析すれば逆に設計図が復元可能なのではないか─そうした逆転の発想から導き出されたのは、戸切地陣屋設計の基礎となる「一辺200mの正方形とそれを基準とした幾何学的図形」でした。
そして、さらなる研究の結果、この正多角形を基準にした幾何学的設計は17世紀フランスにその原点をもち、以降19世紀まで受け継がれた理論であることがわかったのです。
さらに、19世紀幕末日本において戸切地陣屋の設計者である藤原主馬がこの理論を学んだ方法、そのルーツとなる洋式軍学教本も特定し、その内容と戸切地陣屋の形状・寸法・角度などを照合していったところ、驚くほどの一致を見せることがわかりました。ここに、ヨーロッパで連綿と伝えられ磨かれてきた理論と、ここ北斗にのこる戸切地陣屋とが、世界の壁を越えてつながったのです。
(3)戸切地陣屋砲台が示す「砲戦の時代」

戸切地陣屋の構造が洋式軍学教本と一致する部分は、空から見た形=平面的なものだけではありません。
相手の強烈な砲撃から内部を守るために幾何学的な計算から導き出された壕・土塁からなる外郭など、立体的な構造も理論に忠実かつ堅牢につくられていることが、教本との照合から確認することができます。
特に、当時ヨーロッパが突入していた「砲戦の時代」の防御のかなめとなる砲台の構造は、教本においてその運用に必須とされた三つの要素を全て備えるだけでなく、構造も忠実につくられていることがわかりました。これは国内における陸戦砲台においては極めてまれな事例であり、また当時との構造的な一致まで確認されたのは国内初となるほか、土塁でつくられた砲台として当時の構造に忠実な姿のまま現代まで保存されている例は、世界でも極めてまれです(少なくとも今回の研究において確認した世界732の現存例の中では他に類例はみつからず、戸切地陣屋だけでした)。
このコーナーでは、パネルに加え当時の大砲の模型、および砲台の構造を復元したモデルを展示し、そのしくみについて解説しています。
(4)「野崎の丘」に展開した洋式砲戦防衛構造

こうした当時の洋式砲戦に必須の条件を全て満たした砲台からの砲撃は、攻め手が本陣を目指すために通らなければならないルート=崖と沢に両側をはさまれた長く緩やかな緩斜面を全て射程内におさめるものでした。つまり、この本陣と砲台の配置と野崎の丘の地形条件は、守る側にとって「絶対的な優位」を作り出すように計算されていたのです。
そして、こうした戸切地陣屋がそなえる「砲戦において有利な地形の条件」も、洋式軍学の教本に示されたものとことごとく一致するものでした。つまり、戸切地陣屋はただ本陣だけを洋式の星形につくっていたのではなく、当時日本のはるか先を進んでいた諸外国とも砲戦で渡り合うべく、彼らの理論を取り入れて「野崎の丘」全体に広く展開された砲戦防衛拠点だったのです。そして、こうした19世紀当時の人々が目指した「世界と渡り合うための陣地」を当時の理論に忠実につくりあげた広域な構造を、「野崎の丘」「アナタヒラの崖壁」といった「防衛のための」地形と組み合わせた歴史的景観として、現代でも「目に見える」姿で体感できる遺跡は、日本では戸切地陣屋をおいてほかにない、といえるでしょう。
…などなど、会場ではこの7年間継続して行われた最新の研究の成果によって明らかになった、これまで謎につつまれていた「戸切地陣屋のほんとうのすがた」、そしてそれが持つ極めて貴重な歴史的価値と意義について、パネル・ジオラマなどを駆使して解説・紹介しています。ぜひご来場ください。
関連イベントについて
今回の戸切地陣屋築造170周年記念の関連イベントとして、
- 特別展を会場で学芸員が直接解説するミュージアムトーク
- これまでの戸切地陣屋研究の成果をお話しする座学講座
の開催を会期半ば、2026年1月から2月に予定しております。
これらの日程等の情報については、決定しだい北斗市ホームページにてお知らせいたします。
