明 治 時 代

西暦

和暦

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旧上磯町  【北 斗 市】  旧大野町

北海道

全国

1888

明治

21

2月 亀田郡、上磯郡役所(亀田村)、茅部山越郡役所(森村)を廃止。函館区長二木彦七、亀田上磯郡長兼務を解かる。

大野養蚕場が代価即売で徳川農場へ払い下げとなる。

210日 松浦武四郎没(71歳)

11日 標準時施行(グリニッチ135)。各郡役所及び戸長役場で一定の方式による気象観測を始める。

 

 

 

33日 茅部・山越郡役所と亀田上磯郡役所を併合、亀田外3郡役所と改称し、七飯村に設置した。七重警察署上磯分署と改称

 

38日 茅部郡森・宿野辺・尾白内3か村戸長役場を森村に置く。亀田・森両警察署を廃し、七飯警察署を置く。

126日 東京で国産の自転車製造所が完成

 

 

 

 

 

41日 函館書籍館開設

413日 東京下谷黒門町で中国人が可否(コーヒー)茶館開業(席料15厘、コーヒー1銭)

 

 

 

 

 

414日 駒ケ岳小噴火

425日 市制・町村制公布(翌年41日から、順次施行。北海道への適用は除外)

 

 

 

 

 

426日 山背泊東方の函館山山火事、明治19年植栽の松、杉苗20,200本を焼く。

430日 黒田清隆内閣成立

 

 

 

 

 

615日 北海道庁第2代長官に永山武四郎

1023日 帝国大学に臨時編年史編さん掛設置

 

 

 

 

 

618日 函館上水道工事着手(明治22920日竣工)

124日 香川県設置を公布(愛媛県から独立。現在の府県名そろう。)

 

 

 

 

 

71日 白神灯台点灯

アメリカで小型カメラ(コダック)開発

 

 

 

 

 

115日 北海道庁「北海道庁統計書」創刊

川上音二郎、大阪で時事を風刺した「オッペケペー節」を演じる。(明治24年頃、全国に大流行)

 

 

 

 

 

函館の戸数、10,602戸、人口52,403

「市制・町村制」により、地方自治体制が形成される。

1889

明治

22

522日 許可を得て広徳寺と公称す。

大野新道が竣工(直線12.5km

122日 徴兵令改正。函館、江差、福山に徴兵令施行

116日 種痘規則施行細則公布

 

 

 

616日 夜、茂辺地小学校ニ於テ技術幻灯会ヲ開催シ参観スル者老幼男女オヨソ67百余全校殆ント席ナク実ニ未曾有ノ盛会(『茂辺地小学校沿革誌』)

 

1月 函館、青森間の船賃を1円と定める。

211日 大日本帝国憲法発布(明治231129日施行) 議院法・衆議院選挙法・貴族院令各公布

 

 

 

623日 三木露風、兵庫県損西郡龍野町(現在龍野市龍野町)に生まれる。

 

1月 札幌ほか各地に天気予報掲示場を設置。また「北海道毎日新聞」に予報の掲載を開始

323日 地券を廃し、地租は土地台帳に登録した地価により徴収する旨公布

 

 

 

「敬神ノ念ヲ崇メ神社ニ奉仕スルヲ以テ目的」とする「上磯敬神会」が会としての機能を活発化した。会員数は70

 

3月 鹿の捕獲を禁止。鶴猟も禁止(道庁令)

56日 パリ万国博覧会開催(フランス革命100年記念、この時エッフェル塔建設)

 

 

 

熊谷宇兵衛、上磯村共有財産取扱人に当選、また上磯村協議員に当選

 

51日 亀田郡下湯川村に戸長役場を設置

71日 東海道線・神戸間全通(11往復の直通列車運転)

 

 

 

 

 

511日 函館の有志巴港社を設立、「北海」と題する日刊新を発行

731日 土地収用法公布

 

 

 

 

 

523日 初の警察電話、函館において架設される。

1121日 東京の木挽町に歌舞伎座開場

 

 

 

 

 

6月 北海道製麻会社創立、亜麻栽培と製綿を指導する。

1224日 内閣官制公布。第1次山県有朋内閣成立

 

 

 

 

 

71日 公立函館女学校開設

町村合併が進行し、前年末71,314町村がこの年末15,820町村となる。

 

 

 

 

 

926日 江差大火、239戸焼失。東照宮蓬莱町へ遷座

北里柴三郎、コッホのもとで破傷風菌の純粋培養に成功

1890

明治

23

4月 函館の有力者吉川泰次郎、園田実徳ら発起人となり、北海道セメント株式会社を設立、社長阿部興人資本金20万円(明治25年上磯村に工場竣工、大正47月浅野セメント株式会社と合併同社の支店となる。)。日本最初の輪窯を使用し、ポルトランドセメントを製造した。

41日 八軒屋青年会発足

325日 公立函館書籍館の管理を函館教育会に委託し、年間補助額60円を支出(63日開館)

1月 足尾銅山鉱毒事件発生

 

 

 

1210日 浜分校に教育に関する勅語謄本御下賜

板垣退助、徳川農場来場。

325日 高等師範学校から女子部を分離、女子高等師範学校を新設

210日 裁判所構成法公布(裁判所体系を区裁判所・地方裁判所・控訴院・大審院とする。111日施行)

 

 

 

12農事篤志者として、上磯村外4ケ村戸長役場から次の5氏を亀田外3郡役所に報告した。種田金十郎、熊谷宇兵衛、落合第蔵、吉田由蔵、尾見雄三

新川用水について七飯間との協議がまとまり、取入口の工事と用水路の大半ができあがる。翌年竣工。

3月 旧開拓使常備蔵函館区が払下げを受ける。公園の協同館を函館区に無償貸与

2月 初めて流行性感冒、全国的に流行

 

 

 

落合第蔵、亀田一本木村排水用地トシテ畑2,000坪ヲ差出ス価格40

 

519日 岩内町出火、180戸焼失 912日 岩内町大火、441戸焼失

421日 民事訴訟法公布(189141日施行)

 

 

 

官有林原野が御料地に編入。上磯村・茂辺地村でも半分以上が御料地となった。茂辺地村は全面積の3分の2を占める7500町にも上る。

 

63日 日本昆布会社設立

6月 長崎にコレラ発生し、全国に流行(この年、患者46,019人、死者35,227人)

 

 

 

 

 

630日 北海道庁函館出張所廃止

107日 刑事訴訟法公布(治罪法廃止。111日施行)

 

 

 

 

 

926日 佐井〜大森浜間に日本人による最初の長距離海底電信線を2回路敷設

1020日 元老院を廃止

 

 

 

 

 

9月 函館郵便局、外国小包取扱開始

1030日 教育勅語発布(太平洋戦争終了まで教育の根本方針とされる。)

 

 

 

 

 

10月 東本願寺教悔師和田義英名儀で桧山郡鶉村に未開地貸付をもって免囚者による開墾事業開始(『新撰北海道史』)

1125日 第1回帝国議会招集

 

 

 

 

 

北海道実測切図20万分の1刊行

 

1891

明治

24

1220日 中野村を上磯村へ合併を請願

 

37日 北海道教育会発足

324日 度量衡法公布(基本単位は尺・貫。189311日施行)

 

 

 

広部太郎、上磯町に移住

 

328日 久遠ほか3郡役所を桧山ほか1郡役所に合併

56日 第1次松方正義内閣成立

 

 

 

安政6年(1859)の頃、岡山県地方に生まれた金光大神・川手文治郎(1814-1883)を教祖とする金光教が北海道に布教を開始。後、大正13年(1924)浅野民次が上磯教会長となって伝道開始、昭和2年(1927)解散、浅野は網走教会で拡張に専念する。

 

424日 江差大火、364戸焼失

91日 日本鉄道株式会社上野、青森間鉄道開通(片道26時間30分、料金下等454銭)

 

 

 

 

 

51日 函館警察署仲浜分署を廃し、函館警察署水上警察署を置く。

1015日 ブラキストン、アメリカで没

 

 

 

 

 

615日 北海道庁第3代長官に渡辺千秋

1028日 中部地方「濃尾地震」発生

 

 

 

 

 

712日 官船瓊江丸、白神岬沖合で北海汽船会社の三吉丸と衝突、沈没し、261人溺死

デュボア(オランダ)、ジャワのトリニールで直立猿人の骨を発掘(〜1892年)

 

 

 

 

 

7月 函館博物場第3館を公園内に建築。水産標本類を展示開館。

 

 

 

 

 

 

8月 亀田監獄署を北海道監獄署と改署

 

 

 

 

 

 

逸見小右衛門、梅、桜2,350本、函館公園に植える。

 

1892

明治

25

415日 函館湾口西側葛登支岬霧信号所吹鳴開始(『北海道郷土暦』)

5代宮津磯次郎戸長

1月 日本郵船会社、横浜−函館航路を小樽へ延長す。

215日 第2回臨時総選挙。選挙干渉により各地に騒動、死者25人、負傷者388人出る。

 

 

 

618日 上磯・室蘭・幌別・広尾・十勝・白糠・釧路・厚岸・花咲・国後並びに日高国の各郡における新規昆布採取を不許可とする。(「庁令・水産法規」)

個人に九十九か年を条件として貸付のうえ植林造成に当たらせることとした。九十九ヵ年山の名称が起こったゆえん。

330日 函館博物場第1館の保管方を庁立函館商業高校に委任し、第3館を水産陳列場と改称

617日 小包郵便法公布。101日施行。

 

 

 

817日 亀田、木古内間道路改修工事着手

 

42日 釧路港碇泊中に函館(カネモリ)商船所有の恵山丸、雷電丸流氷のため難破、40余人死亡

621日 鉄道敷設法公布(幹線鉄道官設の原則、将来の私設鉄道の買収など)

 

 

 

1114日 高田万次郎(亀田郡大野村)・熊谷宇兵衛(上磯郡上磯村)、各緑綬褒章を受ける。

 

425日 小樽大火、146戸焼失。 54日 札幌大火、887戸焼失。

88日 第2次伊藤博文内閣成立

 

 

 

セメント工場完成。ホフマン式輪窯2基設置、鉱山開発工場へ、石灰石馬車輸送開始(『日本セメント上磯工場百年の歩み』)

 

630日 江差、福山、寿都三監獄署廃止

1130日 各小学校に簡易科並びに尋常小学校科併設

 

 

 

 

 

719日 北海道庁第4代長官に北垣国道

天然痘流行、全国患者数33,779人、死亡8,409

 

 

 

 

 

925日 江差町大火、150戸焼失

アメリカで最初のガソリン自動車完成

 

 

 

 

 

函館測候所で地方天気予報を開始

 

 

 

 

 

 

函館のコレラ、天然痘罹患者991人中354人が死亡

 

 

 

 

 

 

函館の戸数、13,294戸、人口60,388

 

 

 

 

 

 

平野源三郎「正調追分」を創作

 

1893

明治

26

明行寺の前身、秋田県山本郡能代町衆徒藤野了導函館別院在勤中に当茂辺地高島佐吉と協議の上現在地に茂辺地説教所を設立す。(『大日本寺院大鑑』)

10月 大野村婦人団体連絡協議会結成

41日 日本銀行、札幌・函館・根室・室蘭に出張所、小樽に派出所を開設

34日 弁護士法公布(代言人規則は廃止)

 

 

 

 

鎌田寧固が戸長となる。

4月 亀田村及び白石村に水田試作場をつくる。

414日 出版法・版権法公布

 

 

 

 

 

511日 松前銀行設立(本店松前郡福山。資本金5万円。福山町富裕者有志による。)

全国で赤痢患者167,505人、死者41,284人、天然痘患者41,898人、死者11,852

 

 

 

 

 

812日 道内の小学校に国家君ケ代を官報で告示

エジソン、活動写真発明

 

 

 

 

 

101日 日本郵船会社、森〜室蘭航路廃止。青森〜函館定期航路を室蘭に延長

ディーゼル(ドイツ)、ディーゼル機関を発明(1897年完成)

 

 

 

 

 

函館区に函館度量衡検定所設置(のち北海道度量衡検定函館支所と改める)

 

1894

明治

27

731日 上磯病院閉鎖となる。その後村立として、医師竹内季朔が着任し、明治37年(19041月村医廃止まで勤めた。

8月 日清戦争で軍馬が徴発され、大野では消防団役員がこれを引き受け、8日間に1,800頭の牡馬を集め、亀田八幡宮境内に引き連れて検査し、800頭が合格した。

119日 小橋栄太郎、函館に新聞「北のめざまし」創刊

67日 日清両国相互に朝鮮出兵を通告

 

 

 

81日 医術開業御届 上磯村字下町218 士族医師 関屋八太郎(「関屋備忘録」)

私設消防が公立消防となる。

53日 小樽大火、700戸焼失

723日 日本軍、京城の朝鮮王宮を占領。国王、日本側の圧力により、大院君に国政総裁を命ずる。

 

 

 

セメント会社、年末に至ってようやく商品となるセメントの生産ができた。

 

922日 北海道庁種畜場七重分場を廃止

81日 清国に宣戦布告(日清戦争)

 

 

 

上磯八幡宮の側に避病院を開設

 

日清開戦のため、本道より汽船10余艘御用船に雇用、ために運輸途絶、貨物渋滞して入米不足、物価騰貴して不景気

825日 北里柴三郎、ペスト菌を発見

 

 

 

 

 

1121日 日本軍、旅順口占領

 

 

 

 

 

 

小学校の学年始業期4月となる。

1895

明治

28

61日 診療治療出張所設置御届 此度、谷好村字三ツ谷30番地、本間道明方ニベンチ上診療治療出張所ヲ設ケ候(戸長宛)(「関屋備忘録」)

8月 千代田用水の引水式が行われる。

2月 各地にほぼ停滞貨物がなくなり、商況もどる。

131日 京都電気鉄道、市内で電車営業を開始(最初の電車営業、距離6km

 

 

 

731日 屍体検案、富川村ノ海岸ニ出張ス巡査倉本実、筆生山崎信義ト同行(「関屋備忘録」)

六か村に衛生組合が発足

34日 動員令下り屯田兵をもって第7師団を編成し出発(東京で待機し6月凱旋)

217日 威海衛陥落

 

 

 

1022日 有川大神宮五百年並凱旋日清戦争記念碑寄付金(「関屋備忘録」)

 

314日 札幌、函館尋常中学校設置認可

313日 質屋取締法公布

 

 

 

11月 和田回漕店の蒸気船「上磯丸」上磯・函館間を三往復し、セメントや諸材料の運搬に就航する。後、北海道セメントの持船となる。

 

41日 市町村制未施行の地方に小学校教育規定全道に実施

41日 帝国大学文科大学に史料編纂掛を設置(昭和479日、史料編纂所と改称)

 

 

 

濁川小学校が沖川尋常小学校と改称。

 

41日 函館区内の小学校は高等科、尋常科とも4か年となる。

417日 日清戦争講和条約調印(朝鮮の独立承認、遼東半島・台湾・澎湖列島の割譲、欧米なみの通商条約締結など)

 

 

 

 

 

731日 小樽大火、153戸焼失。103日 根室大火、1,303戸焼失。113日 函館鶴岡町出火、228戸焼失。

423日 三国干渉

 

 

 

 

 

917日 函館商業会議所の独立認可

510日 遼東半島還付の詔書発布。 118日 遼東半島還付条約調印(報償金3,000万両)

 

 

 

 

 

115日 亀函馬車鉄道株式会社設立

コレラ全国で大流行、死者40,150

 

 

 

 

 

2月豪雪、積雪5尺に及ぶ。

レントゲン(ドイツ)、X線を発見

1896

明治

29

311日 診療治療出張所廃止(「関屋備忘録」)

11月、大野小学校を会場に亀田・上磯・茅部・山越四郡の海陸連合品評会が行われ、空前のものであった。

11日 渡島、後志、胆振、石狩4か国に徴兵令施行

316日 全国に12か師団を設置

 

 

 

411日 上磯小学校簡易科を廃し尋常科に編入した。

大野郵便局、電信(国内・外国)事務開始

118日 函館電灯所営業開始

328日 登録税法、営業税法、葉煙草専売法公布(日清戦争後の第1次増税)

 

 

 

519日 拓殖内務次官北垣国道、北海道朝刊原保太郎セメント会社へ。

学校植林が始まる。

326日 連隊区司令部、札幌、函館、根室、十勝に設置(41日実施)

615日 午後830分、三陸地方大津波、死者27,122人、流出家屋10,390戸、本道余波あり。(66日説もあり。)

 

 

 

1028トラピスト修道院 上磯郡茂別村字石倉野番外地に創立。フランスのノルマンデー県フリーペック及びその他の地方よりフランス人5人、オランダ人2人、カナダ・イタリア各19人によって発足(「トラピスト修道院資料集」)

北海道で最初の大野農業補習学校が設置される。

47日 北海道庁第5代長官に原保太郎

918日 第2次松方正義内閣成立

 

 

 

10月 「関屋備忘録」によると、連日のように赤痢患者報告あり。

本郷青年会、一本木義会が発足

427日 小樽大火、786戸焼失

ギリシャのアテネで第1回オリンピック開催

 

 

 

117川田龍吉の父、日銀総裁川田小一郎男爵死亡、1か月後龍吉男爵を継ぐ。

大野やっこ…この頃から、毎年8月の意冨比神社大祭時には神輿の先駆けを勤め、行列を組み村内を練り歩いた。

4月 函館郵便局に東京天文台から午報通報用の自動報時機が入る。

 

 

 

 

1121日 金子利吉没(74歳)。嘉永年間(1848-1857)茂辺地で製瓦を始め、亀田村に製造所を移す。本道製瓦の元祖

 

514日 北海道鉄道敷設部を置く。

 

 

 

 

茂辺地に帝室林野管理局の分担区を設置した。

 

5月 第7師団を札幌に設置(明治34年旭川に移る。)

 

 

 

 

 

 

630日 函館貯蓄銀行設立(資本金7万円) 76日 函館銀行設立(資本金50万円)

 

 

 

 

 

 

826日 函館大火、2,280戸焼失(テコ婆火事)

 

 

 

 

 

 

8月 駒ケ岳噴火

 

 

 

 

 

 

1021日 税務管理局制を定め、函館、札幌、根室に税務管理局を置き、道内各地に16税務局を設置

 

 

 

 

 

 

117日 函館船渠株式会社設立認可。弁天砲台とりこわし、周囲を埋立てる。

 

 

 

 

 

 

函館戸数16,276戸、人口70,821

 

1897

明治

30

127日 渡島当別トラピスト男子修道院プリエ神父(のちに日本に帰化、岡田普理衛を名乗る。)着任

このころ、乗合馬車組合が設立され、郵便馬車会社の事業を引き継いだ。

14日 中川嘉兵衛没(80歳)

329日 貨幣法公布(金本位制の成立。101日施行)

 

 

 

228日 沖川校御真影着御

大野小学校が移転する(現役場敷地)。文月分校が移転、新築される。

36日 栗本鋤雲没(76歳)

41日 伝染病予防法公布

 

 

 

1030日 上磯郡は亀田・茅部・山越と共に渡島国亀田郡七飯町に役所が設置された、北海道庁亀田支庁に含まれた。

函館警察署大野分署設置

327日 北海道国有未開地処理法公布

412日 森林法公布(189811日施行)

 

 

 

妙隆庵に本寺函館実行寺から住職として、栗塚行好師が派遣された。大正2年(1913)突如辞任する事件が発生した。

 

4月 庁令第19号「産婆免許規則」が施行、「産婆規則」公布。免許者が増加

427日 帝国図書館官制公布(東京図書館を帝国図書館と改称)

 

 

 

牛舎建設とともに七飯の岡田牧場から本道産の乳牛数頭を求め搾乳したが期待通りいかず。

 

54日 札幌大火、223戸焼失

610日 古社寺保存法公布

 

 

 

 

 

529日 北海道区制、1級町村制、2級町村制各公布

622日 京都帝国大学設立。従来の帝国大学を東京帝国大学と改称。

 

 

 

 

 

7月 「電気作用活動大写真」(シネマトグラフ)、函館で興行。以後、小樽・札幌で興行(道内映画の始まり)

1016日 朝鮮、国号を大韓と改める。

 

 

 

 

 

87日 徴兵令、千島にいたる全道に及ぼす。

1225日 志賀潔、赤痢の病原菌を発見

 

 

 

 

 

827日 津軽海峡函館〜平館間に海底電信線敷設なる。

 

 

 

 

 

 

91 30匁に及ぶ大雹降る。(『松前町史年表』)

 

 

 

 

 

 

94日 北海道庁第6代長官に安場保和

 

 

 

 

 

 

112日 道庁官制改正により従来の郡役所を廃し、札幌ほか18支庁を設置

 

 

 

 

 

 

11月 五稜郭内に函館要塞砲兵大隊が設置され明治3111月千代ケ岱に移る。憲兵屯所を置く。

 

 

 

 

 

 

122日 函館鉄道株式会社営業開始

 

 

 

 

 

 

1228日 東京、札幌間電話開通

 

1898

明治

31

23日 午後2時頃、セメント会社ノ社宅1棟出火火災、甲号社宅1棟、物置1棟焼失(「関屋備忘録」)

千代田村に説教所が開設される。

430日 函館・湯の川村にトラピスチヌ天使園大修道院(女子)設立

112日 第3次伊藤博文内閣成立

 

 

 

212日 ジフテリア患者発生(「関屋備忘録」)

戸長、藤枝祐蔵、神谷小太郎

522日 「函館新聞」、「函館毎日新聞」と改題

630日 第1次大隈重信内閣成立

 

 

 

729日 有川大橋出来上リ、本日ヨリ渡リ初ム。(「関屋備忘録」)

このころ、宍戸医院が開院

73日 亀函馬車鉄道と函館鉄道を合併、8月に函館馬車鉄道と改称。資本金15万円。

118日 第2次山県有朋内閣成立

 

 

 

89日 北海道セメント株式会社他全国のセメント会社が連合協議会を開催して不況対策として一手販売の会社設立を決定す。

 

716日 北海道庁第7代長官に杉田貞一 1112日 北海道庁第8代長官に園田安賢

キュリー夫妻(フランス)、ラジウムを発見

 

 

 

 

 

7月 「北のめざまし」、「函館日日新聞」と改題

 

 

 

 

 

 

97日 全道的に豪雨、死者248人、家屋流失倒壊3,551戸、耕地冠水54,500余町歩

 

 

 

 

 

 

111日 北海道時事創刊

 

 

 

 

 

 

1125日 「江差日日新聞」創刊

 

 

 

 

 

 

日本昆布会社解散

 

 

 

 

 

 

江差古櫃煉瓦工場設立

 

1899

明治

32

124日 セメント会社火災、夜7時半頃古輪釜部に発火、新輪釜を2棟全焼。24日 セメント会社休業、人夫解雇セリ。(「関屋備忘録」)

4月 市渡・島川・文月各小学校大野小学校分校となる。

322日 北海道拓殖銀行令公布

27日 中学校令を改正公布(尋常中学校を中学校と改称、男子の高等普通教育機関とし実科教育を排する。)。実業学校令公布(中学校制度と並ぶ実業学校制度成立)

 

 

 

412日 この日、茂辺地小学校では、教員戸長、役員、学級委員等の指揮の下に本校高等科及尋常科第4学年の男性をして、杉苗1,000本を学林に植栽せしめた。

4月 本郷小学校廃校

413日 露国領事、函館に開設

28日 高等女学校令公布(高等女学校を女子の高等普通教育機関とする。)

 

 

 

4月 島崎藤村、当別の寿楽園主泰貞三郎の義妹フユと結婚

4月 函館区裁判所の大野村出張所が設立

614日 函館船舶司検所を改め函館海事局とする。

213日 所得税法公布(北海道、府県並みとなる。)

 

 

 

524日 上磯小学校で植樹した。尋常科3学年以上に杉苗2,000本を600余坪に植栽せしむ。また、明治31年に杉苗1,000本、明治35年に杉苗1,500本植栽している。

消防、ドイツ式新型ポンプ購入

94日 亀田郡亀田村内のうち19字を函館区に編入(新川を越えた東西の区域が編入)

2月 東京・大阪、東京・神戸間に長距離市外電話回線開通

 

 

 

613日 上磯農会が設立した。

 

915日 函館大火、豊川町出火、2,494戸焼失

31日 旧土人保護法公布(41日施行)

 

 

 

8月 函館運送業組合が11業者によって組織されていたが、その中の函館運送株式会社所有の曙丸(18.93トンの小蒸気船)は曳船のかたわら、対岸の有川、上磯、当別、木古内へ毎日一往復の定期航路を経営していたという。

 

101日 函館、札幌、小樽に区政が実施。亀田支庁を函館支庁と改め、庁舎を函館に移し、龍岡信熊支庁長となる。

316日 国籍法公布

 

 

 

 

 

1010日 函館電話交換局会所町に開設(翌年61日業務開始、加入者数320

324日 不動産登記法公布

 

 

 

 

 

113日 函館要塞築造竣工

727日 内務省、神道・仏教以外の宗教の宣布及び堂宇、会堂建設に関する規定を定める。キリスト教が初めて公的に宗教行政の対象となる。

 

 

 

 

 

函館戸数18,909戸、人口89,795

7月 要塞地帯法発布

 

 

 

 

 

 

83日 私立学校令を公布

 

 

 

 

 

 

アメリカ製自動車、初輸入

 

 

 

 

 

 

赤痢流行、全国で死者23,763人。全国の肺結核死者66,408人(総死亡の7.1%)

1900

明治

33

3月 (天理教)小講義、工藤文吉初メテ茂辺地ニ設置布教ニ従事ス。 明治4293日、道庁より教会設置ノ許可ヲ得、現今信徒漸チ大トナル。(『函館支庁管内町村誌』)

4萩野小学校開設、大野小学校分校となる。

328日 北海道で初めて衆議院議員選出の6選挙区が設けられる。

212日 農会令公布(41日施行)

 

 

 

3月 北海道1級町村制を大改正施行(町村長を長官任命から町村会の選挙、長官認可に改める。)

6月 大野村農会設立。会長松田泰次郎、副会長藤田市五郎。

421日 函館支庁要塞司令部設置

310日 治安警察法公布

 

 

 

621北海道1級町村制を実施する大野村・上磯村・福山村・福島村・江差町・寿都町・岩内町・余市町・増毛町・稚内村・岩見沢村・室蘭町・伊達村・釧路町・厚岸町・根室町の16町村村役場の位置を決める。(71日実施)

71日 大野村外15か町村が1級町村として発足。戸長役場廃止。従来の村は「大字」となる。神谷小太郎村長、加藤章三助役。

530日 杉浦誠没(75歳、最後の函館奉行)

424日 東京株式市場大暴落、各地に金融恐慌起こり翌年に及ぶ。

 

 

 

7月 谷好、富川、中野、清川を合併して上磯村と呼称し、1級町村制を施行

92日 最初の村会議員選挙が行われ、16人の村会議員が誕生。戸数988、人口7,148

71日 函館要塞地帯法施行規則を実施(函館山は、これから終戦まで約50年間黒いベールにつつまれた。第1区は基線から250間以内、第2区は基線から750間以内、第3区は内2,250間以内。更に方3,500間においても測量、撮影、模写など禁止)

4月 『明星』創刊

 

 

 

87日 フランス人、フランソワ・プリエが函館区元町35番地岡田初太郎の養子として入籍、明治34114日帰化して、岡田普理衛と改名同月18日届出

亀田郡七飯警察署市渡巡査駐在所設置

61日 函館支庁市内電話交換事務開始

620日 義和団事件

 

 

 

830日 村会議員選挙、当日2級、31816日協議人ニ当選者、8人 種田徳之烝、種田徳兵衛、中村佐兵衛、関屋八太郎、小松伊三郎、内山慶助、浜谷豊次郎、中西益太郎(「関屋備忘録」)

米品種「松田早稲」選出

64日 福山町大火

820日 小学校令を全面改正、尋常小学校を4年制に統一(勅令)

 

 

 

831日 村会議員1級選挙、中寺ニテ事務取扱、上磯ヨリ11名、4大字ヨリ5名、選挙掛長更科虎五郎、立会人1級種田(徳之烝)、小松2級神山、三崎、当選者、井上源七、三崎忠八、内山佐五平…(「関屋備忘録」)

大野、千代田、一本木で水争い、負傷者多数

1122日 函館鉄道、北海道鉄道と改称

101日 郵便法改正。私製ハガキ、封緘ハガキの使用を開始、私書箱制度を設ける。3月収入印紙発売。

 

 

 

8月 亀田上磯郡農会設立の認可下りる。事務所所在地函館市元町。※この年明治32年の農会法、33年の農会令に基づき、道内に16農会が設立された。

キリスト教日本聖公会講義所が開設

123日 函館大火(東川町155戸焼失) 124日 夕張大火(800戸焼失)

1019日 第4次伊藤博文内閣成立

 

 

 

916日 村会第2、午後1時ヨリ、村長十倉綱紀35円、助役鎌田寧國27円、収入役スコ寅治18円 註、大野村、村長30円、助役20円、収入役12円(「関屋備忘録」)

 

1224日 函館〜江差間に日本最初の米国式送信による市外通話開始される。

シンガーミシン、わが国に輸入される。

 

 

 

118日 沖川小学校校舎を野崎丘から屋敷内37番地の現在地に新築した。(清川学校を沖川小学校と改称(『北海道教育史』))

 

 

黒田清隆没(61歳)

 

 

 

トラピスト修道院が創立当時から経営していた孤児院に併せて私立野上尋常小学校を設け、貧困児童約30名を収容、慈善事業として教育事業を始める。ただし、学校は明治36年(1903329日、修道院の火災の時に閉鎖、後、公立学校開設で廃止

 

 

 

 

 

 

茂辺地天理教渡島国宣教師所創設す。

 

 

 

 

 

 

上磯の「忠魂碑」の揮毫者、陸軍大将子爵大迫尚敏が第七師団長となる。

 

 

 

1901

明治

34

41浜分小学校創設

317日 三吉神社社殿後方に明治三十四年三月十七日と刻まれた「三吉神社石碑」があり、元の社殿はこれ以前に建立されている。

411日 函館若松町出火、225戸焼失

32日 奥村五百子の呼びかけで「愛国婦人会」創立

 

 

 

9川田男爵、ロコモビルS2S蒸気自動車2,500円で購入

4市渡島川文月萩野分校独立して、尋常小学校となる。

430日 旧土人児童教育規定を制定

413日 漁業法公布(190271日施行)

 

 

 

1125日 庁立函館商船学校開設

大野農業補習学校廃止

6月 函館ドック株式会社開業式挙行

62日 第1次桂太郎内閣成立

 

 

 

富川、柳渓両校を統合して谷川小学校と呼称

光明寺に永井蠖伸斎・網代清四郎の墓が建立される。

810日 第1回北海道議員選挙

「箱根八里」「荒城の月」等の歌が流行

 

 

 

 

 

93日 札幌で「北海タイムス」が創刊

1回ノーベル賞、レントゲン他受賞

 

 

 

 

 

915日 札幌、小樽駅で自動公衆電話設置

 

 

 

 

 

 

1114日 釧路大火、300戸焼失

 

1902

明治

35

3月 ドイツ型腕用ポンプ1台購入

11月 亀田・七飯・大野・上磯の4村で、「大沼疏水組合」を結成

221日 北海道2級町村制改正公布

124日 弘前歩兵第5連隊第2中隊雪中耐寒行軍中、八甲田山麓で猛吹雪のため遭難、210人中199人凍死

 

 

 

41日 (内務省令第7号)施行の最初の2級町村数(郡制)は次のとおり。亀田郡5、上磯郡1、茅部郡1、山越郡1、桧山郡1

1210日 函館・本郷(現渡島大野)間、鉄道が開通。本郷駅開業。

54日 東川町出火、108戸焼失

41日 新漁業法公布

 

 

 

4月 北海道庁から「蚕種5,000蛾」の交付を受け各村農会に配布した。天候不順で好成績を上げられず。養蚕が継続的に奨励される契機となった。

江差本郷間乗合馬車組合、本郷駅〜中山峠〜鶉〜江差間で営業開始

119日 北海道林業会創立

621日 水産組合規則施行手続公布

 

 

 

523日 公立浜分尋常小学校と改称。25日、位置を大字上磯村字追分653番地に移す。

稲作が記録的な大不作。入船重太郎が大野で農業技術指導にあたった。

1210日 函館、本郷間鉄道開通

6月 東京高等師範学校の坪井教授、英国より帰朝、卓球を紹介する。

 

 

 

5月 村会「上磯村害虫予防委員設置ニ関スル規則」を可決した。

萩野小学校、東前へ移転新築

 

1121日 漁業組合規則施行細則公布

 

 

 

61日 運動会、沖川、浜分、谷川4校ノ併合、字黒森浜(「関屋備忘録」)

 

 

122日 国勢調査に関する法律公布(10年ごとに国勢調査を行う。第1回を1905年と予定したのが、のち延期)

 

 

 

8月 村会「学務委員ノ組織及任期ニ関スル規則改正ニ関スル規則」を可決した。

 

 

ゴーリキー(ロシア)、『どん底』刊

 

 

 

8月 村会「大野村外3村水利組合設置ニ関スル件」を可決した。

 

 

 

 

 

 

12月 第27回村会は「大沼疏水工事中防水設備ニ関スル意見書」提出の件を可決した。

 

 

 

 

 

 

就学率向上のため、子守をしながらの通学を認める規定を公布

 

 

 

 

 

 

オランダからホルスタイン種々牛1頭と乳牛4頭を購入、畜産の経営に向けて始動した。

 

 

 

 

 

 

修道士17名となったが、帰国者6名、病死者2名、9人に戻った。(「トラピスト修道院資料」)

 

 

 

 

 

 

村医、竹内季朔、医師、菊池理伴、菊池久志、種田等、斉藤金弥(「関屋備忘録」)

 

 

 

 

 

 

秋、茂辺地館跡に村民は菅公1千年祭を記念して梅園記念碑を建つ。碑文は仙台岡千仭の撰なり。村社矢不来天満宮の付属地となす。

 

 

 

1903

明治

36

2月 第3回村会は、上磯村会会議規則名次のとおり改正した。第27条 議場ニ列スルモノハ「フロックコート又ハ羽織袴」ノ七字ヲ挿入ス。理由 此ノ改正ヲ要スルハ村内民度ニ適切ナラサルニ由ル。(「村会議案目録」)

628日 森、本郷間鉄道開通(113日森、熱郛間開通)

12月 松前支庁、紗那支庁を廃止

329日 日蝕、午前856分ヨリ1142分、57厘無風晴

 

 

 

317日 村会再開、村長ニ中島有郷ヲ選定給料ハ金30円ニ。(「関屋備忘録」)

87日 自彊会(東前谷地)発足

大沼、鹿部間客馬車営業開始

413日 小学校令一部改正(国定教科書制度を定める。(翌年41日施行)

 

 

 

329日 函館教区長ベルリオーズ司教によって建てられた当別トラピスト修道院木造平屋1棟及び付属建物が焼失した。

モミの新種はなく、古種は二度まきしても発育不良、大野村農会は札幌から赤毛早稲400俵を購入して急場をしのいだが、2割以上はひえを植えねばならなかった。その後、気候は順調となり平年作までこぎつける。

 

822日 東京新橋、品川間電車開通(民間経営)

 

 

 

3月 上磯学校用地として種田徳之丞が520円相当の土地を、種田徳兵衛が510円相当の土地をそれぞれ寄付した。

大野村議会選挙

 

1121日 第1回早慶野球対抗試合

 

 

 

614日 「上磯丸、上磯セメント会社前行、毎日午前5時、午前11時、午後4時、乗船賃金金25銭、但シ両艀賃共。和田回水槽店」の広告あり。(「函館新聞」)

中村長八郎、大沼で製氷事業を行う。

 

一高生藤村操が日光華厳滝から投身自殺全国の話題をにぎわす。

 

 

 

6月 茂辺地説教場、寺号公称の許可を得て明行寺と号す。寺号公称に際し、並びに寺門の経営に対し、檀家高嶋徳三郎の尽力に俟つところ多し。

 

 

ライト兄弟(アメリカ)、飛行機(16馬力複葉機)で初めて飛ぶ。

 

 

 

6月 北海道庁から下付された種子給与費金を亀田上磯郡農会に配布した。郡農会では、ソバ種子20石購入し各村農会に配布した。上磯村農会には3石のソバ種子が交付された。

 

 

パブロス(ロシア)、条件反射の現象を発見(大脳生理学の基礎を築く。)

 

 

 

923日 風害おこる。このため12月の第13回村会は次の決議をした。 明治36923日ノ風害罹災地及稗植付用地ノ貸地地料ハ36年分限リ左ノ範囲ニ於テ之ヲ減免スルコト 風害地、稗植付用地3分ノ2(「村会議案目録」)

 

 

 

 

 

 

1029日 葛登支岬で東海丸が露船プロクレースと衝突沈没し死傷17、生死不明41(久保田船長殉職)

 

 

 

 

 

 

トラピスト修道院で初めてバターを製造した。

 

 

 

1904

明治

37

峩朗採掘場・工場間に763粍軌間の馬車鉄道開通。トロッコ貨車56台を1頭の馬にひかせて編成とし、6編成位で約7kmの道程を運搬した。

9月 道会議員の選挙があり、中村長八郎が当選した。大野としての道会議員第1号。

26日 海岸監視哨設置(函館、森、江差、寿都)

25日 日露国交断絶

 

 

 

26 6日ニ巨済島沖海戦アリシ如シ(「関屋備忘録」)

千代田村有志の寄付により、千代田稲荷神社の境内に千代田巡査駐在所設置

28日 函館で要塞地帯法により17人退函を命ぜられる。(函館正教会所属の教師らが露探の嫌疑を受け、22日までに更に7人が追放を受ける。)

210日 ロシアに宣戦布告(日露戦争)

 

 

 

29日 日露開戦(28日陸軍先遣部隊仁川上陸・210日宣戦布告)と同時に、函館在住のハリストス正教会の伝道者ら、要塞地帯法違反嫌疑者として函館から退去させられ、上磯村中野の「有川教会」に移る。

この年米は明治19年以来の大豊作。各地で競犁会が行われたのはこのころからである。

211日 商船奈古浦丸、津軽海峡で露艦に撃沈され、青森、函館間の航路数日休止。人心恟々となる。船賃高騰

211日 宣戦詔勅、旅順海戦ノ大勝利

 

 

 

211日 浦塩艦隊、津軽海峡に出現商船を襲ふ。まさに晴天の霹靂で、福山陥落、市街は兵火のために全滅したといふ噂は八方にひろがり、函館市街の如きは、家財をすてて続々と避難し、悲喜劇が随所に演せられた。函館、小樽には銀行の取付沙汰すらあった。(『北方文明史話』)

 

58日 小樽大火、2,481戸焼失

212日 清国、日露戦争に中立を宣言

 

 

 

31日 衆議院議員選挙。有権者27名投票者25

 

5月 樺太より邦人342人引揚げ函館入港

212日 浦塩艦隊4艘、嘘報頻々、小樽砲撃、江差焼払、寿都焼払、福山砲撃上陸其ノ外(「関屋備忘録」)

 

 

 

810日 道会議員選挙、有権者93名、投票者46

 

71日 函館駅を若松町に新築開業

224日 午前2時、旅順口封鎖(仁川丸、天津丸、報国丸、武揚丸、武州丸ノ老朽5船ニ石材ヲ満載、将校10名以下67名ノ決死者馳逐艇4艘の保護ニ無事、1人戦死アリ)(「関屋備忘録」)

 

 

 

茂別村に石別水産実業補習学校設立

 

1015日 小樽、小沢間鉄道開通(小樽、函館全線開通)

41日 非常特別税法、煙草専売法各公布(ただし千島の諸郡には同法を施行しない。)

 

 

 

日露戦争の際、軍用を目的とし、水嶼隣太、種田徳之丞の2人各々2万円の資本を以て斯業を起し種田製造工場は昆布及身缺鰊、水嶼製造場は鮪及鰯を用ひ其後種々の種類を製造し、其産額頗る多かりしが、平和克服の後其業不振に傾き今や地蔵町に佐々木缶詰工場の存するを見るのみ。(「函館区史」)

 

北海道にもローンテニス、ベースボール等流行

425日 日本軍輸送船金州丸、朝鮮元山沖で露国艦隊に撃沈さる。

 

 

 

北海道セメント会社に勤務の中川右一郎(号、桃林斉竹塘)により「古池連好友会」を結成(『風趣』)

 

 

7月 島崎藤村『破戒』を自費出版のため秦家を訪れ400円を借用

 

 

 

 

 

 

810日 日・露艦隊、黄海で海戦

 

 

 

 

 

 

9月 遼東半島占領

 

 

 

 

 

 

9月 与謝野晶子、「君死に給ふこと勿れ」(詩)を『明星』に発表

 

 

 

 

 

 

10月 沙河の戦闘で勝利

 

 

 

 

 

 

1126日 第3軍、第3回旅順総攻撃を開始(125日二〇三高地を占領)

1905

明治

38

15日 種田金十郎病没(「関屋備忘録」)

318日 旅順方面で戦死した大野町出身者5人の合同葬儀が大野小学校で軍人待遇会によって行われる。

37日 函館煙草販売所設置

11日 非常特別税法改正、相続税法・塩専売法、臨時事件費支弁に関する法律改正各公布

 

 

 

46日 火事、谷好村夜8時半ヨリ、棟数50戸数70村落ニ稀ナル大火(「関屋備忘録」)

大野が常に中心となって進められてきた大沼疏水組合は、4村の足並みが揃わず解散となった。

3月 江差銀行、松前銀行、札幌貯金銀行が合併して北海道貯蓄銀行発足

11日 旅順のロシア降伏

 

 

 

620日 駒ケ岳鳴動噴煙噴灰(「関屋備忘録」)

 

51日 庁立函館高等女学校開校式

216日 郵便貯金法公布

 

 

 

当別小学校を石別小学校を改称

 

819日 駒ケ岳爆発

31日 北海道罹災救助基金法公布

 

 

 

木古内の鈴木農場と契約し、その生産乳の供給を受ける。最初の牛乳購入出張所を木古内に設けた。(「トラピスト修道院資料」)

 

1021日 釧路、帯広間鉄道開通(狩勝トンネル完成。953メートル)

310日 奉天を占領(後日、この日陸軍記念日)

 

 

 

 

 

1212日 大湊を海軍軍港とする旨公布

527日 日本大海戦(後日、この日海軍記念日)

 

 

 

 

 

1228日 大沼公園設置予定地を設け、本道地方費をもって経営する。

77日 日本軍、樺太上陸(30日、露軍降伏)

 

 

 

 

 

 

95日 日露戦争終結、ポーツマス講和条約調印

 

 

 

 

 

 

96日 日比谷焼打事件発生し東京に戒厳令発布(1129日まで続く。)

 

 

 

 

 

 

1016日 日露平和克復の大詔渙発。ポーツマス条約批准

 

 

 

 

 

 

アインシュタイン(ドイツ)、特殊相対性理論を発表

1906

明治

39

2月 川田龍吉、弟豊吉と共に函館ドックの業務調査のため来函、42日、函館ドック専務取締役(社長職)に就任す。

4月 道庁から雄馬ダイヤモンド号が派遣され、馬種改良運動がこの年から開始された。

7月 函館、青森間長距離電話開通

17日 第1次西園寺公望内閣成立

 

 

 

616日 茂辺地小学校ニ於テ本校出身ノ出征軍人佐々木菊松、樋口岩太郎、芳賀義憲ノ三君ヲ招請シ講話ヲ開キタリ。(『茂辺地小学校沿革誌』)

9月 道会議員選挙が行われ、能戸清五郎が選出される。

98日 函館、札幌間直通列車運行開始

224日 日本社会党結成

 

 

 

94日 セメント会社社地内ニ分霊ヲ設置(秋葉神社)(「関屋備忘録」)

10月 大野興風会発足

10月 王子製紙株式会社苫小牧工場設置

320日 東京上野公園内に帝国図書館開館

 

 

 

10月 渡島水電株式会社(後函館水電株式会社と改称)設立

千代田同志会発足

1113日 姥神大神宮など20社、神饌幣帛料供進神社に指定される。(指定の初め)

331日 鉄道国有法公布(101日施行)

 

 

 

上磯在郷軍人会が結成された。

宿屋13、理髪店8、質店1、風呂屋1、戸数1,360、人口7,900

1220日 北海道庁第9代長官に河島醇

3月 韓国総督府開庁(伊藤博文初代総監)

 

 

 

トラピスト修道院で大野村に牛乳購入出張所を設けた。

この年の稲作は9月以降寒冷で、降霜雪も早く前年以上の凶作に終わる。

プロシアの駐日大使館付武官デルメラントキーフ大尉、札幌月寒の歩兵25連隊視察の際将校にスキーを贈る。

41日 青森港開港

 

 

 

茂別消防組、設立される。

 

函館の大森浜、この頃より海水浴場としてにぎわう。(上磯は大正3年頃)

6月 日本、樺太の南半を領有

 

 

 

茂辺地戸長役場2級町村制を実施し、茂別村役場となる。

 

函館戸数23,271戸、人口90,885

91日 煙草の両切り、ゴールデンバット発売(10本入4銭)

 

 

 

茂辺地郵便局電信取扱

 

函館区内、赤痢患者200

1126日 南満州鉄道株式会社設立

 

 

 

川田龍吉、アメリカから馬鈴薯の新種、アイリッシュ・コプラーを輸入、七飯の農場で実験栽培をする。(明治42年まで毎年種イモを取り寄せ実験を重ねる。)

 

 

12月 年賀郵便の全国一斉取扱開始

1907

明治

40

310日 中島有郷が村長に再選された。

21日 無限責任大野信用組合設立、716日に登記手続きが完了して発足

37日 第7師団野砲兵第7連隊の兵37人が上官の虐待に反抗して脱営事件が起こる。

121日 東京株式相場暴落(日露戦争後の恐慌の端緒)

 

 

 

3月 小池連好友会で俳諧誌『風趣』を発行。本町で最初の文芸誌

39日 市渡向上会発足

315日 樺太庁官制公布(軍政廃止)

212日 福田英子・堺為子・菅野スガら、女子の政治結社・集会参加の請願を衆議院に提出(316日衆議院可決、同27日貴族院否決)

 

 

 

4月 七飯警察署が廃止となり、上磯分署は大野分署に所属す。

4月 郡区役所の廃止に伴い、福山、七飯の二警察署が廃止され、函館警察署の所轄として福山、大野の二分署が設置された。

4月 函館税務署汐見町に新築落成移転(昭和9年大火、焼失後新川町に新築移転)

321日 小学校令改正(尋常科6年制、高等科13年制となる。)

 

 

 

610日 茂辺地漁業組合設立

8月 能戸清五郎、2期目道会議員当選

55日 石川啄木、岩手県渋民村から来函。青柳小学校代用教員として9月まで居住

41日 帝国鉄道庁設置

 

 

 

810日 道会議員選挙、七飯村と併合池田醇ヲ候補トナス、有権者99人ノ処投票者81人、18人不在ニ病人(「関屋備忘録」)

この年、凶作対策として道庁が大野に特設した玉ねぎは大豊作、16厘(0.6kg10kg6銭の割合)に暴落したばかりでなく、全然買い手なしというありさまであった。

64日 堤清六、帆船宝寿丸(163トン)で新潟を出航、カムチャツカ漁場へ向かい平塚常次郎と事業経営

718日 中等学校、高等女学校の入学資格を尋常小学6年卒業生以上とする。(それまでは高等小学校2年生卒業程度)

 

 

 

822日 村会議員補欠選挙、午前ハ2級午後ハ1級選挙、1級ノ欠種田徳之丞死亡、補欠坂見浅五郎、2級ノ欠坂見浅五郎失格補欠種田徳兵衛(「関屋備忘録」)

トラピスト牛乳出張所が設置される。

825日 函館大火、8,977戸が焼失(2分の1市内焼失)

「デカンショ節」が流行

 

 

 

8月 ドイツ型腕用ポンプ1台購入

消防、新式ポンプ1基有志の寄付により購入

826日 函館大火災、25日夜10時半ヨリ願乗寺浦東川町石鹸製造所ヨリ発火、26日朝7時頃大火ノ珍事コレハ函館始マリテノ大火災、12年ノ12月大火ニ比スル殆ンド倍以上ナリト、戸数ハ123千戸、損害ハ2億以上(「関屋備忘録」)

 

 

 

 

98日 義捐金1円也、函館大火災窮民救助金ノ内、村長中島大イニ奔走ス、コレハ5日来村長大イニ骨折リ上磯有志トシテ金100円ヲ寄贈セシ事、種金25円、種田、落合、平野、種田10円其ノ他各(「関屋備忘録」)

このころ、上田医院会院

913日 石川啄木、家族を函館に残し単身札幌へ転出

 

 

 

 

出張所にクリーム分離機器を備え付け、そこで買い入れ生乳を分離し、クリームのみを修道院に送る方法をとる。その後、茅部郡、山越郡の諸村15か所に分離器を設置したこともあり、札苅・釜谷・木古内・知内・大野・七飯・八雲・鹿部からクリームが搬入された。(「トラピスト修道院資料」)

 

1021日 函館要塞砲兵大隊を函館重砲兵大隊と改称

 

 

 

 

セメント運搬船が転覆し44樽が海中に沈む。船の事故は度々起こった。

 

函館に野球クラブ「函館太洋倶楽部」創設

 

 

 

 

上磯軍人会を上磯村軍人団と改称

 

 

 

1908

明治

41

15日 追分青年団が上磯村大字上磯村字追分に創立した。

327日 清水川青年同志会発足

11日 宮内省御料局を帝室林野局と改め札幌に林野局支庁を設置(大正3815日支局に改める。)

25日 警察署、消防官の制服制帽着用が始まる。

 

 

 

1月 追分の灌漑工事施行を可決。字追分の灌漑工事に関する経費は、灌漑疏水の灌漑が及ぶ土地の所有者が負担する建前の「特別税特別反別割条例」を可決した。

大野分署の所轄下に七飯巡査駐在所が開設。大正15年には道庁管制が改正されて警察分署の制度がなくなり、函館警察署の所轄に変更

17日 新夕張炭鉱でガス爆発事故、91人死亡

316日 増税法公布

 

 

 

2月 「上磯村夫役現品賦課徴収条例」を設定した。

のちに果樹王と呼ばれた岡山峰吉が移住。

223日 青森、室蘭間定期船陸奥丸、椴法華沖合で秀吉丸と衝突沈没し、239人死亡

328日 監獄法公布(101日施行)

 

 

 

2月 上磯漁業組合が設立。組合長には種田幸右衛門がなった。

 

2月 台町、蓬莱町の遊廓が大森町に移転

41日 小学校義務教育6か年制実施

 

 

 

627日 上磯・谷好・富川3か村連合漁業組合(後に「上磯漁業組合」となる。)設立。初代組合長、平野浅吉。

 

37日 青函航路に比羅夫丸就航(148,041トン) 44日青函航路に田村丸就航(料金下等1円)

428日 第1回ブラジル移民781人、神戸を出発

 

 

 

9月 村会が山林払下出願を可決した。上磯郡上磯村所在官林ノ全部 山林面接約3,000町歩 此価格15,000円以内 右上磯村基本財産トシテ土地、樹木共特別払下ヲ北海道庁長官ヘ請願スルコト(「村会議案目録」)

 

3月 亀田駅焼失(51日営業停止)

714日 第2次桂太郎内閣成立

 

 

 

1028日 当別トラピスト修道院は、煉瓦2階建本館を旧本館の跡に落成、祝別開院会を挙行(「トラピスト修道院資料」)

 

47日 函館暴風、風速31.1メートルに達す。

930日 文部省、明治42年度暦から陰暦の月日併記を廃止

 

 

 

 

 

710日 倶知安町大火、159戸焼失 813日 幌内炭山市街大火、277戸焼失

1013日 「戊申詔書」換発

 

 

 

 

 

8月 渡島水電株式会社大沼第1発電所竣工

1016日 司法省、全国監獄に受刑者の指紋徴取を指示

 

 

 

 

 

1016日 石川啄木夫人節子、宝尋常小学校の代用教員となる。(424月退職)

1026日 榎本武揚没(73歳)

 

 

 

 

 

 

年末における70歳以上の老人、全国で1,460,084人、国民の2.94

1909

明治

42

1月 明治4197日の山林特別払下出願の件を次のとおり更正した。渡島国上磯郡上磯村地内国有林 面積1,720529歩 此産物共(「村会議案目録」)

74日 大野村に庁立渡島農事試験場設置

11日 函館、室蘭間長距離電話開通

31日 日本写真館夜間撮影開始

 

 

 

9月 三木露風詩集「廃園」を出す。

大野村会議員選挙。有権者242人。

111日 北海道庁焼失

414日 種痘法公布(新生児の種痘義務化など。明治4311日施行)

 

 

 

10月 第2回農産品評会 山口角三郎(上磯村)米部門2等賞、トラピスト(茂別村)小麦・蔬菜類2等賞(「函館新聞」1030日)

本郷駅より乙部村に至る軌道敷設運動起こる(厚沢部村)。

329日 茅部郡臼尻村熊泊鉱山の硫黄精錬所付近で山くずれが発生し、31人圧死

56日 新聞紙法公布(内相に発売頒布禁止権を付与。新聞紙条例廃止)

 

 

 

10月 上磯で最も早く電柱・電線(路)がセメント工場内に敷設された。前島密・加藤正義の斡旋により、原動力を水力に切換えた。北海道で最も進んだ工場(『産業発展のあゆみ』)

本郷駅が公衆電報取扱駅となる。

330日 樽前山爆発

625日 度量衡法施行令公布(ヤード・ポンド系も採用)

 

 

 

セメント会社、回転窯2基ドイツより増設

 

425日 小樽手宮町出火、700戸焼失

94日 清国と、間島に関する協約・満州5案件に関する協約各調印

 

 

 

本町に電灯ともる。

 

620日 函館太洋クラブ、米艦クリーブラント号乗組員と親善野球試合を行う。

1026日 伊藤博文、露蔵相と会談後、ハルビン駅頭で韓国人に暗殺さる。(69歳)

 

 

 

 

 

1025日 岩内町大火、275戸焼失

「ハイカラ節」「金色夜叉」の歌が流行

 

 

 

 

 

10月 函館支庁庁舎新築落成

 

 

 

 

 

 

1123日 函館本線の列車のストーブをスチームヒーターに切換える。

 

 

 

 

 

 

全道の人口150万人、耕地50万町歩を越える。

 

1910

明治

43

213日 石別村漁業組合設立

大野村教育会発足

310日 日本郵船株式会社、国有鉄道青函連絡船就航に伴い、青森・函館・室蘭3港連絡航路のうち函館・青森間を廃止

53日 青森大火、7,500戸焼失

 

 

 

515日 秋葉神社祭典応招参詣、右ハ午前9時ノ使ナルモ強風函館発船困難ニテ11時ニ始マリ、ビヤホール、オデン、ソバ、シルコ店回遊ノ上社長ノ2階トクラブノ2ケ所ニ馳走、芸者12、余興に手舞、活動写真、角力、旗行列、楽隊昨年ヨリ大賑ナリシ。(「関屋備忘録」)

大野郵便局、公衆電話(郵便局へ赴いて呼び出してもらう電話)開通

51日 函館、旭川間直通列車運行開始(16時間)

519日 ハレー彗星出現

 

 

 

76日 茂辺地村矢不来ニ於テ施行セラレタル函館重砲兵実地演習見学ノ為メニ校長等4名ニテ尋常科第3学年以上ヲ引率シテ参観セリ。(『茂辺地小学校沿革誌』)

クリーム処理場ができる。

721日 有珠岳鳴動し地震頻々。25日、爆発し10月まで続く。(『北海道史附録年表』)

525日 大逆事件の検挙開始

 

 

 

113日 帝国在郷軍人会の設立を受けて「上磯村軍人団」は「帝国在郷軍人会・上磯分会」となる。

園芸品評会が開催

7月 新十津川に北海了谷(泉了谷)陶磁器会社設立(了谷はのちに函館で湯川焼を製作)

822日 韓国併合に関する日韓条約調印(29日条約公布、施行)

 

 

 

11月 三木露風詩集「寂しき曙」を出す。

大野女子同窓会発足

8月 西本願寺函館別院新築落成

829日 韓国の国号を改め朝鮮と称し、朝鮮総督府を置く旨各公布

 

 

 

 

 

920日 函館区公会堂落成。開堂式を行う。

113日 帝国在郷軍人会、発表式を行う。

 

 

 

 

 

1011日 函館、森間電話開通

 

 

 

 

 

 

129日 中華会館新築落成

 

 

 

 

 

 

1225日 青函連絡船繋留T字型木造桟橋田村丸から使用開始(1120日工事完成)

 

1911

明治

44

11日 七重浜新道青年義団創立。会員36

4月 文月尋常小学校、大野小学校分教場となる。

11日 日本製鋼所室蘭工場諸施設完成し操業に入る。

118日 大逆事件の幸徳秋水ら24人判決(124日、秋水ら12人死刑執行)

 

 

 

224日 「函館、茂辺地、福山間の長距離電話架設費は4,200円を要する由なるが約半額を民間より寄附するに於ては、政府にて架設すべし」との声に茂辺地、福山、福島の3等郵便局長来函し、函館局長と協議の結果函館区に於て1,000円、三地方に於いて、1,200円の寄附金を募集し本年度中に架設せしめんと目下準備中なりと言う。(「函館毎日新聞」大正元年1026日」)

5月 大野牧場の払下げが許可される。

322日 海岸町出火、140戸を焼失

329日 工場法公布(日本最初の労働立法。191691日施行)

 

 

 

228日 上磯村竹馬会創立。事務所ハ上磯村字上町ニアリ、会員36

8月 亀田郡以下10郡の牛馬共進会が函館湯川通時任農場で開かれ、広い野原が人と牛馬であふれた。

3月 函館の電話磁石式となる。(加入者874人)

47日 改正市制・改正町村制公布(市町村の法人性を明らかにし、市の執行機関を参事会から市長とする。101日施行)

 

 

 

414日 函館市真砂町の大火により、北海道セメント会社事務所及びセメント倉庫が全焼

10月 公立病院以来親しまれた上田春庭が東京へ転じ、大場敏松が公認村医として来任。

41日 五稜郭に函館鉄道工場設置

49日 東京浅草新吉原より出火、6,500戸焼失。吉原遊廓、ほとんど焼失

 

 

 

51415日 秋葉神社祭典

11月 在郷軍人会の手によって、観音山に忠魂碑建立。千代田の忠魂碑もこの年に建てられた。

516日 小樽区大火、手宮出火、1251戸焼失

615日 大鳥圭介没(79歳)

 

 

 

721日 川田龍吉、函館ドック専務取締役を退き相談役となる。後任は弟豊吉

大野川発電所着工

516日 北海道庁第10代長官に石原建三

78日 野口英世、米国で梅毒病原体スピロヘータ・パソダの純粋培養に成功

 

 

 

820日 皇太子殿下、本道に行啓ありて函館に御上陸。 茂辺地小学校ハ本日参集セル児童ヲ浜辺ニ引率シテ整列セシメ午前840分、皇太子殿下ノ御召艦当地沖通過ニ際シ一同最敬礼ヲナサシム。(『茂辺地小学校沿革誌』)

1回野菜果物品評会開催

71日 函館、釧路間直通列車運行開始

7月 大日本体育協会結成(オリンピック代表の選挙母体となる。)

 

 

 

9月 沖川青年協和団創立。会員45

 

91日 五稜郭駅新設、営業開始

830日 第2次西園寺公望内閣成立

 

 

 

11月 上磯小学校及浜分小学校改築積立金造成規則ト上磯小学校及浜分小学校改築積立金会計規則ヲ可決シタ。(「村会議案目録」)

 

 

1115日 東京市、浅草職業紹介所・芝職業紹介所を開設(公設職業紹介所の初め)

 

 

 

1222日 セメント工場内で回転窯場の火災で2万円以上の損害を出した。※この年だけで6件の火災が発生した。(「関屋備忘録」)

 

 

1214日 ノルフェーのアムンゼン、初めて南極に到達する。

1912

明治

45

327日 小松伊三郎道会議員ニ当選ス、531票、競争者ナシ。(「関屋備忘録」)

4月 市渡小学校に中山分教場を設置する。(大正11年まで)

2月 亀田郡大沼村に函館訓育院設置(19244月、道庁に移管して庁立大沼学院となる。)

11日 南京に中華民国臨時政府成立(212日清国の宣統帝退位、清朝滅亡)

 

 

 

6月 下の件が村長から村会に諮問された。 水力利用ニ関スル件 本村戸切地川ノ上流ニ又沢ヨリ引水シテ大泊沢ニ発電所ヲ設ケ桧山、松前、上磯、亀田4郡ニ動力並ニ電灯供給ノ目的ヲ以テ函館区栄町瀬崎初三郎ヨリ水力使用願ヲ其筋ヘ提出セリ 上ニ対スル意見如何 上諮問ス 村長(「村会議案目録」) 本件は12月村会で「却下する」と答申した。

 

412日 函館音羽町出火、722戸焼失

413日 石川啄木、東京で病没(27歳)

 

 

 

 

 

429日 夕張炭鉱でガス爆発、267人死亡

76日 第5回オリンピック、ストックホルムで開催。三島弥彦、金栗四三、日本選手として初参加

 

 

 

 

 

615日 「函館日日新聞」、「函館新聞」と改題

730日 明治天皇崩御。大正と改元

 



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