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【平成30年度】青少年の主張

北斗市青少年育成大会が平成30年10月13日(土)、総合文化センターかなで~る大ホールで行なわれました。

大会では、「まちを元気に これから私たちができること ~次の10年に向かって~ 」をテーマに、市内小中学校、高校から選出された10名の青少年が主張しました。北斗市の未来や、これからの北斗市への提言、そして今後の自分の未来、身近な人との心のつながりなどに対する、率直で熱い思いを発表しました。 

  1.竹原 悠亜 さん(茂辺地小学校6年)『10年後も、住み続けたいまちにするために』
  2.印牧 和奏 さん(上磯小学校6年)『夢を現実に』
  3.赤前 愛音 さん(沖川小学校6年)『みんなの笑顔でより良い北斗市に』
  4.小野寺 佑菜 さん(浜分小学校6年)『災害からの学び』
  5.藤田 裕佑 くん(島川小学校6年)『住んでいる人も、来てくれる人も健康で元気にしたい』
  6.鈴木 綴心 くん(大野小学校6年)『北斗市の未来に向かって』
  7.八木橋 洋子 さん(石別中学校3年)『私が感じる北斗市の魅力』
  8.本間 汐凜 さん(浜分中学校3年)『北斗市の未来』
  9.水島 宗人 くん(大野農業高校2年)『農業の今とこれから』
10.伊藤 美那 さん(函館水産高校3年)『本当の貧しさとは』

1. 竹原 悠亜 さん『10年後も、住み続けたいまちにするために』

   今年の5月5日、茂辺地にある北斗星広場で、桜の木を植樹し、その下にタイムカプセルを埋める催しがありました。私たちも15年後の自分に手紙を書きました。成人した私たちは、どんな大人になっているのだろう。北斗市は、どんな変化をとげているのだろう。友達といろいろなことを想像し、話が盛り上がり、15年後、北斗星広場に集合することを約束しました。
 私が理想とする未来の北斗市は、住んでいる人が、北斗市のことが大好きで、ずっと北斗市に「住み続けたい」と思える町です。そのために、その「住み続けたい」にするために、私は3つのことを考えました。
   まず1つ目は、北斗星広場に、「北斗農園」をつくり、北斗のみんなで野菜を育てる活動です。トマトやキュウリ、トウモロコシなど、野菜づくりが初めての人も、プロの農家の方に教えてもらえれば、安心です。草とり、水やりなどは、定期的に集まれば、交流も深まります。収穫したら、広場にある地域食堂「北斗軒」で調理し、大収穫祭でいただきます。寝台列車、北斗星を見に来る方も足を運んでもらえたら、盛り上がると思います。
    2つ目は、子供おあずかりサービスです。仕事があるため、放課後は子供が一人きりになってしまうという人のために、茂辺地にある住民センターを開放します。お世話をしてくださるのは、地域の高齢者の方です。子育てのベテランの方なら、安心して子供を任せられます。昔の遊びを教えてもらったり、紙芝居を読んでもらったり、一緒におやつを作るのも楽しそうです。
    3つ目は、ミニスーパーを開くことです。
  「茂辺地の人は一人ぐらしの方が多く、日々の買い物が大変なんだよ」という話を祖母から聞いたことがあります。頼まれたものを購入してあげるのも良いですが、実際に品物を手にとって買い物をしてもらいたいと思うので、月に1度でもそういうイベントがあると、住んでいる人の楽しみにもなるし、くらしも楽になるのではないでしょうか。
   今年の運動会で私たちは地域の方に「茂別音頭」を教えていただき、すっかり仲良くなり、登下校の時も、笑顔であいさつをするようになりました。何より、本番で、地域のみなさんと大きな輪をつくり踊ったときの、はちきれるような笑顔は、忘れることができません。住んでいる人が、毎日笑顔で語り合い、ふれあうことが、1番大事なことだと思います。
   15年後タイムカプセルを開ける日、北斗市も茂辺地も、今よりもっと元気な街になっていることを信じています。そして大人になった仲間たちと、さらに未来について語り合えるのを楽しみにしています。

2. 印牧 和奏さん『夢を現実に』

   皆さんの夢は、何ですか?世の中は、たくさんの夢であふれています。私の夢は、臨床心理士になることです。それと、あともう1つの夢が、私にはあります。それは、
「北斗市を、北海道に誇れる都市にする!」
ことです。私は最近、新聞を読むようになりました。気がつけば、いろんな記事の中から、気になるものを見つけては「北斗市は?」という疑問が頭の中にうかぶようになりました。
   私が気になったのは、人口減少や少子高齢化のことです。北斗市では1990年代前半の、いわゆるバブル経済期をのぞいて、人口増加が続いていましたが、平成17年に最も多い人口に達して以来、人口減少が続いています。特に、高校卒業後の進学や就職などの移動が考えられる15歳~19歳は、函館や札幌への移動が他の年齢層よりも高くなっていることが分かりました。私は、この状況を、どうにかしたいと考えています。
   そこで私は、目指すべき北斗市の未来とは何なのか、人口が減少すると、どんなデメリットがあるかを考えてみました。私が考えたことは、特に若い人が減っているわけですから、子供の出生率が下がり、少子高齢化につながるということです。他にも、税収が下がる、地域の産業に活気がなくなるなど、人口減少はこれからの北斗市の「まちづくり」に支障をきたします。
   では、私たちにできることは何でしょうか?私はそのことについて2つ考えました。1つ目は、北斗市の良さを見つめ直すことです。皆さんは、北斗市の良いところを4つ以上答えることができますか?私は、北斗市の魅力に気付いていない人は多いのではないかと感じています。北斗市には、歴史がたくさんつまってます。他にも、美しい自然にあふれていて、おいしい食べ物もいっぱいあります。まずは北斗市の良さに気付くことが、「まちづくり」への第一歩です。
    2つ目は、人とのつながりを大事にすることです。私は、人とのつながりを、すごく大切にするべきではないかと考えています。産業だけが、地域を活性化させるわけではありません。思いやりや、温かい心をもつことも、すごく大切なことではないでしょうか。今の北斗市にないものばかりを求め続けるのではなく、今の北斗市にあるものの良さを取り入れて新しいものを作っていきたい、そう私は考えています。
   まずは、皆さんが北斗市を好きになる努力をしてみてください。そうすれば、「北海道に誇れる北斗市」に少しずつ近づいていくことができます。私は、この夢を、夢のままで終わらせたくはありません。人と人とのつながりにあふれていて、いつも地域の人たちが、ニコニコ笑っている・・・。それが私の目指す未来の北斗市です。
   最後まで聞いていただきありがとうございました。

3. 赤前 愛音 さん『みんなの笑顔でより良い北斗市に』

   私たちが、これからの北斗市をより良くするためにできることは、小さなことから大きなことまでたくさんあると思います。今日は、私が考えた北斗市をより良くするためにできることを発表します。
   一番に大切なことは、「北斗市に住んでいる私たちが、楽しく、仲よくなること」だと、私は考えています。
   そのために、まず1つ目として、しっかりあいさつし、他の人と接することを大事にしたいです。あいさつは、朝、昼、晩、いつでもどこでも必要なことだと思います。あいさつをするという、1つの小さな行動で、この北斗市に笑顔が増えたり、すがすがしい気持ちが広がったりすると思います。あいさつは、小さな子どもから大人まで、みんなができることです。だから、みなさんも、笑顔をより増やすため、北斗市をよりよくするために、あいさつを積極的にしてみてください。
   2つ目は、ボランティア活動や地域の行事に参加してみるということです。私たち沖川小学校は、毎年、校区のゴミ拾いや交通安全旗の波運動に参加しています。この活動は、他の人との交流や、北斗市の環境を守るということにつながっていると思います。
   毎日の仕事や家事で忙しいお父さん、お母さんも、休日などに家族で一緒に少しでもゴミ拾いなどのボランティア活動をしてみるというのはどうでしょうか。
   前は、沖川小学校の子供会でやっていたゴミ拾いですが、今は、小中連携の活動として、沖川小学校を卒業した上磯中学校の先輩たちと一緒に、そして子供会としてお父さんとお母さんも参加してくれて、一緒に行なっています。いろいろな人と一緒にやると、楽しさも感じます。自分の家族と一緒だと、ゴミ拾いも楽しいかもしれません。少しでもかかわることで、日々を気持ちよく過ごせるし、一緒に地域の人と接することで、お互いの顔を覚えたり、声をかけ合ったりできるのではないでしょうか。地域の中で一緒に、地域のことを少しでも考えて、興味をもってくれると、私はうれしいです。
   3つ目は、小さなことでも気をつかってみるということです。沖川小学校では、信号をわたりおわったあと、待ってくれた車に必ず礼をします。そういった小さなことも北斗市をよりよくするということにつながると思います。このことだけでなく、落とし物を拾ってあげたり、少しでも会話してみたり、素直にありがとうと言ってみるだけでだいぶ変わるものです。自分たちがまいた小さな心づかいの種が「北斗市をよりよくする」という大きな木になるのです。
   最後に、私が一番大切だと思うのは、笑顔です。みなさんは、だれかの笑顔にいやされたり、はげましてもらったという経験はありませんか。私はテストで悪い点を取ってしまったとき、友達に「だいじょうぶ。次、次」と言ってもらったことがあります。そのとき、なんだか明るい気持ちになり、次はがんばろうと思えました。このように、笑顔には魔法のような力があります。1つの行動に笑顔をつけたすだけで、印象が大きく変わります。他の市や地区から来た人に笑顔であいさつするだけで、「ここの人たちはみんな明るくて、すてきな所だな」と思ってもらえるかもしれません。みなさんも勇気を出して、人と笑顔で接してみませんか。
   今私が発表した4つのことは、どれも特別なことではないのですが、皆さんと考えたらもっといいアイディアがたくさん出てくると思います。当然、考えるだけでなく、それを実行することが大切です。
   こつこつと積み上げること、北斗市に住むみんなが楽しく、仲よくなれること、私は、挨拶や笑顔をこれからも続けていこうと考えています。
   ご静聴ありがとうございました。

4. 小野寺 佑菜さん『災害からの学び』

   みなさんは、普段から災害のことをよく考えますか。
   私は、つい最近まで、災害に対して全く気にもとめず、自分には関係ないと気楽に過ごしていました。しかし、楽しみにしていた9月の修学旅行の1週間前のことです。私たちの住む北海道を台風と大きな地震が立て続けに襲いました。私は、「まさか自分の身の周りでこんなに大きな災害が起こるなんて」と、とても不安な気持ちになりました。
   またいつ大きな災害が起きてもおかしくないと思い、修学旅行中、「声の掛け合いや配慮」を心掛けました。特に、班の友達と非常口や避難経路の確認をしながら災害に備えました。おかげで、修学旅行中は安心して行動することができました。
   日常の学校生活でも、以前より、毎日の行動を意識し、「声の掛け合いや配慮」を心掛けています。つい先日も、ちょっと困っている友達がいたので、「どうしたの?」「大丈夫?」と声を掛け、相談にのってあげたら、その友達だけでなく、自分も何かホッとした気持ちになりました。
   災害の時は、予想もしないことが起こります。そういうときこそ、「声の掛け合いや配慮」といった助け合いで、ホッとし合うことが大事だと思います。一人ひとりの力は弱いものですが、みんなの力を合わせることで、不安な気持ちが和らぎ、災害と向き合うことへの勇気につながるはずです。
   いざという時に、「どのような困難でも協力しながら乗り越えていくことができるような街」を北斗市は目指すべきだと思います。
   先日起きた北海道地震では、道内の全域が停電となり、一部が断水となりました。北斗市は断水にはなりませんでしたが、停電により電気が使えず、夜は懐中電灯などの明かりだけで過ごし、とても不便でした。私の母は、「料理や洗濯がまともにできなくて大変」と言って困っていました。
   今回の経験を通して、災害時でも何か元気が湧いてくる北斗市を築き上げるためには、まず自分たちも、普段から節電や水や食料の備蓄を工夫していく必要があります。そして、何といっても人と人のつながりです。
   困ったときに、北斗市民全員が、「助け合い」「協力」し合えてこそ、安心・安全な北斗市になると思います。
   私が通っている浜分小学校には、あいさつ・がんばり・親切の「三つの運動」の合い言葉があります。その言葉が私たちの学校生活を豊かにしてくれます。北斗市にも、安心・安全に暮らすための合い言葉があればいいなと思います。私は、「仲間と共に心を一つに」という合い言葉を考えてみました。みなさんなら、どのような合い言葉を考えますか。

5. 藤田 裕佑 くん『住んでいる人も、来てくれる人も健康で元気にしたい』

   まちを元気にって何だろう。
   ぼくが、このテーマを聞いたとき、真っ先に浮かんだのは、住んでいる人を元気にしたいということでした。北斗市には、小さな子どもから高齢者まで、約4万6千人が住んでいます。この北斗市民、みんなが、  元気になるためには何が必要でしょうか。
   ぼくは、一番の元気の源は「食事、食べもの」だと思いました。北斗市には、健康になる食材が豊富にあります。大野平野でさいばいされた「ふっくりんこ」「ななつぼし」「ゆめぴりか」はブランド米として有名ですが、ぼくは、北斗市産の野菜に着目しました。実は、ぼくの家は、長ネギを中心に、いろいろな野菜を作っている農家です。小さい頃から休みの日には、皮をむいたネギを箱詰めするところに持って行ったり、廃棄する葉っぱをコンテナに詰めたりする手伝いをしています。家で丹精込めて作ったネギを「おいしい」といって食べてもらいたいと思って仕事をしています。ネギには、ビタミンAやC,カルシウム、βカロチン、アリシンなどの体にいいものが含まれていて、冷えた体を温めたり、疲労回復に効果があると言われています。
   他にも、北斗市で力を入れているトマトにふくまれているリコピンは、抗酸化作用が強く、生活習慣病やがんの予防にもなります。また、しみやしわ、日焼け予防にもなるそうで、ぼくの悩みのそばかすをうすくする効果もあると聞いて、ちょっとうれしくなりました。じゃがいもやキャベツ、ほうれん草・・・。作っている野菜は、数えきれません。バジルやアイスプラントといった新しい野菜もどんどん出て来ています。
   北斗市には、海の恵みもたくさんあります。茂辺地地区でとれるフノリに含まれるフノランは水溶性の食物繊維の一種で、動脈硬化や高血圧に効果があると言われています。ずーしーほっきーのもとになったホッキ貝や、がろう鉱山からの栄養分を含んだ海水で育てているがろうがき、わかめやこんぶ、いわしやカレイなど魚も豊富です。
   ぼくが大人になったときに、北斗市が今よりももっと楽しくにぎわっていたらいい、北斗市の特産品が日本中で有名になっていてほしいと思います。そのために、北斗市産の食材をもっと活用する方法を考えました。野菜や水産物などの食品工場や販売する商店街を一体化した大きな施設を作ってはどうでしょうか。食材を生かしたレストランや、生産者と消費者が交流できる場所、体験施設もあったらいいと思います。働く人も増え、いろいろな人が北斗市を訪れるようになり、にぎやかになると思います。
 ぼくは、今、野菜作りの修行をしています。ほうれん草に挑戦してみたものの、茎が細かったり、小さかったりして売り物にはなりませんでした。しかし、今年の春、初めて出荷することができました。もっと野菜のことを勉強して、おいしくて健康になれる野菜作りを目指します。そして、みんなが元気になるまちづくりの役に立ちたいと思います。

6. 鈴木 綴心 くん『北斗市の未来に向かって』

   2006年2月、上磯町と大野町が合併し北斗市が誕生しました。そして2006年はぼくが生まれた年でもあります。そう考えると、北斗市誕生とともに、ぼくも一緒に歩んできたという気持ちになります。
   今年の北斗市青少年育成大会の発表者に決まった時、北斗市を元気にするために、どのように貢献できるか考えました。そして、ぼくは陸上競技をしているので、スポーツを通した活動を考えてみました。
   ぼくは3年生から大野小学校の陸上クラブに所属しています。また、浜分小学校や上磯小学校などと「TEAM北斗」という仲間になり、陸上競技場で一緒に練習するなど、1つの小学校の枠をこえた北斗市のチームになりました。今年は同じTEAM北斗の仲間が全国大会に出場し、とてもうれしい気持ちになり、はげみにもなりました。
   北斗市から全国大会などに多数の選手が出場できるのは、体育館や陸上競技場など、いくつかの立派な施設を備えた「北斗市運動公園」があるからだと思います。道内の高校の先生に「こんな良い競技場が使える街なんてなかなかないよ。北斗の子はラッキーだね」と言われたこともありました。
   北斗市では、これらの施設を生かし、スポーツ合宿を誘致し、さまざまなスポーツの実業団チームや学生が合宿に訪れています。合宿に訪れた陸上の実業団チームの選手から、特別に指導していただけるとても貴重な機会もありました。陸上の技術だけでなく、コミュニケーションや礼儀、あいさつの大切さなども教わり、とても良い経験になりました。
   ぼくは陸上で短距離をしていますが、最近はタイムが伸び悩んでいます。しかし、陸上競技は負けた悔しさをバネに頑張れる競技でもあり、中学、高校へ進学しても続けていこうと思っています。
   ぼくの学級の友達の御一家は、北斗市の住みやすさや、食べ物もおいしいということで、埼玉県から引っ越してきたと聞きました。その友達が「北斗市はあたたかい人が多く、自然環境も豊かな街だ。北斗市にきて良かった」と口にしていました。ぼくは北斗市に住んで当たり前だと思っていましたが、この友達の話を聞いて、北斗市の魅力に気付き、見つめ直すきっかけにもなりました。
   次の10年に向け、スポーツを中心とした交流を続け、北斗市の良さを多くの人に知ってもらえるような活動をしていくことは、北斗市の未来につながると思います。ぼく個人の夢としては、陸上競技の指導者になって、スポーツの発展に参加したいと思っています。その過程で北斗市の街の様子や歴史などをさらに深く学び、他の街から訪れた人たちと交流しながら北斗市の良さを広めていきたいと思います。それが、ますます元気な北斗市につながると確信しています。

7. 八木橋 洋子 さん『私が感じる北斗市の魅力』

   皆さんは、北斗市の魅力をどのようなところだと感じていますか?トラピスト修道院やきじひき高原などの観光地、自然の景観の美しさ、ホッキ貝やお米などのおいしい食べ物を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。そう考えると、北斗市は北海道らしい魅力にあふれたまちだと思います。
   私は、生まれてからの15年間を、自然豊かな石別の地で過ごしました。この地で、他では経験できないようなたくさんの貴重な体験をしながら育ちました。
   例えば、保育園のときは、みんなで田植えをしました。収穫祭では、自分たちで作ったお米を使い、おにぎりを作って食べました。みんなで一緒に食べたおにぎりはとてもおいしかったです。また、小学校では、自分たちで育てた野菜をみんなで調理して食べました。調理中、調味料を入れ過ぎてしまった人がいて、食べた時にみんなで驚いたことも、楽しい思い出の一つです。このように、当たり前のように自然に親しみながら成長してきました。
   また、私を成長させてくれたのは、石別の自然だけではありません。幼いころからお世話になっている地域の皆さんの温かさが、本当に自分の支えになっていると感じる場面がたくさんありました。
   例えば、石別地区の運動会は、保育園、小学校、中学校、町内会の4者合同で行なわれます。子どもから大人までが一緒に楽しむことができ、そこにいるみんなの心が一つになっていると感じることができます。また、毎年行なわれる餅つき祭では、みんなで餅をつき、それを丸めて食べます。みんなで食べるお餅はとてもおいしく、集まったみんなで交流できることが毎年楽しみです。このような時間が過ごせるのも、地域の皆さんがさまざまな準備をしてくださり、温かく接してくださるからだといつも感じています。
   他にも、地域の老友会の皆さんとの交流で一緒にレクリエーションをしたり、給食を食べたりするのも、私にとってはかけがえのない時間です。また、渡島学園分校の生徒さんたちとのJOI交流も、一緒にクイズやダンスをし、楽しい思い出となっています。地域の皆さんとの交流を通じて、たくさんのことを学び、人の温かさに触れ、心を成長させてきたのだと思っています。
   このように、北斗市の魅力を思い浮かべるとき、私は、何よりもまず「自然と人」この2つを思い浮かべます。そして、この魅力を守り、次につないでいくことが、私たちの使命だと思っています。
   しかし、私の住んでいる石別地区はもちろん、北斗市全体でも人口が減少してきているという問題があります。少子高齢化が進んでいるのです。これからもっと人口が減っていく心配もあります。人口が少なくなり、高齢化が進むと、公共施設の充実や、病院やスーパーなど生活に関わるサービスなどにも支障が出て、住みにくいまちになってしまいます。
   それに歯止めをかけるために、すでに北斗市ではさまざまな取り組みを行なっています。医療費の無料化をはじめとした、子育てしやすい環境を整えることです。私は、子育て世代への経済的な支援の充実とともに、自然豊かで、人が温かいという北斗市の魅力をもっと広くアピールしていくべきだと思います。きっと、こんなまちを求めていたという人が日本中にいると思います。観光案内のパンフレットに北斗市の住みやすさを掲載するなど、より多くの人に興味をもってもらうはたらきかけが必要だと思います。そして何より、実際に住んで、このまちの良さを知っている私たちが、自分たちの言葉で直接伝えていくことが大切だと思います。私は、自分が生まれ育ったこの北斗市が大好きだし、これからも住み続けていきたいと思っています。このまちに住むみんなが同じように感じてくれていたらうれしいです。もし、不満があるのであれば、声を上げて改善し、より良いまちにしていけばいいと思います。
   中学校への登校時、「おはよう」、「行ってらっしゃい」と、地域の皆さんはいつも温かく声をかけてくださいます。この地域の皆さんとの関わりが、10年後もその先もずっと続いていくことを強く願っています。若い世代もお年寄りも、安心して住むことができる北斗市を、私も市民の1人として支えていきたいです。大好きなこのまちで、この先もずっと暮らしていきたいと思います。

8. 本間 汐凜 さん『北斗市の未来』

   皆さんは私たちの住む町、北斗市についてどのように考えていますか。
   休日に友達と過ごしていた時のことです。買い物をしに行こうということになり、何気なく函館に足を伸ばしました。私はそのとき、ふと、もっと身近に、たくさんお店があったらいいなと思いました。
   私はどうしたら商業施設が増えるのか考えてみましたが、すぐに「これだ!」という解決策が浮かびませんでした。そこで、周りの友人に話してみました。しかしそのとき、北斗市の現状をよく知る人やこれからについて明確な考えをもっている人は多くないということに気づかされたのです。まずは北斗市に住む私たちが、この町にもっと関心をもち、現状をよく知り、北斗市の未来についてみんなで考えることをしなければ何も始まらないと思いました。
   北斗市は過疎指定はされていないものの、過疎化の進みつつある地域だとされていました。そんな中、北海道新幹線が開通し、新函館北斗駅が建てられました。この出来事は、たくさんの人に北斗市を知ってもらい足を運んでもらう大きな機会となったと思います。ただ、新函館北斗駅の周辺には、宿泊施設や買い物ができる商業施設、食事をできるようなお店が多くはありません。さらに、駅周辺は夜になるととても暗いと感じます。私は、北斗市を一度訪れた観光客にはこの町を存分に満喫してもらいたいです。自然や広大な畑を大切にすることを考えると、一気に多くの建物を建てるのは難しいと思いますが、まずは街灯を1つずつ増やすことで駅周辺を明るく照らすことができたらいいと思います。そのための費用とするために募金活動などもできるのではないでしょうか。
   北斗市はもともと素晴らしい自然環境をもつ地域です。緑が多く、登下校中にもこれからの時期には紅葉、春になると満開の桜を楽しめます。桜といえば、春の法亀寺のしだれ桜が有名です。夜になるとライトアップされ、昼とはまた違う素晴らしさです。海も近く、夏には七重浜の海水浴場で海水浴を楽しむこともできます。他にもたくさんある観光スポットをもっとアピールして、さらに多くの人に知ってもらえるといいと思います。
   しかし私には、北斗市の環境についても気になっていることがあります。それは、ゴミについてです。私の通う浜分中学校では、毎年生徒全員で七重浜海水浴場、セブンビーチの海浜清掃を行なっています。その際に拾うゴミは毎年すごい量です。しかも、一生懸命汗を流して片付けても、数日後にはもうたくさんのゴミが落ちています。流れ着いてくるゴミもありますが、ペットボトルや缶、お菓子や弁当のからなど海水浴場に来た人が飲食してそのまま捨てていったものもあります。これは、海だけに限らず、道路や公園でも言えることです。道を歩いている人がガムを道路に吐き捨てる場面や車の中からタバコを捨てるといった行為を目にすることがありました。私はそのような人たちを厳しく取り締まってほしいと思います。しかし、なかなかそうもいきません。今の自分にできることは何かと考えました。今の私にはボランティアに積極的に参加する意志が大切だと思っています。学校で清掃活動のボランティアの募集があれば、できる限り参加するようにしています。地域の海や町並みを少しでもきれいにすることで、ゴミを捨てるのは気が引けると、捨てるのを思いとどまる人が一人でも増えてほしいからです。町や海がきれいになれば、また来たいと思う人が増えます。地域の活性化を進めることは、他の地域とのつながりも強め、より良い日本の社会を築くことに貢献していくことでもあると思います。
   北斗市に住む全ての人が、この町の素晴らしさを感じ、大事に思い、守ろうとすることが大切なのではないでしょうか。
   私たちが北斗市をもっと元気にするためにできることは、この北斗市への関心を高め、地域活性化のために何が必要でどうしたら良いのかを考えること、そして、それをできることから少しずつでも行動にうつすことだと思います。具体的に、自分にできることをするという姿勢が大切だと思います。私自身も北斗市のためにできることをこれからも考え、行動し続けていこうと思っています。

9. 水島 宗人 くん『農業の今とこれから』

   私が大野農業高等学校に入学して、はや1年。農業高校生らしく、さまざまな農作物の種類や特徴、栽培方法、それらを用いた加工品の製造方法や流通の流れについて学習してきました。また、いままであまり意識したことがない「農業」について深く考えた1年でもありました。
   私が住んでいる渡島管内の北斗市は北海道水稲の発祥の地であり、北海道新幹線の新函館北斗駅があります。このような地域の特色を生かし、現在、総合実習では地域活性化のための観光客向け新商品の開発などに取り組んでいます。この活動を行なっているなかで日本の農業にはさまざまな課題があることに気がつきました。私はそれらの課題を調べ、課題解決のための方法や取組について、考えてみることにしました。
   まず、課題として挙げられるのは、生産者の意識の低下と、現状の認識不足です。日本農業の現状として悪天候や天災などを不作、品質の低下の言い訳にして、対策や改善に力を入れ切れていない点があります。集約的農業が日本の主流ですが、価格の低迷によって、資材費をかけられないという現状があるのも事実ではあります。TPPにより、国内生産物の品質向上や付加価値化が必要とされている現在、現状として品質向上に対する意識が低下していることが挙げられます。
   次に課題として考えられるのは、さきほども述べた農産物の価格の低迷です。現在は1円でも安く販売するために、海外農産物の輸入による農産物の価格破壊が進んでいます。この結果日本で生産された高品質の農産物の消費がなかなか進まないという現状になっています。今何かと話題になっているGAP、農業生産工程管理を活用した安全で良質な農産物が求められていますが、現在の価格での実現は不可能に近い状況になっています。
   私はこれら2つの課題の解決には価格の保証や、海外農産物の輸入の見直しが必要であると考えました。そこで地域の農家さんなどに話を聞き、考えをまとめました。まず、価格の保証についてですが、北斗市の農業として身近にある水稲に着目し考え、米の価格に注目しました。日本の農業といえば水稲が主体だと考えられますが、米価は昔の半額ほどに下がっています。補助金などで保証されてはいるものの結局、保証分米価は下がっており、何のための保証なのかと考えてしまいます。そこで、補助金などではなく、米価を直接上げることで、水稲農家さんたちの安全面などへの配慮など、生産意識や品質の向上にはじめ、水稲が主体となっているので日本農業全体の活性化につながると考えられます。また園芸農産物は水稲のような値上げということではなく、最低価格を決めることで活性化につながるのではないでしょうか。
   次に海外農産物の輸入の見直しです。輸入の際の基準を今以上に作らないと、ただ価格だけで付加価値のない農産物が増え、日本の農業がさらに低迷すると考えられます。そこで農業としてだけではなく、日本全体を上げて地産地消を考えていくことで日本農業の今以上の発展を目指すことができると考えました。しかし、ただ価格を上げて、最低保障を変えるだけでは農家さんの全体の意識の向上はなかなか難しいと考えられます。そこで、海外の基準に合わせ、日本全体でグローバルGAPやHACCPなどの日本になかなか浸透しきれていない新しい農業生産の在り方を私たち農業高校生が積極的に取り組み、日本全体に発信していくことで、より深く広がっていき、さらなる発展につながっていくのではないでしょうか。
   これらはあくまで私が「農業」というものに触れて、もっと深く知りたいと考え学習してきた結果見えてきた日本の農業における課題であり、まだまだ多くの課題があることが考えられます。そのことを同じ農業を学ぶ農業高校生の皆さんにもっと知ってもらうために取り組みました。日本の農業にはさまざまな課題がありますが、日本でしか作れないもの、北海道でしか作れないもの、私たちだから作れるものがあります。それをもっともっと世界に発信していかなければいけないと私は考えます。
   私はこれから、「農業」についてさらに多くのことをこの大野農業高等学校で学んでいきます。そして、さらに日本の農業、北海道の農業について考え、将来は学ぶだけではなく、実際に農業高校を支えるひとりになり、貢献していきたいです。
   これからの明るい日本農業の未来のために。

10. 伊藤 美那 さん『本当の貧しさとは』

   私は今年の8月に修養団という団体が運営するフィリピンのボランティアに参加しました。活動内容は、フィリピンの貧富の差を知り、貧しい子どもたちにご飯と学用品が入った巾着袋をプレゼントするというものです。そこで私は、日本との違いに驚きました。近年日本では、隣に住んでいる人が誰なのかわからない。 見かけたことはあるけれども、話をしたことがないなど、地域の人との関わりの少なさが非常に目立ちます。地方では近所で知らない人はいないという地域ももちろんありますが、都心ではこのような問題がどうしても起こってしまいます。ですが、フィリピンでは町中で出会った工事現場で作業をしている人でさえ仲良くなってしまいます。私が手を振ると、誰でも手を振り返し、「hello!」とこちらから言わなくても、積極的に話しかけてきてくれます。また、私が訪問した貧しい地域の人々は、みんな笑顔でした。もし私が逆の立場で、貧しくて学校に行けず、仕事をしている場所に外国人が来たら、笑顔で手を振ってきたら、手を振り返すことはできません。むしろ、笑いに来たのか、見世物にされるのかと思ってしまいます。ですが、そんなこともなく、反対にとても歓迎してくれました。それを見て、自分は心が貧しいと感じました。
   修養団のフィリピンのボランティアに取材が入ったときの映像を見せてもらった際、ゴミで作られた家に住んでいる男性は、゛今幸せですか“と聞かれ、゛とても幸せだよ”と答えていました。日本は発展して豊かになっていくにつれて、助け合いや思いやりの心を忘れていっていると感じています。日本はフィリピンよりも貧富の差が少なく、だいたいの人が恵まれた生活をしています。ですが、2018年1月に発表された世界幸福度調査では、フィリピンは世界第3位と、大変高いのです。なぜ幸福度が高いのか、その理由が私がフィリピンに行った際に感じた心のあたたかさ、心の豊かさなのではないかと考えました。
   また、先日起きた胆振東部地震の際、私は初めて停電という被害を受けました。電気が使えないため、テレビからの情報がはいってこなかったり、炊飯器や冷蔵庫が使えなかったりするのが2日間続き、その影響で、コンビニエンストアやスーパーの食料もほとんどなくなりました。そのような中、母が土鍋でお米を炊き、カレーライスを作ってくれました。その際にやっと食べ物があるありがたさが本当の意味で、わかった気がしました。私が訪れたフィリピンの地域では、ほとんどの人がスカベンジャーという仕事をしています。スカベンジャーとは、プラスチックや瓶、銅などをゴミの中から探し、ジャンクショップで売り、生計を立てている人のことを言います。素材によって異なりますが、ジャンクショップでは銅が一番高く、1キログラム100円ほどで取引されます。フィリピンは日本より物価が安いですが、そのようなフィリピンでも到底暮らしていける金額ではありません。貧しい子どもたちは、朝ご飯が食べることができたら、次はいつご飯が食べられるか考えるような生活をしているのです。そのことを知ってから被害を受けたので、より感謝の気持ちがあふれてきました。日本人でいる人の中では、今の暮らしが゛当たり前”だと考えている人も少なくないと思います。ですがその生活は決して当たり前ではないのです。偶然日本に生まれ、偶然恵まれた生活をしているだけで、フィリピンの貧しい子どもたちのような生活をしていたかもしれません。
   これから10年20年たった時、果たして日本がお金だけではない、心も豊かな国になるのか。それは私たちにかかっています。そのために、思いやりを忘れないこと、感謝の気持ちを忘れないこと、笑顔を忘れないこと、”忘れないこと”が重要なのではないでしょうか。

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