=関屋八太郎資料=
関屋八太郎資料は、昭和57年(1982年)3月、上磯町教育委員会に寄贈されたものである。
資料としては、医師資格、上磯村公立病院・郡医師会、函館市医師会、上磯町議会議員選挙憲政資料、上磯
の小学校、上磯近隣の小学校、教育会、浅野セメント株式会社、日本航空輸送株式会社に関する資料のほか、
哲学、歴史、社会科学、自然科学、逐次刊行物など上磯町の医療、文化、経済等を知るうえで大変貴重であり、
広くは北海道における医学史、文化史等の解明にも役立つ資料である。特に重要な資料として、明治6年
(1873年)刊行『近世医説第1号』がある。資料総数7,000余点は、現在、関屋八太郎資料目録にも刊行さ
れ、北斗市総合文化センターに保管している。
関屋八太郎氏(昭和15年、84歳で死去)の家系は、代々会津藩の藩医を務めた家柄で、東京の医学塾で医
術を学び、診療とともに医師の養成をしていた「開拓使函館病院」に勤務、明治14年(1881年)上磯村に
第11公立病院(後に上磯病院)が開院され医員として赴任、明治27年(1894年)同病院閉鎖後、上磯村に
個人病院を開業、また町議会議員も務めるなど、明治より昭和初期まで町政・地域医療に尽力した人である。
関屋八太郎医師 関屋八太郎の医術開業免状 北海道長官渡部千秋が揮毫した上磯病院の看板
元の家は草葺で右側が診療所であった。