HOMEまち・ひと文化郷土資料館・文化・歴史令和6年度 北斗市郷土資料館 特別展「国指定史跡 松前藩戸切地陣屋跡展」

令和6年度 北斗市郷土資料館 特別展「国指定史跡 松前藩戸切地陣屋跡展」

北斗市郷土資料館では、2019年以降、日本で最初に築かれた星形城郭である国指定史跡・松前藩戸切地陣屋跡の真価を確かめるべく調査・研究を進め、各年度ごとの最新成果を反映させた「松前藩戸切地陣屋展」を例年春~初夏にかけてこれまで開催して参りました。

通算6回目にあたる今年は、築城170年を来年にひかえ、これまでの研究成果の集大成のひとつとして、169年の時を超えて解き明かされた戸切地陣屋の謎にして日本の洋式城郭共通の謎でもある、その世界とのつながり─「当時の人々はいかにして『洋式』の城の築き方を学び、それをどのレベルまで実現していたのか」─についてを中心に、その研究成果をご紹介します。

R6陣屋展ポスター

開催情報

日時

  • 令和6年5月11日(土曜日)から令和6年7月31日(水曜日)まで
    ※月曜日は休館です。月曜日が休日の場合は翌火曜日が休館となります。
  • 9時 から 17時 まで

会場

  • 北斗市郷土資料館 特別展示室(北斗市総合分庁舎 どり~みん 2階)

入場料

  • 無料

「国史跡・松前藩戸切地陣屋跡」について

幕末から明治へと激動する歴史のせつな、「城」がその役割を大きく変えそして終えていく時代の夜空の中、道南を中心にまたたいた五稜郭をはじめとする「星形」の城たち。

その中でも日本で最も古く、今なお清川・野崎の丘に当時の姿をのこすのが「国指定史跡・松前藩戸切地陣屋跡」です。

これまであまり知られてこなかったこの稀有な星の城の姿を皆様にお伝えしたく、最初の「戸切地陣屋展」を開催したのが5年前、2019年のことでした。

同時に、これまで100数十年以上の間ほぼ手付かずであったといっても過言ではない戸切地陣屋の「城」としての真価とそれをとりまく人々のドラマと歴史の流れを探るべく、再評価に向けた調査・研究も並行して続け、毎年度の開催ごとにその時々の最新成果を反映させてまいりました。

これまで続けてきた調査研究により、戸切地陣屋の星形本陣の規則的かつ幾何学的な構造は、ヨーロッパで編み出され磨かれ進化した対砲戦に特化した城郭の築き方=稜堡式築城術に間違いなく基づくものであり、昨年度の研究でその基礎となった教本もほぼ特定できました。これは、戸切地陣屋がただ星形というだけではなく、幕末日本の洋学伝習のあり方を物的証拠として現在に伝える極めて貴重な土木建築であることも意味します。

また、星形の本陣だけでなく、これが位置する「野崎の丘」の地形を生かした空間配置と備えられていた大砲の性能などから生み出される防衛構造は、19世紀当時のヨーロッパにおいて発達した「大砲での戦い」を前提とした軍学教本において、「有利に戦いを進めるためのポイント」として記された各種の条件をことごとく満たしていることもわかったのです。

これを、国内のあらゆる例に先んじて築き、なおかつ100数十年の時を経てなお今日まで非常に良好な状態でその姿を残し続けている戸切地陣屋のもつ歴史的価値は、かつてわれわれが抱いていたイメージをはるかに超えたものであるといえるでしょう。

ここまでの研究成果につきましては、昨年度発行の北斗市郷土資料館紀要において論文として所収しています。下記リンクよりアクセスならびにPDF形式にて閲覧・ダウンロードが可能ですので、よろしければご参照下さい。

>>>北斗市郷土資料館研究紀要へのリンク<<<

ミニギャラリー:今年度の「松前藩戸切地陣屋跡展」について

(1)「稜堡式」の歴史と「稜堡式城郭」としての戸切地陣屋本陣

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戸切地陣屋の星形本陣、その大きな特徴である砲台が位置するひし形の堡塁、「稜堡」。

この稜堡の歴史的な成り立ちと機能、そしてその観点から見た戸切地陣屋本陣の防衛能力とその機能について、パネルおよび本陣ジオラマで解説しています。

(2)「星形」のルーツをたどる

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戸切地陣屋本陣は現在設計図がのこっていません。しかし、設計図をもとに作られた遺構はのこっています。

─であれば、遺構の「かたち」を分析すれば逆に設計図が復元可能なのではないか─そうした逆転の発想から導き出されたのは、戸切地陣屋設計の基礎となる「一辺200mの正方形とそれを基準とした幾何学的図形」でした。

そして、さらなる研究の結果、この正多角形を基準にした幾何学的設計は17世紀フランスにその原点をもち、以降19世紀まで受け継がれた理論であることがわかったのです。

さらに、19世紀幕末日本において戸切地陣屋の設計者である藤原主馬がこの理論を学んだ方法、そのルーツとなる洋式軍学教本も特定し、その内容と戸切地陣屋の形状・寸法・角度などを照合していったところ、驚くほどの一致を見せることがわかりました。ここに、ヨーロッパで連綿と伝えられ磨かれてきた理論と、ここ北斗にのこる戸切地陣屋とが、世界の壁を越えてつながったのです。

(3)戸切地陣屋砲台が示す「砲戦の時代」

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戸切地陣屋の構造が洋式軍学教本と一致する部分は、空から見た形=平面的なものだけではありません。

相手の強烈な砲撃から内部を守るために幾何学的な計算から導き出された壕・土塁からなる外郭など、立体的な構造も理論に忠実に、かつ堅牢につくられていることが、教本との照合から確認することができます。

特に、当時ヨーロッパが突入していた「砲戦の時代」の防御のかなめとなる砲台の構造は、教本においてその運用に必須とされた三つの要素を全て備えるだけでなく、構造も忠実につくられていることがわかりました。これは国内における陸戦砲台においては極めてまれな事例であり、また構造的一致まで明確に確認されたのは国内初となります。

このコーナーでは、パネルに加え当時の大砲模型・砲台モデルを展示し、その運用と構造について解説しています。

(4)「野崎の丘」に展開した洋式砲戦防衛構造

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 こうした当時の洋式砲戦に必須の条件を全て満たした砲台からの砲撃は、攻め手が本陣を目指すために通らなければならないルート=崖と沢に両側をはさまれた長く緩やかな緩斜面を全て射程内におさめるものでした。つまり、この本陣と砲台の配置と野崎の丘の地形条件は、守る側にとって「絶対的な優位」を作り出すように計算されていたのです。

 そして、こうした戸切地陣屋がそなえる「砲戦において有利な地形の条件」も、洋式軍学の教本に示されたものとことごとく一致するものでした。つまり、戸切地陣屋はただ本陣だけを洋式の星形につくっていたのではなく、当時日本のはるか先を進んでいた諸外国とも砲戦で渡り合うべく、彼らの理論を取り入れて「野崎の丘」全体に広く展開された砲戦防衛拠点だったのです。

…などなど、会場では最新の研究によって明らかになった、これまで謎につつまれていた「戸切地陣屋のほんとうのすがた」について、パネル・ジオラマなどを駆使して解説・紹介しています。ぜひご来場ください。

 

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電話:
0138-77-8811
Fax:
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