=上磯町へのキリスト教伝道=

 

 当別トラピスト修道院が明治29年(1896年)に設置されるまでの約20年間は、ハリストス正教会と

明治11年に布教開始した日本聖公会の2派が、一般からは「耶蘇新教」と呼ばれながら、厳しい伝道を余儀

なくされた。その中にあってハリストス正教会(有川正教会)の着実で気長の布教は徐々に功を奏していった。

    上磯郡有川正教会は松本伝道師が熱心に布教に努力したる結果、昨今教勢隆盛に趣き、集会日毎に信徒の参集多く、過日の降誕祭の

   如き空前の盛会なりし。 (「函館毎日新聞」大正9125日)

 降誕祭すなわちクリスマスなどには、有川正教会が大なるにぎわいを見せていたことが今にも伝わる。

 ちなみに、函館においてキリスト教のクリスマスが「耶蘇大祭」「基督誕生祝日」と呼ばれ、市民の中に

現れるのは、管見によれば、明治171225日のことである。

 

=函館ハリストス正教会(有川正教会)=

−沿革−

明治8

1875

函館ハリストス正教会に所属する伝道者五十嵐師が初めて地内に布教し、その際、有川村の大村万助宅を講義所とした(『宗教法人規則認定申請書』、上磯町役場簿書、昭和27年)。上磯町におけるキリスト教関係の資料の初出。

明治9

1876

大村万助の他に、田中酉松と寺沢万之助が洗礼を受け、上磯町におけるハリストス正教会の信徒が3名となった。

明治17

1884

有川正教会の会堂が字中野に建立。

昭和35

1960

上磯ハリストス正教会と改称。

 

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昭和35年に改築された上磯ハリストス正教会

 

=日本聖公会=

−沿革−

明治7

1874

日本聖公会がウォルター・デニング宣教師により、函館伝道を始める。

明治1011

1877-8

一旦帰国したデニングに代わり、ジェー・ウイリアムスが伝道に努め、教会を新築したりしている。

明治12

1879

デニングは再び来函。明治15年の帰国まで活発な布教活動を行った。