明 治 時 代 |
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西暦 |
和暦 |
(年) |
旧上磯町 【北 斗 市】 旧大野町 |
北海道 |
全国 |
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1868 |
明治 |
1 |
10月23日 弘前藩兵、久根別を守る。 |
10月24日 意冨比神社の森をはさんで、明治新政府軍の福山藩・大野藩・松前藩3藩と、榎本軍大鳥圭介部隊とが戦火を交える。 |
10月20日 榎本武揚率いる艦隊、鷲ノ木に入り、兵を分け五稜郭・箱館に向かう。 |
10月13日 天皇、京都より東京に行幸、江戸城を皇居と定む。 |
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10月24日 松前藩兵、野崎の陣屋を焼く。 |
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10月22日 開戦。夜、政府軍、榎本軍先鋒を峠下村に襲撃したが破れ、城山郷、七重村に退き、更に敗れて大川村に退陣 |
何らかの学校教育を受けた者、全国で、男児43%、女児10% |
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10月 幕末維新の頃濁川の名主は高田五兵衛が勤めていた。これが松前陣屋を焼くのに一役買って出た。征討軍と徳川軍との間に立ってこの挙に出るべく画策したものである。 |
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10月26日 榎本軍五稜郭占拠。27日 峠下で戦斗開始、館新城工事中止。11月15日 館城を攻略す。 |
「宮さん宮さん」の俗謡流行 |
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10月 脱走軍は進撃中に防備も計画し、新保塁を、茂辺地、福山、江差方面にも沢山築いた。 |
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11月15日 旧幕府軍艦開陽艦、江差港にて暴風のため暗礁に触れて破壊 |
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10月 脱走軍守備兵配置 五稜郭800、函館300、松前400、江差250、福島150、鷲木100、室蘭永鯨艦、其他森、砂原、河汲、有川、矢不来、当別、木古内等各一小隊(『北海道史要』) |
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11月19日 松前徳広、長栄丸で津軽に逃れ、22日平館着、24日弘前薬王院へ入る。29日、薬王院で病疫 |
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11月 脱走軍は各地に兵備を整えたが、有川村には、神木隊50人と松前からの捕虜30人を配置駐屯した。 |
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12月15日 榎本軍、蝦夷島を平定。士官以上の公選により総裁以下選任 |
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1869 |
明治 |
2 |
4月9日 政府軍、乙部上陸開始 |
4月13日から29日まで、乙部から上陸した官軍と、榎本軍の土方歳三部隊とが、江差山道の下二股を主に激戦を繰り広げた。 |
1月1日 観音崎灯台(第3等)初点(洋式灯台の初め) |
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4月19日 大鳥圭介、兵300で泉沢・矢不来を守る。 |
1月9日 松前修広第19代藩主となる。 |
2月15日 政府、榎本軍追討令出す。 |
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4月20日 春日艦は当別、木古内沖に。 |
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2月19日 榎本武揚、七重村に300万坪の地を99か年の約定で「ガルトネル」へ貸与す。 |
2月24日 太政官を東京に移転すること(事実上の遷都)を決める。 |
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4月22日 徳川勢200人有川村を守る。 |
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4月17日 福山城の旧幕府軍敗走す。 |
3月7日 天皇、東幸のため京都を出発(28日東京着(東京遷都)) |
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4月23日 官軍木古内に進む、甲鉄、春日の2艦、矢不来・富川の賊営を撃つ。 |
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4月 旧幕軍、五稜郭後方に台場を急造す。 |
7月2日 日本の銭貨を統一(1両=10貫文とす。) |
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4月24日 春日艦は函館港、丁卯艦は木古内辺に。有川村より82名二股口へ出張。官軍敗退す。 |
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5月11日 弁天町から出火、872戸焼失(脱走軍の放火) |
7月8日 開拓使を設置 |
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4月25日 徳川勢茂辺地村に屯致居候処へ官軍6人夜中に切込み10人切殺し早々帰る。後は同士打にて騒動して手負10人箱館へ送り来る。 |
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5月11日 政府軍、箱館包囲完成す。 |
7月17日 東京、大阪、京都以外の府を県と改称 |
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4月26日 大鳥圭介、五稜郭より兵500余人に率いて矢不来に屯す。 |
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5月15日 弁天台場の守将松平平太郎以下240人政府軍に降伏す。 |
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4月27日 官軍蒸気船4艘、当別村海岸迄押来り。 |
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5月16日 千代ケ岡守備隊敗北し、守将中島三郎助父子ら戦士す。 |
10月14日 (11月17日)スエズ運河、正式に開通 |
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4月28日 大鳥圭介指揮する所の兵と矢不来にて激戦 |
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5月17日 官藩は松の岱(江差)に政府軍戦死者92名の遺骸を葬り墓碑を建立 |
10月 フェントン、「君ケ代」を作曲 |
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4月29日 海陸より矢不来を攻め占領する。賊兵有川から七重浜と後退する。賊死傷者250人程。 |
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6月16日 箱館府、ガルトネルと開拓のため七重村の地の租借を約定 |
11月24日 剪髪堅く禁止。結髪致すべき足軽共まで惣髪たるべく、50歳以上の者は月代撫髪共御免 |
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5月1日 矢不来台場政府軍に打落とされる。榎本軍140〜150人あり。矢不来の敗戦で二股口の塁を棄てる。 |
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8月 北蝦夷地を樺太と改称 |
11月27日 年寄、名主制を廃し、大年寄、中年寄を置く。 |
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5月3日 徳川新撰組有川村官軍之屯へ夜打に参途中七重浜にて官軍に行逢ひ戦争に相成候−徳川勢一亀田村御仕置場引退く。官軍勢有川村へ引取申候(『渡嶋戦争心得日誌』) |
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9月30日 開拓使出張所を箱館にひらき、「箱館」を「函館」と改称(8月15日ともいう。) |
12月25日 東京・横浜間に電信開通 |
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5月11日 朝7ツ時官軍蒸気船七重浜へは朝陽艦、陽春艦、2艘、大森浜へは丁卯艦1艘、山背泊へは甲鉄艦、春日艦2艘三方一度に大砲打込候処徳川方回天丸、幡龍丸其外弁天岬大砲台、亀田川尻台場、大森浜台場、亀田御仕置場之台場、軍艦其外台場、煙硝蔵へあたり朝陽艦は破裂して−朝陽艦本日の戦57人戦士(『渡嶋戦争心得日誌』) |
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9月 函館民生方病院を函館病院と改称 |
「ぎっちょんちょん節」「都々逸」が流行 |
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5月15日 総督清水谷公考江差より進みて有川村に陣す。 |
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9月 藩窮余の策として藩札発行。オランダ商社より現金6万ドル、米4万ドル、合計10万ドル借款 |
村吏等の不正・誅求・物価騰貴・租税の重圧などを原因とする農民一揆、全国的に発生(この年の前後数年間、特に激発) |
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5月16日 生捕257人縄付で有川村陣所へ引き上げる。 |
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10月19日 開拓使、函館沖ノ口番所を海官所と改称 |
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5月17日 榎本軍降伏 |
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中川嘉兵衛、五稜郭で製氷を試み成功す。 |
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5月18日 朝、榎本釜次郎、松平太郎、大鳥圭介、荒井都之助等軍門に降る。(戊辰戦争終わる。) |
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箱館の戸数3,303戸、人口14,600人。北海道人口58,467人。 |
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6月1日 損害を受けた各村に米、金の一時金以外に10か年賦米、金拝領をしている。 |
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8月 渡嶋国亀田、上磯、茅部3郡、後志国寿都郡を本使直轄とす。 |
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8月15日 蝦夷地を改め北海道と称し、11国(石狩、胆振、渡島、後志、天塩、日高、十勝、北見、釧路、根室、千島)86郡(渡島国は亀田、茅部、上磯、福島、津軽、桧山、爾志の7郡で、山越郡は当時胆振国の所轄区域とされ、兵部省の直轄となる。) |
7月 蝦夷地一円が北海道と称され、11か国に分けられることが公布された。全道は86郡に分けられ、大野は渡島国亀田郡となる。 |
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明治2年より14年度に至る開墾段別をみるに亀田、上磯2郡において田269町歩、畑871町歩、合計1,130町歩に達した。 |
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1870 |
明治 |
3 |
3月26日 現在の広徳寺類焼す。6月15日看住上田順応一時再建す。 |
10月 本郷から役所に提出された『宗門人別帖』が今も道に保存されている(名主釜沢太右衛門・年寄内田籐兵衛・百姓代田村彦十郎)。 |
2月13日 樺太開拓使を置く。 |
1月3日 大教宣布の詔 |
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10月 室蘭、函館五稜郭、築島、上磯郡矢不来等に箱館府以来備え付けの大砲19門、ゲーベル銃800、長ミニー銃530、短ミニー銃290丁及び軍器数百品を兵部省と協議し処分する。 |
東本願寺派現如上人、江差山道の新設、改修。 |
4月 旧仙台藩、伊達邦成主従、有珠郡移住 |
2月16日 元の禄高廃止、総て廩米賜減石の定通達される。 |
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本多桂次郎は箱館戦争の時、榎本軍がやって来て官軍を防ぐため矢不来に竹矢来を造るため、竹を狩出す請負を命ぜられ大雨水のため流失して損害を蒙ったが、明治3年頃切り上げて岩内に移った。 |
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5月 福山町大火 |
閏10月 平民に姓氏を許可す。 |
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9月 東本願寺道路(札幌山道、江差山道)開削に着手(4年10月完成、工費18,000両) |
11月13日 徴兵規則公布 |
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閏10月9日 東京の開拓使本庁を廃止し(東京出張所となる)、函館出張所を本庁とする。 |
12月8日 「横浜毎日新聞」創刊(最初の日刊紙) |
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11月 開拓使、プロシア人ガルトネルの借地の一部と附属物を収め、七重村に開墾場を設置(通称「七重官園」。正式名称は1873年5月七重開墾場、1875年4月同農業試験場、1876年1月観業課試験場、1878年7月観業試験場などと変遷) |
12月24日 佩刀禁止令公布 |
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12月5日 開拓使、管内の銭相場を1両に付1貫文と定める。 |
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12月10日 ガルトネルに銀55,000ドル(他に7,500ドル先月公布)を渡し、七重村貸付の条約書をとりもどす。 |
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1871 |
明治 |
4 |
4月 亀田、上磯、茅部3郡所属の村落を定めること左の如し(亀田、茅部郡略)。 上磯郡 有川村、吉田村、戸切地村、三谷村、三好村、富川村、茂辺地村、当別村、三石村、釜谷村、泉沢村、札苅村、木古内村、瓜谷村 合計14村(『北海道志』) |
3月 大野村に官営養蚕所設置 |
5月 開拓使庁札幌に置く。札幌官園を置く。 |
4月 戸籍法制定(5年2月1施行。壬申戸籍) |
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10月 亀田郡の中野、濁川、清水の3村を上磯郡に編入 |
3月 大野村養蚕所、福島県より蚕卵紙3万枚を買い、函館支庁管下に売り下げる。 |
6月1日 札幌を本府とする。函館出張所を函館出張開拓庁とする。 |
5月10日 新貨条例を定め、新貨幣を円、銭、厘とし、金本位制を採用 |
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12月 渡島国亀田、茅部、上磯3郡。後志国磯谷、歌棄の2郡、胆振国山越郡を開拓使函館出張所の管轄とし、尋て後志国久遠、奥尻、大櫓、瀬棚、島牧、寿都の6郡を増管した。 |
11月 アンチセルは調書『教師報文録』の中で「大野運河」を提唱するも、開拓使やケプロンと衝突して解雇されたため、机上のプランに終わる。 |
7月 函館、長崎、横浜、神戸、新潟の5港に郵便役所を設置(〜8月) |
5月14日 神社はすべて国家の宗祀たることを宣する。また、神官・官幣社・国幣社及び以下の諸社の定額、神官の職制を定める。 |
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開拓使調査による大野ほか5か村の馬の頭数は、一戸平均5頭強となっており、当時の経済生活の馬の占める比重の大きさがわかる。 |
アンチセル及びワーフィールド、ケプロンより港湾・鉄道・水路等築造のため基礎的調査を命ぜられる。(9月函館・札幌間の地形・港湾などを踏検) |
7月14日 廃藩置県の詔書発布。館藩を廃し館県とする。 |
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文月から役所へ提出された明治4年の『小前一人別田畑調帖』が、道に保存されている。百姓代高田金兵衛、年寄高田幸次郎、名主野田作右衛門で、戸別の田畑の状況が記録されている。 |
9月2日 函館大火、1,123戸焼失 |
7月18日 文部省設置 |
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戸数416、人口2,335。質店、酒造、髪結各一軒。 |
9月9日 館県(管轄地は福島・津軽・桧山・爾志の4郡)弘前県に併合される。 |
8月9日 散髪・制服・脱刀を随意とし、礼服の節は帯刀させる。 |
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9月23日、弘前県を青森県と改称。11月2日、青森県発足。青森県は福山出張所江差分課を設置して所管(5年9月4郡は青森県を離れて開拓使の所管となる) |
8月23日 華族・士族・平民間の婚姻を許す。 |
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11月 余市郡に旧会津藩の家臣ら移入 |
10月3日 宗門人別帳を廃止 |
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函館出張所に英国製蒸気ポンプ1台設置される。(明治18年盛岡に売却) |
10月28日 府県官制を定め、府県に知事を置く。 |
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修広申渡書が告げられ上京(松前藩公と松前地の絆が断ち切れる。) |
11月13日 県を統合(〜22日)。3府72県となる。 |
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アメリカインディアン・アパッチ族、ジェロニモの指導下に反乱(〜1886年。インディアン最後の抵抗戦争) |
1872 |
明治 |
5 |
1月6日 榎本武揚と大鳥圭介赦免出獄する。武揚は3月、開拓使4等出任(赴任に及ばず)の辞令を受け、5月、北海道鉱山検査巡回を命ぜられ、5月30日、函館上陸、6月2日、当別村石脳油、6月3日、茂辺地の煉瓦土、富川奥の石炭(石灰か)…(『北海道巡遊日記』) |
10月1日 大野郵便取扱所開設 |
1月20日 大鳥圭介、松平太郎、荒井郁之進、永井玄蕃、沢太郎左衛門ら開拓使に任用される。 |
1月29日 全国の戸籍調査実施(戸籍簿を編成) |
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6月 ケプロンによって招聘されたライマンにより上磯町の「石灰石」が報告された。 |
私設消防「大組」「の組」の二組が結成。火防器としては竜吐水。 |
2月15日 ニコライ再び函館に来て布教 |
2月15日 地所永代売買の禁を解き、土地の売買・所持を許可(24日地券渡方規則を定める。売買・譲渡の土地に交付。いわゆる壬申地券の始まり) |
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茂辺地の下国季元、箱館戦争後帰郷して、村童を集めて文字・道徳を授けた。病をおして学校設立に努力した。 |
大野養蚕所の蚕卵紙が宮内省に送達され、「蝦夷のはな」と名付けられた。 |
2月 函館、札幌間新道開削工事着手(7月函館・森間竣工) |
2月29日 大、中、小年寄制を廃し、大区小区にする。 |
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10月 有川郵便取扱所開設。昭和12年、有川郵便局となる。 |
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5月 五稜郭庁舎を解体 |
3月14日 神祇省を廃し、教部省を置く。 |
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11月 函館鶴岡町に仮駅逓及貫目改所を置く。…大野、当別両所の改所を廃し… |
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7月23日 函館出張開拓庁、9等出仕福士成豊に命じ英式の気象観測を開始(日本最初の測候所) |
4月19日 庄屋、名主、年寄制を廃し戸長、副戸長を置く。 |
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開拓使、茂辺地に煉瓦製造所、上湯の川村(滝ノ沢)に石灰製造所、七重村に製紙工場を建設。 |
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9月14日 札幌開拓使庁を本庁と改め、函館、根室、宗谷、浦河、樺太に5支庁を置く。従来の函館開拓使庁を改めて開拓使函館支庁とした。杉浦誠庁事を司り、範囲は渡島全部と後志は磯谷郡以南8郡、胆振は山越郡だけである。 |
5月 新橋、品川、横浜間鉄道開通 |
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煉瓦石。明治5年茂辺地村に煉瓦石製造所を設け、茂辺地村の粘土と戸切地村の砂とを原料として試製せしに、其質良好なりし、もって事業を継続した。(『北海道史要』) |
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10月1日 最初の郵便路線を定む。 函館−森−室蘭−札幌−小樽 函館−福山−江差−久遠 |
7月1日 全国に郵便制度施行 |
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10月15日 森、室蘭間に開拓使付属船稲川丸定期航路を開設す。 |
7月4日 全国一般に地券交付(壬申地券) |
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10月 函館地蔵町蔵前通に魚市場を開く。 |
8月3日 学制発布(学校制度の近代化・学事奨励)。全国8大学区、32中学区、210小学区にそれぞれ学校を設けることにした。北海道はその第8大学区に属した。 |
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11月7日 開拓使、地質測量鉱山士長として米人ライマンを雇用 |
8月30日 函館の邏卒設置許可(札幌は9月18日) |
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11月 函館運上所庁舎新築 |
8月 開拓使函館支庁に電信機械係を設け官用電信を取扱う。 |
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函館戸数6,613戸、人口24,584人 |
9月12日 天皇臨幸して、新橋・横浜間鉄道開業式挙行(日本最初の鉄道) |
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11月9日 太陰暦を廃し太陽暦を採用する詔を出す。(明治5年12月3日を明治6年1月1日と改正) |
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11月15日 国立銀行条例公布(銀行設立を許可) |
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11月23日 婦女子の大相撲見物が自由となる。 |
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11月25日 府県の学校をすべて文部省直轄とす。 |
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11月28日 全国徴兵の詔を出し、徴兵制をしく。 |
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明治政府、教部省を設置して、教導職14級の制度を定め、仏教界を加えた国民教化に乗り出す。(明治17年「教導職」廃止) |
1873 |
明治 |
6 |
4月 米人ライマンをして札幌以北の地を測らしめんとす。適々石狩川水多きを以て果さず。茅の澗煤田に至り、業を卆へ補助手モンローを遣り登志別、久遠、江差の金田、遊楽部鉛鉱を測らしめ、自ら補助手を率いて…函館以西泉沢(或は釜谷)の油泉、茂辺地川のブルッキキルン及グレーピット、富川の木楳、一の渡の廃鉛鉱を検して箱館に帰る。(『北海道志』) |
札幌郡広島村の中山久蔵が大野から持ち帰った米品種「赤毛」の栽培に成功し、全道へ広げる。 |
2月11日 開拓使函館、青森間定期航路開設 |
1月10日 徴兵令布告(北海道除外) |
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6月28日 函館、札幌間の新道全く成る。函館、森、室蘭、苫小牧、千歳、札幌まで57里14町30間。明治5年3月、亀田村一本木(若松小学校付近)に第一抗(新道以前の幕末時代の道路は函館、亀田、久根別、大野、峠下、宿野辺、森が本道) |
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2月18日 函館運上所を函館税関と改める。 |
2月24日 全国のキリスト教禁止の高札を撤廃 |
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三好郷を三好村、中野郷を中野村、吉田郷を吉田村と改める。 |
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3月22日 函館大火、1,320戸焼失、死者5人 |
3月25日 地券発行につき、地所の名称を皇宮地・神地・官庁地・官用地・公有地・私有地・除税他の8種に区分 |
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9月4日 称名寺内に変則中学校開設(翌年富岡学校となる。) |
7月28日 地租改正条例布告(旧法廃止。地券新設、地価の100分の3を地租) |
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9月 函館より森村にいたる馬車会所・厩等が完成し、馬車の運行を開始 |
10月1日 郵便葉書、切手封筒を発売 |
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12月3日 開拓使管下の五稜郭を陸軍省所轄とする。 |
10月14日 祝祭日を定め、休日とする。 |
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12月14日 福山大火、230戸焼失 |
10月22日 独・墺・露3帝同盟成立 |
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10月24日 天皇、岩倉具視の上奏を入れ、朝鮮遣使を無期延期(征韓論の敗退) |
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11月10日 内務省を置く。 |
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アメリカ、小笠原諸島の占領を放棄 |
1874 |
明治 |
7 |
1月18日 去る年告示する所の道産物廻漕の諸船海関所懸隔の地方は其の他の出張所に於て検査を受けしめんと。仍て各出張所を定む。函館管下は渡島国茅部郡戸井、砂原、森村に出張所あり。上磯郡当別に船改所あり。(『北海道志』) |
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1月8日 函館裁判所設置(5月24日開所) |
1月14日 榎本武揚を海軍中将に任命。1月18日特命全権公使として露国公使在勤を命ずる。 |
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6月 茂辺地局、5等、上磯郡茂辺地村に創置。 |
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2月8日 樽前山爆発 |
2月1日 佐賀の乱(江藤新平、島義勇ら処刑) |
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7月9日 官、豊川町に建つる所の煉瓦倉庫(此経費26,000余円、煉瓦は茂辺地製を用う)成るを以て高砂町義倉を廃す。 |
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5月14日 (3月20日付)祭日、祝日に限り日章御国旗戸毎揚挙の事布達あり。 |
8月2日 陸軍中将兼開拓次官黒田清隆の兼任をとき、参謀兼開拓長官に任命 |
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9月 有川村神明社ヲ有川村大神宮ト改称ス(『開拓使事業報告1』) |
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6月8日 恵山爆発 |
8月 郵便貯金制度が設けられる。 |
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6月23日 北海道屯田兵制度制定 |
12月8日 太政官、恤救規則を制定 |
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9月22日 函館、青森両港の航海実施。弘明丸、稲川丸を使う。運賃は乗客上等3円、中等2円、下等1円50銭外1円 |
「書生節」「かっぽれ節」流行 |
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11月 三菱商会、東京・函館間定期航海を開設 |
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函館魁文舎開く。函館に新聞縦覧所を設ける。 |
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函館・札幌・小樽間の電信、公事通信を開始 |
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函館、青森間に郵便船を開く。 |
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1875 |
明治 |
8 |
2月4日 …海関所を船改所と改称す…当別村は船改派出所と改称す。(『北海道志』) |
一本木に三角測量標石設置。この標石は「開拓使三角測量一本木基点」として、平成16年9月「北海道指定史跡」に指定 |
1月 開拓使郵便所、同取扱所すべて郵便局と改める。函館郵便局で郵便為替事務を開始する。 |
2月4日 海関所を船改所と改称布告(明治20年2月廃止) |
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3月24日 当別、江良町、熊石、吉岡の船改派出所を廃す。 |
大日社が再建される。社号は「意冨比神社」と改まる。 |
3月20日 函館・福山・森・長万部・室蘭・札幌・小樽の7電信局、公衆電報の取扱い開始。東京、北海道間に電信開通 |
2月13日 平民も必ず苗字をとなえ、不詳のものは新たに付けるよう布告 |
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12月 丸山神社、瑞石神社村社となる。 |
銘酒「大の川」の醸造が始まる。 |
4月18日 函館大火、蓬莱町出火、434戸焼失 |
2月20日 旧幕時代からの雑税を廃止し、車税、煙草税、酒税等規則を定める。 |
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12月 矢不来天満宮村社となる。(造立以来430年余) |
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5月27日 開拓使、500石以上の日本型船の建造禁止 |
5月7日 樺太・千島交換条約調印 |
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12月 ハリストス正教会所属五十嵐師によって初めて正教の布教が行われ有川村大村万助方を講議所とした。 |
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5月 函館に旧幕軍戦死者を記念する碧血碑を建立 |
5月20日 パリで、メートル法条約調印 |
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8月15日 函館の問屋、小宿、株仲間解散 |
6月1日 東京気象台設立 |
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11月13日 茅部郡鷲木村を分割し、鷲木村・蛯谷村・石倉村の3村を置く。 |
8月4日 ブラキストン商社発行の証券を禁止 |
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11月29日 福山に函館裁判所支庁を置く。1876年4月4日福山裁判所として開庁 |
8月5日 度量衡取締条例等制定(度量衡の改定) |
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11月 函館邏卒本営を邏卒屯所と改称 |
9月7日 家禄・賞典禄の米禄をやめ、金禄に改正 |
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11月 開拓使、福山城を三層楼、追手門を残して毀す。石垣は波止場へ、牙城は松城小学校(明治33年11月まで)とする。 |
9月20日 日本軍艦、朝鮮江華島守兵と交戦(江華島事件) |
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函館支庁、函館山裏に松・檜10万5千本を栽植(以後も継続。『函館区史』) |
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1876 |
明治 |
9 |
5月 福山他8郡出頭所、及び瀬棚6勤番所改めて分署とする。(当別出張所もあり。) |
イギリス人デニング、本郷野本幸右衛門敷地借用、教会(日曜学校)を開く。 |
1月 全道1周郵便局路線完成 |
2月26日 朝鮮国と修好条規を調印(釜山ほか2港の開港、領事裁判権の設定など。強制による不平等条約) |
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7月16日 明治天皇行幸。此夜港内の船舶は斉しく数多くの船灯或は提灯を掲げ、海岸通街並びに七重浜、有川、戸切地、三ツ谷、富川等の沿海各村は所々に大かがり火を焚き、市中に破璃灯を輝した。(『函館区史』) |
西川初蔵によって米品種「朝日早稲」が選出される。 |
1月 茅部郡尾札部村字椴法華を1村とする。 |
3月28日 特例を除き帯刀を禁止(廃刀令) |
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札幌官園、大野村より水稲苗3種を得て試作。 |
2月8日 函館に教員養成機関の小学校科伝習所を開設 |
4月1日 官庁、一・六休暇を廃し、日曜全休、土曜半休を実施 |
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2月 開拓使行政警察規則を定める。邏卒屯所を警察係出張所、巡査屯所と改める。 |
10月 神風連の乱(24日)、秋月の乱(27日)、萩の乱(28日)が起きる。(政府の開明改革に反対する士族の反乱) |
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2月 測量教師デーの解雇により、以後福士成豊三角測量を担当 |
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3月26日 福山火災、162戸焼失 |
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4月28日 函館弁天町出火、93戸焼失 |
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5月9日 江差桧山山火、上ノ国奥山より泊村奥山まで、18日間にわたり4里余焼失。尺以上の桧80万本を焼く。22日、降雨によりようやく鎮火 |
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8月14日 札幌農学校、開校式挙行 |
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9月21日 開拓使、漁場持を廃し、漁場、昆布場は営業志望者に割渡す旨を布達 |
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9月30日 札幌本庁、アイヌ人の男子耳環、女子入墨の風習を禁ずる。 |
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アイヌ人戸籍完成(和人の戸籍は明治6年に完成) |
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北海道と本州の各港を結ぶ1,000トン級汽船運行始まる。 |
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札幌農学校の外人教師、野球を指導(北海道の野球の初めという。) |
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1877 |
明治 |
10 |
2月19日 函館区裁判所を置く。函館裁判所内に函館区裁判所を置き、亀田、上磯、茅部、山越の4郡を管した。 |
水不足に対応するため、大石の沼から引水工事が行われたが、中止となった。 |
1月6日 函館、汐留町出火、民家80戸焼失 |
2月5日 警部、巡査の官等を制定 |
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7月20日 茂辺地尋常高等小学校開校 |
養蚕所を再開し、「養蚕場」として養蚕室、蒸発繭所などが新築される。 |
2月16日 函館屯所出火 |
2月15日 西南戦争が起こる。(〜9月24日) |
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8月11日 北海道諸産物出向税則並各港船改所規則を改正し、吉岡他に船改派出所を置く(当別船改派出所となる。)。9月1日施行 |
このころ萩野神社が建立される。 |
7月28日 函館相場会所官設 |
4月12日 東京開成学校・東京医学校の2校を合わせて東京大学と改称 |
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9月25日 函館に最初のコレラ発生。横浜からの秋津丸に屯田兵2名疑似コレラあり。11月30日消滅までに、函館と亀田とで81(男73)人、死亡69人。七重浜の避病院は重病患者を送るのに不便なので、山背泊に仮小屋2棟を作った。10月、避病院を移した。函館検疫所の初め(本道127人、死者97人) |
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9月22日 熊、狼の捕獲を奨励。1頭2円(11年から熊5円、狼7円を支給) |
6月1日 バンコク郵便連合条約に加入調印 |
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9月 上磯に戸川、有地学校設立 |
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12月7日 函館に貧児教育の鶴岡学校(義学)開校 |
8月 コレラ、上海より長崎・横浜に伝播し、各地に流行(この年、罹病者13816人、死者8027人) |
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9月 熊谷宇兵衛、村用掛申付けらる。 |
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12月13日 北海道地券発行条例制定 |
9月24日 西郷隆盛ら城山で自刃(西南戦争終わる。) |
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開拓使、地方の官立病院を統廃合し、母体に公立病院を設ける。(21のうち8病院が廃止) |
9月 三角測量の結果がまとまる。沿海船及び三角測量図が完成 |
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エジソン、蓄音機を発明 |
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「おやまかちゃりん」の歌が流行 |
1878 |
明治 |
11 |
3月 牡蠣(カキ)10石を函館山背泊、赤石町、尻沢辺、立待岬近辺並びに上磯郡茂辺地村より当別に至る間に放育せしも皆死滅した。 |
2月 大野・本郷・市渡・文月の4村連合で、大野村にあった旧扱所を改築して大野学校設立。教室4、児童200名が学べる小学校。 |
1月7日 北溟社、「函館新聞」を創刊(本道初の新聞) |
1月29日 万国電信条約に加入(10月13日布告) |
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4月 上磯学校公立1棟、明治11年4月建設。学齢429人、就学120人 |
8月 開拓使長官黒田清隆が、随員6名とともに向野の大野養蚕場を視察。「養蚕場」の扁額が揮毫される。 |
3月25日 沖鷹丸、白神沖で暴風で遭難、福山港に帰り、船客をおろしたが沈没し船長ら殉職 |
5月1日 パリ万国博覧会開会 |
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4月 函館支庁、津軽郡の鮑を茅部郡に放育。5月には厚岸郡のカキを上磯郡等に放育。 |
愛媛県士族山田到人が向野で7万坪を開き牧場を開設。 |
5月 旧尾張藩主徳川慶勝、ユーラップの土地500町歩の払下げを受ける。(明治14年八雲村創始) |
5月4日 株式取引所条例制定(6月1日東京株式取引所開業) |
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6月17日 七重勧業試験場の七等属迫田氏が、函館〜七重浜間へ7,000本の若松を植樹 |
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7月16日 米人エドワード、モース来函 |
7月22日 郡区町村編制法(北海道は除外)・府県会規則・地方税規則(地方3新法)制定 |
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6月25日 清川に宣法庵を建てた堀川乗経没(55歳) |
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8月 ブラキストンらとモース、市中の貝塚発掘、渡島地方の火山を調査 |
ファーブル『昆虫記』刊(〜1910年) |
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6月27日 茂辺地村にて製造する煉瓦石は昨年から久しい間休業していたが先達て支庁より試みによりの品を東京へ送られ、鑑定させられたるに殊の外賞美を受け、最良の品ゆえ製造するよう今度は官費にて製する事になり、勧業営繕等より官員も派出され、製造所の修繕に取懸られ職工3人も東京より来たり、近日着手するという。(『函館新聞』) |
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10月12日函館支庁、管内道路の左右五町以内の官林伐木を禁止し、その他官林樹木19種の薪炭用昆伐木を禁じ、柳、白楊の官用外伐採も禁止 |
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8月12日 英国人バード女史函館到着。聖公会牧師デニング夫妻を訪問。デニングは大野・有川に説教所を設け布教 |
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10月16日 札幌農学校演舞場開場式(現時計台) |
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10月3日 柳渓小学校設立 |
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10月 北海道を除く全国で行われた「部分林仕付条例」にならい、部分林仕付条例を函館支庁管内に布達し(1割官、9割民間)、有志者に官有林野の借地植樹を奨励。開拓使、山林を官林と私林に二分する森林監護仮条例を制定 |
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10月3日 宣法庵、「江差本願寺別院」と称す。 |
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11月8日 函館懲役場を函館監獄署と改称(明治2年函館生徒罪場、同6年函館懲役場) |
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12月 七重勧業試験場、上磯郡茂辺地川の鮭卵をとり、場内孵化所に移す。 |
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11月16日 函館大火(タナゴマ町出火)、954戸焼失 |
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茂辺地煉瓦石製造所を東京開拓使物産取扱所建築に付、東京より職工を呼び再び製造にかかり、其の製品を東京に送った。 |
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11月 豊川町に第1公立病院開設(明治14年に豊川病院と改称) |
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12月2日 太政官、地方三新法のうち開拓使管内へ、郡区町村編制法のみ施行を許可 |
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1879 |
明治 |
12 |
2月14日 函館商人小林重吉他、商船学校の設立の許可を受ける。 |
9月 函館でコレラが流行した。郡部にもまん延し、市中と亀田郡で102人がかかり84人が死亡した。 |
1月6日 百十三銀行開業(道内本店銀行の最初) |
1月4日 梟首刑を廃止 |
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4月19日 開拓使、亀田・上磯・島牧3郡の27村を合併し、12村に改称の旨を布達 |
西川初蔵らが主となって、土井ノ沢から磯台まで無償貸与を受け、村民一同に割り当てて、松・杉・栗を植樹。 |
3月 函館公園内に開拓使仮博物場竣工 |
4月4日 琉球藩を廃止し、沖縄県を置く。 |
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4月30日 野崎を戸切地村より分割して濁川村に合併。有川村と戸切地村が合併して上磯村となる。三谷村と三好村が合併して谷好村となる。 |
ブルックス、江差・大野間の「道路開削急務」と報告 |
7月23日 郡区編制法により従来の第14、第15、第16の3大区及び各大区の5小区を廃し郡区、町、村とする。北海道で区役所ができたのは、函館と札幌だけである。 |
6月4日 東京招魂社を別格官弊社とし、靖国神社と改称 |
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6月16日 戸川と有地の2校を合わせて上磯学校設立 |
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7月 入港船からコレラ発生し、10月末まで各地に流行(全道患者499人、死亡315人) |
9月29日 太政官、学制を廃し教育令を制定 |
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7月 七重浜に船客仮消毒所を設置(避病院) |
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8月21日 昨今船手の者コレラ発病し、学校はじめ、興行物等差止め |
12月 東京大学のモース、大森貝塚の調査結果を発表 |
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7月 札幌農学校教員ブルックスが茂辺地の煉瓦製造所を視察し、その良品・良質と絶讃 |
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9月1日 江差の願乗寺休泊所、真宗本願寺派の江差別院となる。 |
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』刊 |
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7月 郡区町村編制法により、函館管下では、1区6郡役所285町村59戸長となる。亀田・上磯郡役所(七飯村) 43町村14戸長 |
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9月10日 函館の在監囚人玉林治右衛門マッチの製造に成功し、官営燧木製造所を設置 |
全国のコレラ患者162637人、死者105787人 |
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9月 三ツ谷駅、富川駅、当別駅廃止。10月 戸切地駅廃止 |
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10月 函館支庁、駅法改正し、私立人馬継立所を置き、補助金等を廃止 |
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10月11日 函館第1回農業仮博覧会開催(〜15日)。高田佐五兵衛(濁川村)人参で4等入賞。吉田由蔵(吉田村)粳米で2等に入賞。 |
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11月3日 函館公園完成。開園式 |
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12月14日 濁川小学校設立。沖川学校濁川村へ併合設立。 |
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12月25日 函館支庁、管下各郡内に戸長59人を配置 |
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12月 茂辺地鮭養殖孵化事業創立 |
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函館谷地頭町・津軽郡福山に種芸場を設け、樹木種子を播類 |
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12月 尾見雄三開墾を始め、洋式農具を使用した。 |
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アメリカ人ホイットマン来日、14年間滞日し函館にも来て蛭の採集を行い、多数の標本を仮博物場に寄贈 |
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1880 |
明治 |
13 |
1月27日 管内16か所に山林監吏を置く。(茂辺地に設置され上磯一円を管理した。) |
4月 品川四郎が山田到人・近藤英真・中村金兵衛・西川初蔵・大村菊次郎と共に発起人となって第七公立病院開設。初代院長は宍戸精庵 |
1月28日 武田斐三郎没(54歳) |
1月6日 文部省、変則小学校を認める。 |
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4月11日 石別尋常小学校開校式。当別小学校と称す。 |
7月 文月学校が大野学校から独立分離して開校。 |
1月 函館区役所を開庁 |
7月9日 虎列刺(コレラ)病予防仮規則を廃止し、伝染病予防規則を定める。 |
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7月 上磯村を元村とし他4ケ村戸長役場を置く。茂辺地村戸長役場を設置 |
大野村ほか五か村(文月・本郷・千代田・一本木・市渡)を管轄する戸長役場が置かれた。初代戸長は光明寺住職近藤英真。 |
2月17日 太政官、北海道へ監獄設置を裁定 |
7月17日 刑法・治罪法制定。斬首廃止(1882年1月1日各法施行) |
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12月松前郡及び上磯郡茂辺地に鮭魚人工孵化場設置(孵化場の起源) |
山田到人が観音山の28ヘクタールの牧場に木造牛舎を建て、3人の力夫を使って5頭の乳牛を飼育した。 |
2月 函館に国立第百四十九銀行設立(資本金13万円) |
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12月 落合第蔵が添山に扁柏300本を移植した。後年、添山、富川、大区川に杉、欅、月桂西洋林檎などを移植し林業に尽くした。 |
大野の西川初蔵の履歴書に「十三年村民公撰ニヨリ地主総代ニ挙ゲラレ、村内外ノ地主対小作人ノ調停ニ当ルコトトナル」との一項があり、この頃にはすでに小作問題が発生していた。 |
3月15日 村垣範正没(68歳) |
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12月 落合第蔵、上磯村総代人に当選し、また学務委員を申付けらる。 |
向野の観音山麓52,900坪(約17.5ヘクタール)に、村民総出で桑苗3,000本を植え付けた。しかし前年造成の植林地とともに、明治20年ごろの山火事で焼失してしまった。 |
8月8日 旧仙台藩の岡千仭、この函館に上陸し各新開地を遊暦し「北遊詩草」を残した。(『北海道郷土暦』) |
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12月 函館の豪商渡辺熊四郎、金森洋品店を開業(建築煉瓦は茂辺地煉瓦製造所の製品である。) |
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9月 三菱会社、函館及び東京と小樽間の定期航路をひらく。 |
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函館の上田嘉輔、上田嘉七、小柳善太郎の三人が、良い品質の炭を作ろうと、茂辺地のマナゴ山に30名以上の職工を雇い、本格的に開業 |
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9月 函館病院仮医学所開設 |
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10月1日 官立小学校教科伝習所を函館師範学校と改称 |
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ブラキストン多年収集せる鳥類標本320種1,238羽を函館仮博物場に寄贈す。(明治28年札幌農学校、札幌中学校、函館中学校の3校に分けて保管を命ず。) |
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1881 |
明治 |
14 |
1月、函館支庁、茂辺地村森兵五郎の煉化・瓦工場拝借出願を許可 |
2月 檜山爾志郡役所の職員清水三四郎は用務で函館へ出向き、その帰途中山で吹雪に遭い命を落とした。 |
2月9日 福山松城町46番地へ松前神社(祭神藩祖武田信広)創立の出願、本日許可 |
1月26日 東京・神田より出火、焼失11,000戸(明治最大の火災) |
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2月 上磯村に巡査交番所が設置(8月巡査派出所と改称) |
4月 一本木村が学校を設立して、大野学校の分校となる。 |
2月 厚沢部峠下にて夫卆清水三四郎、江差より出函の途中、吹雪のため行方不明 |
2月7日 パナマ運河建設工事開始 |
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2月16日 第11公立病院が上磯村に開院(医師関屋八太郎)。4月17日 第12公立病院が茂辺地村に開院(医師西村洋一) |
5月 明治天皇が2回目の北海道行幸。9月に大野養蚕場へ侍従を差し向けられたので、村では大野橋が檜材で架け替えた。 |
5月22日 小樽大火、585戸焼失 |
4月7日 農商務省を設置 |
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6月21日 七重浜沖に沈没の朝陽艦をブラキストンと小野組で引揚げを実施したが不成功に終わる。 |
9月10日 大字千代田村字東前谷地に本派説教所を創設。明治39年、寺号公称「最尊寺」 |
7月8日 福島郡、津軽郡を合わせて松前郡と改称す。 |
5月4日 文部省、小学校教則綱領を制定(7月29日中学校、8月19日師範学校の各教則を制定) |
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7月8日 旧有川駅と戸切地駅を合せて上磯駅(駅逓)と称す。 |
第七公立病院を大野病院と改称。 |
8月30日 天皇、東北北海道巡幸 |
5月21日 函館戦争13年忌に当たり、榎本武揚、永井尚志、大鳥圭介ら100余名、東京上野東照宮社内で集会し、函館谷地頭の碧血碑の修繕資金として、1,000円の募集を決議す。 |
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7月8日 当別村と三石村を併せ石別村、上磯村と吉田村を併せ上磯村、濁川村と清水村を併せ清川村と称す。 |
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8月 函館支庁、管下の巡査交番所を巡査派出所と改称 |
10月12日 明治23年に国会を開設する旨の詔書 |
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7月29日 茂辺地村酒井宮二郎の鮭缶詰試験の結果を佳良であると七重勧業試験場が認めた。 |
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8月 官有物払下げで区民運動起 |
11月 日本鉄道会社創立 |
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7月29日 松前郡の小谷石・知内の2村を上磯郡に、茅部郡の小安・戸井・尻岸内・椴法華の4村を亀田郡に、また茅部郡落部村字由追を山越郡山越内村に編入 |
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9月 武田信広に正4位を贈られる。 |
12月7日 政府、紅綬、藍綬、緑綬の各褒賞を制定(翌15年1月1日実施) |
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10月 熊谷宇兵衛、病院世話係申付けられる。 |
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10月6日 制度改正により上等裁判所を控訴裁判所に、地方裁判所を始審裁判所に、区裁判所を治安裁判所と改め函館に控訴裁判所を設置 |
12月17日 大日本水産会設立 |
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10月 第2回函館農業仮博覧会に吉田由蔵が粳米を出品して2等賞を受け、尾見雄三が蕎麦を出品して3等賞を受けた。 |
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10月11日 北海道官有物払下げを中止する。 |
12月28日 政府、学校施設を各種集会に使用することを禁止 |
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11月13日 函館港内国船碇泊取締規約を定む。第1条 函館港の境界は山背泊町の南端より上磯郡上磯村有川の流末に至る直線を以て定む。第2条以下略(『北海道志』) |
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俳人岡野知十来函、函館新聞主筆となる。 |
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11月 富川小学校設立 |
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全道現在戸口、43,673戸、人口232,528人 |
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函館病院を新築し、官立を改め公立とする。 |
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1882 |
明治 |
15 |
3月10日 公立病院は、その所在する町村名を頭に付けた名称変更となり、上磯病院と茂辺地病院と改称された。 |
2月7日 大野の高田弥五右衛門が大野ほか5か村の2代目戸長となる。 |
1月11日 黒田長官を免じ、内閣顧問官となり、参議農商務卿西郷従道開拓長官と兼任 |
1月4日 軍人勅諭下賜(陸軍達) |
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3月11日 函館県令第3号により旧開拓使時代の警察組織を改正、函館警察署上磯分署が本町に設置される。 |
2月1日 函館にミセス・カロライン・ライト、メモリアル・スクールが開校。明治23年4月遺愛女学校となる。 |
1月21日 大日本山林会設立 |
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10月 上磯村に上磯小学校七重浜分校設立 |
9月 千代田村が学校を設立して、大野学校の分校となる。 |
2月8日 開拓使を廃し函館、札幌、根室の三県を置く。開拓書記官時任為基函館県令に、同調所広文を札幌県令に、湯地定基を根室県令に任命 |
3月20日 上野公園内の動物園、開園 |
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木村芳助(茂辺地村)釣谷戸右ヱ門(一の渡村)、菊池市五郎(富川村)の3氏は東京山林共進会で7等賞を得た。 |
江差山道を内務省が調査。向野橋完成(長さ12間、幅3間) |
2月 開拓使所管の電信業務を工務省に移管(全国電信事業の統一完成) |
6月27日 日本銀行条例公布(資本金1,000万円、政府半額出資)。10月10日 日本銀行開業 |
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竹部永松によって「竹部塾」創立。 |
3月16日 札幌県・函館県、各開庁 |
7月23日 朝鮮京城で反閔氏・反日の兵乱起こり、日本公使館・王宮襲撃される。(壬午事変) |
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8月25日 コレラ流行し、9月15日まで学校臨時休業。罹患203人中145人死亡 |
9月 外国人の飲料であったラムネがこの頃日本人にも愛飲 |
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函館医会創立(函館医師会の前身) |
11月1日 東京銀座で2,000灯光のアーク灯を点灯開始 |
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七重官園、西洋農具の制作と払下げを行う。 |
全国にコレラ流行(死者33,784人) |
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ドイツ人コッホ、結核菌を発見 |
1883 |
明治 |
16 |
6月 函館区・亀田郡・上磯郡の住民11人「部分木」の仕付けを行うため北海道植樹会社を設立 |
函館県令により江差山道を測量 |
6月 函館の市中乗合馬車の営業が始まる。 |
1月1日 改正郵便条例実施(書状2銭(2匁目まで)葉書1銭) |
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9月4日 九鬼文部少輔が北海道学事巡視の際茂辺地小学校参観。当時函館県から学務委員に発令されていた落合第蔵のために揮毫した。(書は同家から上磯中学校に寄贈され、同校で所蔵) |
当時の文部少輔(今の文部次官)九鬼竜成が市渡学校を視察、生徒の試験を行ってその成績優秀を称え、「市渡学校」という揮毫を寄せている。その成績は市渡が1番、函館の宝学校が2番、長万部が3番ということで、1番になった賞状と物理機械一組、辞書数冊が贈られている。 |
9月27日 札幌、函館間電信開通 |
3月1日 東京気象台、この日以降毎日、天気図作成して印刷配布 |
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浅野工場として東京深川にセメント製造を開始す。 |
大野、市渡、文月の各学校が小学校に改称される。 |
10月7日 樽前山爆発 |
7月2日 太政官文書局、「官報」第1号を発行 |
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消防組がフランス式ポンプを購入 |
10月21日 函館に北海道物産共進会を開く。 |
8月14日 桐章の使用禁止、太政官より寺社一般の使用可となる。 |
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12月13日 函館区内戸長役場を廃し、その事務を区役所の取扱いとする。 |
11月28日 東京に鹿鳴館できる。 |
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12月18日 鶉山道峠下へ警察逓伝所設置許可(漁季中の雇人逃亡を防ぐため) |
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12月25日 江差大火、200戸焼失 |
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函館戸数8,227戸、人口41,471人 |
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函館居畄外国人調 フランス人戸数2 アメリカ人戸数3 デンマルク人戸数1 ドイツ人戸数1 清国人戸数8 合計15戸58名 |
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ブラキストン、ブラキストラインの構想を発表し、北海道・本州間に動物の棲息分布上一線を画すべきことを主張 |
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1884 |
明治 |
17 |
4月3日 上磯小学校暖炉ヲ納ム。(『上磯小学校沿革誌』) 註 従来学校教室の冬季採温は炉火に頼っていたものと思われる。 |
9月 本郷小学校が独立分離して開校 |
1月1日 北海道巡査帯剣佩用 |
1月10日 徴兵令改正されたため、戸主換えるもの甚だ多く、中には戸主入替えを発令以前に偽造するもの各地に現れ、問題となる。 |
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5月31日 告第26号 県下上磯郡清川中野2村戸長役場相廃シ同郡上磯谷好富川3村戸長役場ヘ合併候條此旨告示候事(『南茅部町史』上巻) |
廣照寺建立 |
1月 田本写真館早取写真を設備(1秒で撮る。) |
3月15日 政府地租条例制定(地租に関する基本法規。法定価格の決定、税率の固定) |
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9月5日 上磯に洪水があった。 霧雨連日止マズ本日ニ至リ有川、戸切地ノ両川溢レ全村殆ンド水中ニ浸サル。 |
山田到人が鶉村へ移住する。 |
5月13日 函館県、漁業組合条例を布達 |
5月7日 区町村会法改正(区戸長、県令の権限強化)。戸長の公選を官選に変更 |
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9月27日 石別村漁業組合申合規則草案を作った。 |
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6月29日 江差、木ノ子村で馬の全身膨張する奇病流行し、22頭斃死する。 |
6月25日 東京上野駅開業 |
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9月30日 上磯、谷好、富川3ケ村漁業組合申合規則を作った。 |
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7月1日 江差、福山間電信開通 |
7月7日 華族令公布。松前修広子爵に列す。 |
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9月 函館県水産談話会を函館で開催(58名出席。会頭には函館県勧業課長が就任。上磯から種田金十郎が参加) |
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7月15日 江差で犬の流行病あり、野犬の斃死多く、住民喜ぶ。 |
9月23日 自由党員富松正安ら16人、茨城県加派山に蜂起(加派山事件) |
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10月8日 茂辺地村漁業組合申合規則を作った。 |
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7月15日 桧山郡、爾志郡にバッタ発生し、泊村は一夜に一反歩の豆畑喰荒され、館村野生の蕗皆無となる。 |
10月31日 埼玉県秩父地方の農民、自由党員井上伝蔵らの指導下に蜂起。秩父郡を支配するが、軍隊の出動によって鎮圧される。(秩父事件) |
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11月 落合第蔵が函館県令より雁皮の試作を命ぜられた。また一本木に畑を開いた。 |
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8月15日 東京大相撲大鳴門、大達一行3日間興業。木戸銭1人25銭(『江差町史年表』) |
12月4日 京城で金玉均・朴泳孝ら開化派(親日派)、クーデタを起こす。(6日日本軍、清国軍と交戦、敗退する。甲申事変) |
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11月 有川正教会(今の上磯ハリストス正教会)の会堂が字中野に建立 |
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8月 函館公園内に博物場第2号館落成 |
12月6日 愛知県・長野県で自由党員の挙兵計画が発覚(飯田事件) |
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網本、種田金十郎により上磯にトックリ窯のセメント製造が始められた。5年程続けたが予定した製品ができず失敗。 |
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函館戸数9,483戸、人口43,142人 |
12月27日 往復ハガキ発行(明治18年1月1日より通用) |
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松形デフレ政策による不景気と凶作が重なり、各地の農民、借金党・困民党などを組織して、負債の減免・延納等を求めて騒擾。また、会社、銀行の倒産も多数に上る。 |
1885 |
明治 |
18 |
4月 釜谷村石別村戸長役場区域の内、石別村は茂辺地戸長役場区域に、釜谷村は木古内外2村戸長役場区域に編入 |
1月 高田弥五右衛門が七飯・鶴野・藤城・峠下の戸長となり、栗原繁樹が大野ほか5か村の戸長となる。 |
1月4日 樽前山噴火 |
1月9日 甲申事変に関する日・朝間の条約締結(朝鮮政府の謝罪、賠償金支払いなど) |
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9月5日 各村で道路掃除法を申し合わせた。 |
11月 千代田・一本木両分校が併合、島川小学校が誕生し独立する。 |
4月1日 「函館新聞」連載小説始まる。 |
2月10日 天保通宝は明治19年12月限り通用停止となり、それまでに新銅貨と取り換える様との通達あり。 |
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10月1日 上磯村が節倹申合規約書之通節倹法を設け戸長役場に届けた。25日、清川村、中野村、谷好村、富川村が同上。 |
函館県が江差山道の官営工事に着手 |
5月13日 恵比須町より出火、132戸焼失。蒸気ポンプ大活躍 |
2月 内務省国道路線を告示し、札幌、函館、根室3県に達する道路を国道とする。 |
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12月4日 上磯郡石別・振別郡振別両船改派出所を廃し、久遠・紗那両船改派出所を置く。 |
久根別川からの用水路掘削に着手 |
5月 函館の第百四十九国立銀行、東京の第百十九国立銀行と合併し、本道の業務を閉鎖 |
5月9日 日本銀行、兌換銀行券10円券を発行 |
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12月15日 函館湾口西側葛登支岬燈台点火 |
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6月10日 小樽大火、348戸焼失 |
9月9日 日銀100円札、1円札を発行 |
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12月 茂辺地戸長役場石別村と併合。茂辺地外1ケ村戸長役場となる。 |
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6月11日 木古内町へ山形県(旧鶴岡藩)から52戸、270人の官営士族移住(翌年53戸、298人移住) |
9月29日 共同運輸会社三菱会社合同して日本郵船会社を設立 |
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浜谷長吉を組頭として50人をもって上磯消防組発足 |
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7月 鶉山道函館県費用5万円で着工、その後道庁継続し19年11月竣工す。道程14里6町余、費用合計100,840円 |
10月20日 政府、メートル法条約に加入調印(1886年4月20日公布) |
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11月25日 函館大暴風、東川新道浸水2尺、大森浜海水暴漲す。(浸水330世、破船23艘) |
11月9日 種痘規則を公布(翌年1月施行) |
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12月22日 第1次伊藤博文内閣成立(太政官制から内閣制へ移行) |
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紙幣整理による不況が頂点に達する。(松形デフレーション。特に農民の公租負担の増大が著しく、不納による強制処分者が続出) |
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伝染病流行し、赤痢による死亡10,627人、腸チフスによる死亡6,483人、コレラによる死亡9,310人に上る。 |
1886 |
明治 |
19 |
2月5日〜12月11日 上磯部 天然痘患者59名 内14名死亡全治5名 函館区 20名 亀田郡 60名 |
4月 函館警察署大野分署設置 |
1月26日 3県及び北海道事業管理局を廃し、北海道庁を置き、全道の施政並びに集治監及屯田開墾授産の事務を統理。函館、根室に支庁を置く。北海道庁初代長官に岩村通俊(函館県令に時任為基)就任 |
1月1日 紙幣の正貨兌換を開始す。 |
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4月 茂辺地村で上磯村から小谷石までの各村連合の水産談話会を開催 |
11月 江差山道工事が竣工(工夫延べ32,000人、行路16里)。函館支庁長時任為基一行が山道を検分し、清水三四郎之墓碑を建立。 |
4月13日 樽前山爆発 |
1月 日本銀行、5円札発行 |
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9月27日 9月30日現在コレラ患者 上磯郡 患者109 死亡69 全治13 |
函館県庁の沢田雪渓が官命により、工事中の山道の要所を「鶉山道石版画」(大野町指定文化財)に描いた。 |
4月24日 函館逓信管理局を置く。 |
3月25日 地方逓信局官制を定め駅逓局出張所を廃し、郵便局の等級を改訂して1等より3等までとする。 |
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12月28日 函館区長林悦郎転出し、道庁事務官二木彦七、区長兼亀田、上磯郡長となる。 |
大野小学校が移転(現役場敷地) |
6月1日 北海道庁理事官時任為基、函館支庁長仰付けられる。 |
4月1日 会計年度を4月から3月31日に改める。 |
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12月 函館、根室両支庁廃し、郡制とし、郡区長をもって警察署長を兼任した。旧函館支庁管区域は函館区、亀田、上磯郡役所(亀田)、茅部、山越郡役所(森)、松前郡役所(福山)、その他3郡役所となる。 |
大野養蚕場、東京府の徳川義礼へ無償貸し付けとなる(徳川農場)。 |
6月29日 北海道土地払下規則11ケ条及付則公布される。 |
4月10日 師範学校令、中学校令、小学校令、諸学校通則各公布。「小学校令」尋常・高等の2科にした。義務教育制を実施。4年制とした。 |
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7月13日 函館にコレラ、天然痘発生、明治20年6月まで続く。この年の罹患2,350人のうち1,100人が死亡 |
4月28日 帝国大学が制服制帽を採用(詰襟、洋風の角帽) |
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7月17日 亀田郡下湯の川に石川藤助が温泉湯元発見 |
全国で天然痘死亡者18,678人、腸チフス死亡者13,807人 |
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8月31日 コレラ流行のため、1本1円50銭の石灰酸5円、1俵16銭の石灰24銭、氷1貫目12銭が25銭の高値となる。胡瓜、西瓜は買手なく、漁業者は休業状態となる。函館市中の小学校コレラのため休校続出 |
不況ようやく回復、下半期より各種企業勃興 |
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9月17日 札幌、函館の師範学校を廃止、札幌区に北海道師範学校を設置 |
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10月15日 函館で北海道物産共進会を開く。 |
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11月9日 コレラようやく終わる。患者1,224人、内死亡842人 |
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12月28日 函館・根室2支庁を廃止。函館に道庁長官出張所を置き、外国人に関する事務を処理 |
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函館の戸数、10,417戸、人口45,477人 |
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1887 |
明治 |
20 |
7月5日 観音庵(現広徳寺)法地寺格昇進 |
8月 亀田、大野間新道開削工事着手(明治22年6月完成) |
1月1日 道庁理事官時任為基、宮崎県知事に発令 |
3月23日 所得税法公布 |
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函館警察署上磯分署が会所町に移転 |
郵便馬車会社設立。7、8人乗りの乗合馬車が函館・江差間を10数時間要し、運賃1円50銭。 |
1月11日 庁立函館商業学校開校式 |
3月30日 各地船改所廃止。税制改正により海産税一律5分金納となる。(出港税も廃止) |
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東開発稲荷神社建立 |
1月15日 郡区役所と警察署との区域を統一し郡区役所在地に警察署を設置 |
4月7日 小学校規則、小学校簡易科教則、高等科、尋常科を教育すべき学校等を定め5月実施 |
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東京大相撲、大野村で開催される。 |
2月 全道天然痘流行、患者4,204人、死亡1,350人に達す。 |
5月6日 叙位条例公布(正1位より従8位まで16階) |
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4月1日 函館砲兵隊を廃止(9日、砲台兵を廃し砲台をとりこわす。) |
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4月1日 桔梗野牧羊場を園田実徳に払下げる。 |
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5月2日 函館大火、482戸焼失 |
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6月16日 函館、江差間新道開通につき、江差畑中半右衛門、松沢伊八両氏計画で乗合馬車本日許可される。大野村と江差の間に郵便馬車2台、乗客荷物運搬車6台を備え、馬停場2か所を設けることとする。(7月1日開業) |
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9月3日 樽前山噴火。10月7日及び12月4日再噴火す。 |
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10月11日 測候所条例により函館他5か所決まる。 |
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11月30日 函館郵便局と函館電信局合併。函館郵便電信局(1等)として12月16日より開局 |
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12月 北海道雄弁会設立 |
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