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【令和3年度】青少年の主張

北斗市青少年育成大会が令和3年10月9日(土曜日)、総合文化センターかなで~る大ホールで行なわれました。
大会では、「拝啓 未来の北斗市へ~変わりゆく世界を見つめて~」「今のわたしが未来を創る~無限の可能性を信じて~」をテーマに、市内小中学校、高校から選出された青少年が主張しました。北斗市の未来や、これからの北斗市への提言、そして今後の自分の未来、身近な人との心のつながりなどに対する、率直で熱い思いを発表しました。 

1.野村萌々花 さん(石別小学校6年)『アイヌの学習で学んだこと』
2.對馬優花 さん(谷川小学校6年)『私たちが防災に備えておくべきこと』
3.松田晴 さん(久根別小学校6年)『市民の想像を創造しよう』
4.長谷部豊 さん(萩野小学校6年)『今のわたしが未来を創る』
5.藤谷衞 さん(市渡小学校6年)『笑顔で元気な街を作りたい』
6.髙橋海羽 さん(茂辺地中学校2年)『変わるもの 変わらないもの』
7.齋藤克気 さん(上磯中学校2年)『日本、いや、北斗市、いや、僕たちに今できること』
8.佐藤遥希 さん(大野中学校2年)『僕の描く未来』
9.小林優菜 さん(上磯高校3年)『心と心で支え合う』

1.野村萌々花 さん『アイヌの学習で学んだこと』

 「イランカラプテ good morning every one!」
 これは、石別小学校の朝のあいさつです。石別小学校では、毎朝、アイヌ語と英語であいさつをします。
 わたしは、昨年、総合的な学習の時間に、アイヌのことについて学びました。平取町の郷土資料館の関根さんとzoomでつないで、いろいろなことを教えていただきました。アイヌの人々の住居や言葉、文化などについて、これまで知らなかったことを多く学びました。その中から、ぜひみなさんに伝えたいことを、今日は発表したいと思います。
 一つ目は、わたしたちは、人間だけでなく、動物や植物、自然といったすべてのものと共存しているということです。アイヌ語は、北海道の地名などによく使われていますが、その中でもよく耳にする言葉に「カムイ」という言葉があります。「カムイ」という言葉には、「神」という意味があり、アイヌの人々は、動物や自然に対して、「カムイ」と名付け、それらを神のように大切にしていたそうです。わたしは、このアイヌの人々の考え方にとても感動しました。北斗市も自然が豊かなまちです。このまま、自然豊かな北斗市であり続けるためには、アイヌの人々の考えのように、身の周りの自然に感謝し、大切にしていかなければならないと思いました。
 二つ目は、わたしたちは、様々な人々と共に生きているということです。関根さんからの話では、アイヌの人々は、家族を大事にし、祖父母、両親、子どもが一緒の家で暮らすのが当たり前だったそうです。また、アイヌ同士、助け合って生活をしていたそうです。しかし、アイヌであるという理由だけで、周りから差別をうけることもあったそうです。そのことを聞いて、わたしは、同じ人間なのにどうしてそんなことをするのかと悲しくなりました。わたしは、これからの北斗市が、いじめや差別のない、だれもが支え合い、共に生きられるまちになってほしいと思います。アイヌの人々のように、互いに助け合って生きていけるようになってほしいです。
 今回のテーマの一文「変わりゆく世界を見つめて」と聞いたとき、変わりゆく世界の中で、文化や伝統、自然の豊かさなどのように、変わらず受け継いでいくべきものもあると思いました。北斗市にもたくさんの自然や文化、良さがあります。わたしは、そんな北斗市が大好きです。だからこそ、これからも北斗市の良さを大事にし、伝えていけたらと思います。
 そして、私がアイヌから学んだ、人間、動物、自然すべてのものとの共存ということをこれからも忘れずにいたいです。
(アイヌ語訳)アイヌ ウタッ トゥラ パテク カ ソモ キ ノ チコイキプ ネ ヤッカ チクニ ネ ヤッカ ネプ ネ ヤッカ タン モシッ タ オカイ ペ オピッタ トゥラノ ウレシパアン ヤク ピリカ ルウェ ネ。タンペ アイヌ プリ ワノ クエラマン ペ ネ。
 イアイライケレ~thank you~ありがとうございました。

2.對馬優花 さん『私たちが防災に備えておくべきこと』

   1学期、社会科で東日本大震災について学習しました。津波がすごい勢いで来て、あらゆるものが流されたと知り、住んでいた人はどんなに怖かっただろうと思いました。今も避難生活を続けている人がいると聞き、びっくりしました。胆振東部地震では、ブラックアウトが起きました。私の家はオール電化なので、電気が使えなくなり、冷たいシャワーを浴びました。北斗市は、川が何本も市街地を通っています。海や山に面している土地もあります。大雨や洪水、津波や土砂崩れなど、様々な災害が予想されます。今、私たちができることは、もしもの時に備えておくことだと気が付きました。今こそ、北斗市のみんなで防災について考えるべきなのではないでしょうか。私はクラス全員の意見も聞きたいと思い、防災について話し合いをしました。そこで今、防災に向けての取り組みを5つ提案します。
   第1に、避難所を増やし、設備を充実させることです。谷川小学校の一番近くの避難所には、毛布や食料のストックがないことを知り、夜には困ると感じました。一方、茂辺地地区の学校に、簡易トイレの備蓄があると知り、どの避難所にも必要という意見がでました。その中で、避難所に備えておきたいもの5つ。1.布団・タオル2.水3.熱を使わない食べ物4.赤ちゃんが困らない物(ミルク・おむつ)5.簡易トイレ これは、避難所で一日過ごすことを予想して考えたことです。さらに、感染予防のためのマスクや消毒用品も必要だと思います。
 第2に、避難用リュックの準備です。防災グッズが入ったリュックを北斗市の小中高・幼稚園保育園の全クラスに用意し、大きな施設やお店に設置します。北斗市に引っ越して来た人には、防災リュックをプレゼントし、3年に一度は中身を確認することも知らせたいです。
   第3に、誰にでもわかる避難経路図を掲示することです。避難所と避難経路が書いてある地図を看板で設置します。字が読めない人にもわかる絵やマークが使われている明るい感じのする地図です。避難所の備蓄品の種類の記号が記され、どこに行けば何があるか、何分くらいかかるかなどが、一目でわかる工夫をしたいと思います。また、スマートフォンやタブレットでも確認ができるシステムを作るといつでも確認できて便利だと思います。
   第4に防災頭巾の用意です。教室の椅子に防災頭巾をつけておくと、災害の時、子どもの頭や体を守ることができます。1年生に入学したときに配れば、みんなが喜ぶし、安全の学習にもなると思います。
   第5に避難方法・連絡方法の確認です。私の両親は日中働いているので、昼間に逃げる場合、妹とふたりだけで避難所へ行くことになります。その時、誰に一番に連絡をすればよいのか、どうやって連絡を取ればいいのかなどを確認しています。ピアノを習う日だったら、休日だったら、と色々な場面を予想し、家族で確認をしておくことが一番大切だと思います。家族のあいだで防災について考えを一緒にしておくこと、もしもの時についての話をたくさんすることが大切だと思います。
   災害が起きて困ったときこそ、北斗市に住んでいてよかったと思える街にしたいです。私は北斗市が大好きです。みんなが安心して暮らしていける北斗市をみんなで作っていきたいと思います。  

3.松田晴 さん『市民の想像を創造しよう』

 未来の北斗市は、今よりももっと魅力があふれ、活気のあるまちになっていますか?
 今の北斗市は、八郎沼やしだれ桜などの自然の豊かさ、トラピスト修道院や米づくりの歴史など、たくさんの魅力であふれています。僕は、そんな北斗市の魅力をもっとたくさんの人に知ってもらいたいです。そこで、僕は、今の良さを生かしつつ、新たにできる事業やまちづくりを3つ考えました。
   1つ目は、駅前の発展です。新幹線が発着する新函館北斗駅の周辺を今よりもっとにぎやかにするとよいと思います。主な施設は、道の駅・宿泊施設・文化体験施設です。道の駅では、北斗市産のトマトやキュウリなどの野菜やふっくりんこなどを売ったり、北斗市産の食材を使った料理を提供したりして、北斗市の良さを「食」で知ってもらいます。宿泊施設は、道の駅と同じく、食堂で料理を提供します。さらに、宿泊施設の壁・天井・床は北斗市のセメント工場で製造されたセメントを使うのもいいと思います。文化体験施設では、野菜・米の収穫体験、歴史クイズなどの企画を定期的に行い、気軽に北斗市を体験してもらう施設です。これらの施設が北斗市の魅力発信の拠点となれば、よりたくさんの人に魅力を知ってもらえます。駅はたくさんの人が利用するので、「ふらっと立ち寄ってみたら、北斗市のことをいっぱい学べた。」というような人が増えるといいです。
   2つ目は、北斗市に総合病院をつくることです。新型コロナウイルスが流行している最中に、僕は別の市町村の総合病院にいきました。そこの病院には、北斗市以外の地域からも患者さんがたくさん来るので、いつコロナに感染してもおかしくないと思っていました。なので、わざわざほかの地域に行かなくてもいいように、総合病院をつくれば便利になっていいと思いました。
  3つ目は、外国人も楽しめる街づくりです。現在、新型コロナウイルスで日本に来る外国人観光客が少ないですが、コロナ前のデータ「日本に来た国別外国人観光客」を見ると、中国・韓国・台湾・香港の東アジア勢が最も多く訪れているほか、アメリカやオーストラリアなどのアジア以外の地域からの観光客も多く訪れていました。しかし、案内などが日本語のみだと、案内の意味がありません。そこで、日本語案内表示の下に、英語、中国語、韓国語などの案内を加えて、表示すればよいと思います。しかし、全ての案内に加えるのは時間がかかるので、QRコードを近くにつけたり、画面をタッチして通訳ができたりする設備を設けて、外国人も便利に観光できればいいと思います。また、案内がないところでは、「公衆無線LAN」という無料の機能を設けると安心です。
   最後に、僕は、ものづくりが大好きです。そこで、もっとたくさんの人に北斗市の魅力を知ってもらうために、子供から大人まで楽しめるゲームをつくりたいです。そのゲームは、「北斗市RPG」と「北斗市特産品パズル」です。「北斗市RPG」は、北斗市を完全再現したマップで観光しながらモンスターを倒して、ずーしーほっきーを助けるゲームです。「北斗市特産品パズル」は、トマトやキュウリ、ほっきなどのブロックを並べて消して、レベルを上げてまちを発展させるゲームです。また、過去に、運動公園の未来を考えるワークショップに参加して、老朽化対策や新たな施設・設備を考えました。このようなワークショップなどの北斗市の未来をつくる企画を考えて、一つずつ形にしていける仕事に就きたいと思っています。北斗市民のみなさんと一緒に北斗市をよりよくしていきましょう。

 

※「QRコード」は株式会社デンソーウェーブの登録商標です。

4.長谷部豊 さん『今のわたしが未来を創る』

 What if we don't have a neighborhood association?
 町内会がなかったら、どうなると思いますか?
 ぼくたちは、「北斗市の未来を考えよう」をテーマに、総合的な学習の時間に、地域の方から学んだり、北斗市とほかの町を産業や気候などから見直したりしてきました。先月、先生が「もし町内会がなかったら」という動画を見せてくれました。町内会のない世界。そこは、安全や安心、心のつながりなどない世界でした。ゴミが道路に散らかり、地震で家具の下じきになっても、助けてくれる人はいません。横断歩道を渡る小学生に、早く渡れとクラクションを鳴らす車たち。防犯灯は消え、空き巣にあいやすい、そんな不安や町への不満がいっぱいの世界でした。動画が終わったあと、教室がシーンとなったのを覚えています。
 動画を見終わったあと、ぼくは、町内会で行われた、クリーン作戦に参加したときのことを思い出していました。タバコの吸いがらや、お菓子の包み紙など、小さなゴミがあちこちに落ちていたあの日。みんなで協力してゴミ拾いをしたあと、道路や空き地は、本当にきれいになりました。ぼくたちが行ったのは、ゴミ拾いだけでしたが、町内会の方は、ぼうぼうに生えた草を、草刈り機で刈っていました。とても疲れる作業のはずです。でも、誰もいやな顔一つしないで、草を刈ってくれました。ぼくたちがあいさつをすると、どの方も、にっこりとあいさつを返してくれました。日曜日に、町内の方と話をしたり、参加した人みんなが、笑顔になったりできて、いつもの日曜日とは違う楽しさがあったのです。
 次の授業から、ぼくたちはよく話し合いました。自分たち自身が、町内会を通して、この町をどう創り上げていきたいのか。小学生ならではの発想を、大人にも知ってほしい。何か一つでも役に立てるのなら、どうか参考にしてほしいと、一生けん命考えました。
 今回、北斗市の方や調べ学習を通して、小学生のぼくたちにも、まちづくりに参加できる活動があることを学びました。そして、町内会というものは、ぼくたちの住む地域を、素敵な町に変えていくきっかけになることもわかりました。今、クラスでは、北斗市にある町内会の活動を、たくさんの人に知ってもらうための工夫や、町内会活動に満足する人を増やすための工夫などを、真剣に議論しています。必要な予算や人の数、準備期間、そして、反対意見にどう向き合うかなども考えるようにしています。ぼくたちにできるのは、まだまだ小さなことだけど、仲間たちと一緒に考えて、これからも、町の人たちとつながりをもっていきたいと思います。
 I will keep contact with the people and make a bright future.  

5.藤谷衞 さん『笑顔で元気な街を作りたい』 

 今から28年前に、奥尻島北方沖を震源とする震度6の大地震が起きました。北海道南西沖地震です。この地震で、奥尻島では198人の方が死亡・行方不明になりました。その時、僕の父と母、祖父母は、奥尻町の青苗という町に住んでいて、災害に巻き込まれました。父は、当時の様子をよく僕に話してくれました。地震の直前までどの家にも普段通り明かりがついていて、普段通りにテレビの音が漏れ、普段通り町の人の声が聞こえていたこと。地震が発生した直後には、電線を超える大津波が町を襲い、一度にたくさんの家が流されてしまったこと。
 父は、「流されてしまったのか、今も行方不明の子もいるんだよ。誰かが『一緒に逃げよう』って声をかけていたら、避難できたかもしれないのに。」と、残念そうに言っていました。
 僕が住んでいる市渡地区は海よりは山に近く、地震による津波の被害は少ないと思います。しかし、山崩れや地割れはあるかもしれません。地震に限らず、大雨や台風などの災害も考えられます。この夏も西日本では大雨による災害が起きました。アナウンサーの「避難をする時は、近所の家の人もさそって一緒に避難してください。」と言うのを聞いたとき、「一緒に逃げようって声をかけていたら。」という父の言葉がよみがえりました。
 あなたがその場にいたら、声をかけることができますか?
 現在、新型コロナウイルス感染症が流行し始めて、約一年半がたとうとしています。僕たちは毎日感染症対策を意識し、マスクをつけ飛沫を飛ばさないようにして頑張っています。でもその一方で、人と話す機会も減ってきているように思います。市渡小学校では、これまで行なっていた縦割り清掃や交流給食の時間が無くなりました。何度も緊急事態宣言が出され、他学年との交流は劇的に減っています。
 現在の状況をかえりみて僕は、市渡小学校児童会会長として、実行したい計画があります。それは、「笑顔プロジェクト」です。これは、全校児童の笑顔の写真を撮影し、玄関前の一か所にかざる企画です。全校児童のマスクなしの顔と名前を覚え、マスク越しでも笑顔で名前を呼び合えるようにするためです。この中に、お世話になっている地域の方の笑顔もあったら、もっと素敵でしょう。顔や名前を覚える、声をかけあうといった小さな取り組みですが、この企画によって、日常だけではなく災害などの緊急時も、気楽に声をかけられるようになると思います。
 僕は、この笑顔プロジェクトを起点として、将来的に北斗市全体の人達がお互いの顔や名前を覚え、声をかけあえられたら、と考えています。その方法は、「あいさつ」です。笑顔のあいさつをすることで、市民全員が気軽に会話のできる雰囲気になるのではないかと思います。さらには、日常から声をかけあうことで、お互いの健康状態の変化にも気がつき、災害や病気からも命を守ることにもつながるのではないでしょうか。誰もが明るく話ができる、健康な街、北斗市。こんな、笑顔の絶えない街であれば、だれもが住みたい街になるはずです。ぜひ、そんな街づくりができるように、僕も力を尽くしていきたいと思います。まずは、この会場の皆さんで笑顔のあいさつを。
 「こんにちは!」

6.髙橋海羽 さん『変わるもの 変わらないもの』

 "変化”ときいて、何を思い浮かべますか。私は、変化と同時に変わらないものも浮んできます。今回はこの2つから北斗市を見つめていきたいと思います。
 北斗市の隣の市、函館市は毎年多くの観光客が訪れています。北斗市と函館市の観光客の数を比べると、令和元年度は、函館市5,368,900人、北斗市741,300人、令和2年度では、函館市3,102,800人、北斗市428,500人と圧倒的に北斗市より函館市の観光客の数が多いです。2016年、北海道新幹線が開業しました。北斗市は観光都市として進んでいくのでは、私たち市民は大きな期待を寄せました。当時小学3年生だった私はもっと人が集まり街は観光客であふれかえると思っていました。ところが、新函館北斗駅ができて、5年もたつというのに駅周辺のにぎわいはほとんどないのではないでしょうか。現在は新型コロナウイルスの影響で大きなイベントはなかなかできません。ですが、私は北斗市のPRや観光客を呼ぶ取り組みをする必要があると思います。
 そこで私は、これからの北斗市のために北斗市の観光名所や名産品をアピールすることを提案します。そのアピール方法とは、北斗市の名所や名産を外国人でもわかりやすいポスターやホームページをつくり、北斗市に訪れたくなるような、PR動画の作成など北斗市のことを少しでも知ってもらえるような工夫をすることです。
 私たちの学校では、北斗市や茂辺地の事を知ってもらうためのパンフレットをつくっています。日本語と英語の2種類を作成し、函館市で外国人観光客に向けて配布する活動を行なっていましたが、コロナの関係でその活動は2年間できていません。私は入学したら、この活動を楽しみにしていましたので、来年はパンフレット活動を行なってみたいなと思います。
 また、大きな変化といえば、私たちの学びもあげられます。
 私が中学校に入学した頃とはずいぶんと学びの方法が変わってきました。去年までは、ノートをとって学習するのが主流でしたが、今年の春から1人1台ずつタブレットがあたることになり、それを使って勉強することが増えてきました。私は小学生の頃からキレイにノートづくりをする先輩にあこがれ、なるべくキレイなノートづくりをしようと心がけてきました。家庭学習や授業中のノートでの授業には、まだついていけず困ることがあります。授業だけでなく家と学校をインターネットでつなぎ、リモートで授業を受けたり、自分で学習をしたりと、ノートを使って学習する時代からタブレットを使って学習する時代に変わってきました。しかし、考えをまとめたり、整理するなどの事はノートをまとめたりするのと変わらないので、応用したいと思います。
 でも、変わってゆく時代の中でも変わらないものがあります。
 それは地名です。今の北斗市は平成18年に、上磯町と大野町が合併して北斗市という名前になりました。上磯・大野の地区の名前にはそれぞれ歴史があり、私たちが通う小学校、中学校の名前は、地区の名前が元になっていることが多いです。その地区の名前がついている学校に通う小中学生に、もっと自分たちの地区について関心をもち、歴史や名前の由来を知ってほしいと思います。そして、それを誇りに思うべきではないかと思います。
 ここで、いくつかの地区の名の由来と小学校の命名のきっかけをご紹介します。
 1つ目は、上磯小学校です。明治12年、有川村と戸切地村が合併して上磯村になりました。上磯村になった由来は、函館市西岸部海岸に位置していたことから西部で「上」、海岸に近い場所を示す「磯」で、上磯という名前になりました。
 2つ目は、石別小学校です。三ツ石と当別の中間に位置していることから、三ツ石の「石」と当別の「別」を合わせて、「石別」という名前になりました。
 このように、名前がつくときいくつかの村や地名が合併していることにお気づきでしょうか。
 私はこの先の北斗市がどんなに変化してしまっても、せめて私たちの通う学校の名前はずっと残り続けてほしいと思います。
 北斗市が観光都市として、変化したり進化したりすることは、大事で必要なことだと思います。ですが、進化・変化などだけに目を向けず市や地区の歴史などは、いつまでも未来に残していきたいし、なくしてはならないものだと思います。
 私は、時代が変わってゆく中でも変わってはいけない未来に残していきたい古い歴史などを誇りに思い、大切にしていきたいと思っています。

7.齋藤克気 さん『日本、いや、北斗市、いや、僕たちに今できること』  

 僕は海が大好きです。小学校三年生のときから釣りを始め、それからずっと海が大好きです。僕が釣った魚を家族みんなが喜んで食べてくれると、嬉しくて、食事もさらにおいしく感じます。僕にとっての海の魅力は、その景色にもあります。澄んだ空気の中で朝日に反射してキラキラ光る海を見ると、自然と活力がわいてきます。夕日を映し出す海を見ていると、自然と楽しかった一日が思い出され、気持ちがおだやかになります。海は、僕たちの食卓を豊かにしてくれたり、心を落ち着かせてくれたりします。自分にとって、海はなくてはならない大切な存在です。
 しかし、今僕は、大好きな海に行く度にとても残念な気持ちにもなります。それは、海にはいつも大量のゴミが散乱しているからです。ゴミは砂浜にも岩間にも落ちていて、波打ち際にもゆらゆら揺れています。海に行って、ゴミが落ちていない日はあるのかというほどです。僕はそのゴミを見て、「どうしてここにゴミを捨てるんだろう。」「ここにゴミを捨てても何一つ良いことはないのに。」「このままだと、この海はどうなってしまうんだろう。」と毎回思っています。
 環境省の調べによると、海洋ゴミにはプラスチック、ガラス、陶器、金属のほか自然物など様々な種類があり、現在最も深刻な問題になっているのはプラスチックゴミだそうです。日本から流出する海洋ゴミのうち、プラスチックゴミが約65%を占め、年間2万トンから6万トンにものぼるそうです。これは、海の生き物たちへ大きな影響を与えています。これまでに、魚類やクジラのほか、ウミガメや海鳥など、少なくとも七百種類ほどの生き物を傷つけてきました。例えば、ポリ袋をエサと間違えて食べてしまったり、網にからまって傷つき死んでしまったりすることもよくあるとのことでした。
 ここまで調べて、僕は、はっとしました。先日僕が釣りに出かけ、帰ろうとするとき、漁港の隅で動けなくなっているカモメがいたことを思い出したのです。よく見ると、釣り人が捨てた糸がカモメの体中に絡まっていました。僕は、本当に悲しい気持ちになりました。別の日には、ペットボトルのキャップを食べようとしている魚や、ゴミの間にはさまって死んでいる魚も見たことがあります。皆さん、この話を聞いていて、今どんな気持ちですか?
 このゴミの被害は、海の生き物だけではなく、僕たち人間にも大きな被害を及ぼします。漁業や観光業だけでなく、船舶運航の障害にもなり、そして当然水質も悪化します。
 北斗市はほっき漁が有名ですが、もしかしたら今後北斗市全体の産業や経済にも影響してくるかもしれません。
 では、今僕たちには何ができるのでしょうか。考えたところ、僕は、誰でもできることが二つあると思います。
 一つ目は、もうこれ以上海にゴミを捨てないことです。日常生活を送る上で、ゴミが出るのは当然のことです。しかし、だからゴミを捨てて良いということにはなりません。出てしまうゴミは、適切に処理することが大切です。「このくらい捨てても大丈夫だろう。」ゴミを捨てる人はそう考えていると思います。しかし、そんな考えは甘すぎます。その一つ一つのゴミが積もり積もって、大量の海洋ゴミになっているのです。どんなに小さなゴミでも持ち帰るべきです。少しくらいめんどくさくても立ち止まって考えなおす人が増えれば、海の汚染を止めることができます。
 二つ目は、自分がゴミを拾う側になって、海をきれいにすることです。北斗市では、毎年、「海岸線クリーン作戦」というものを実施しています。これは、住民や各学校の児童・生徒、企業のボランティアの方などで協力してゴミを拾うという取り組みで、僕も毎年参加しています。ゴミを拾う前はいつも一面ゴミだらけですが、終わったあとは見違えるほどきれいになります。ゴミを自ら拾い、日の光を浴びて輝く海と砂浜を見ると、自分自身の気持ちもすっきりします。今年も楽しみにしていたのですが、緊急事態宣言の影響で延期になった関係で都合がつかず、参加できませんでした。とても残念に思っています。また機会があれば、頑張りたいです。その際は、皆さんも一緒にボランティア活動に参加しましょう。
 今僕が皆さんにお話していることは、小さいことかもしれません。しかし、世界中の人が同じ気持ちになって、小さなことから行動にうつすことが、SDGsのゴールである「海の豊かさを守ろう」につながるのではないかと思います。一人ひとりの意識や行動が、海と僕たちの未来を守り、明日をつくります。自分にできることを、ひとつひとつ、こつこつと。必ず、未来は変えることができます。
 御清聴、ありがとうございました。

8.佐藤遥希 さん『僕の描く未来』

 今回、この発表に向けて改めて北斗市の未来について考えてみました。北海道新幹線開業から五年が経過し、当時、まだ小学校三年生だった僕は、北海道に新幹線が走るニュースを見たり、新函館北斗駅でイベントが開催されたりしていてとても嬉しかったことを、今でもはっきりと覚えています。当初に比べ、新函館北斗駅にはホテルやレストランなどの店舗が増えてきていますが、まだまだ賑わいを見せてもよいと思います。今後、北海道新幹線が札幌まで延伸されたとき、新函館北斗駅が通過点となってしまいます。これを防ぐには、いかにこの駅に降りて北斗市に長い時間滞在してもらえるか考えるとともに、函館市との差別化も重要になってくると思います。
 函館市は函館山や元町の赤レンガ倉庫群など、観光名所も沢山あり、観光に力を入れています。北斗市にもトラピスト修道院や法亀寺の枝垂れ桜、周辺の桜のライトアップなどありますが、各スポット間の距離も遠く、交通の便が悪いので、車が必須となるのが現状です。もちろん、観光名所を沢山作ることは北斗市の認知度も上がりますし、人の流れを生むために重要なことだとは思いますが、僕が未来の北斗市を考えたとき、函館市が「観光」ならば、北斗市は差別化を図り「スポーツ」を全面的に打ち出すべきだと考えます。北斗市運動公園には体育館やフットボール場、野球場や陸上競技場があり、本州からスポーツ合宿も誘致しており、近頃は北斗市としてもスポーツに力を入れていることを実感します。
 そこで、観光面とスポーツ面両面を満たすものを考えたとき、自転車に関する事柄に力を入れる未来はどうでしょうか。
 新型コロナウイルスが流行したことにより、密を回避することや運動不足解消のため、自転車の人気が高くなっています。実際に僕は数年前からロードバイクに乗っていますが、大野平野をサイクリングしていて思うことがあります。まず、北斗市内は函館市に比べ道幅が広く、車の交通量や信号機も少ないため、走りやすい道路がとても多いです。その上、地元の人しか通らない道が多く、のどかな田園風景を眺めながら走るのは気持ちのよいものです。これは、車に乗っているときには気付くことができない北斗市の魅力の一つだと思います。道南には本格的な自転車専用道路がありませんので、河川敷の整備や路肩に自転車やランニング専用に行えるサイクリングロードを設けることも、北海道内外から人を呼ぶのによいのではないかと考えています。本州で有名な、瀬戸内海を抜ける、しまなみ海道のイメージです。
 石別地区や新函館北斗駅ではレンタサイクル事業を実施していますが、より一層、利用者を増やすきっかけにもつながると考えます。きじひき高原展望台などの、景色のよい観光名所や米、ホッキ貝、ネギなど、北斗市の名産を使用した地産地消の名物、宿泊施設や駐車場などをルート上に設定し、北斗市の魅力を最大限に生かすことが、函館市との差別化を図るためにも、未来の北斗市には必要ではないでしょうか。また、整備が完成するまでの間は、安心して走行できるルートを、市のホームページ上に公開することや、道案内のための看板を設置することで魅力を発信できると思います。また、きじひき高原では、サイクルレースを行なっていますが、大沼で行われているグルメライドのような、順位を競わず地元の名物を食べながら気軽に参加できるイベントも、「スポーツ」を前面に打ち出す北斗市の魅力を発信できる機会だと考えます。
 また、自転車に限らず、北斗市主催の各スポーツ大会の新設や、海を使ったスポーツ大会など、人を集めることができるイベントを行うことで、北斗市の知名度を上げることができると思います。未来に向け様々なイベントを通して知名度を上げ、「スポーツといえば北斗市」と認知してもらえるような未来にしたいです。スポーツを通じて人と人との交流を深め、健康的な町にすることや、知名度を上げるとともに、暮らしやすく、ずっとみんなの住みたい町であってほしいです。
 現在、流行中の新型コロナウイルスの終息までには、あと数年はかかるかもしれませんが、どんな状況の中でも、明るい未来を信じ、僕たちができることを考え、誇りに思えるような北斗市に発展させていきたいです。

9.小林優菜 さん『心と心で支え合う』  

 みなさん。みなさんは現在、十分に満ち足りた生活を送っていますか。例えば、家庭での優しく温かな団欒。姉妹でダンスの練習をしたり、空想の世界で遊んだりしたこと。母に態度や礼儀作法についてしかられたり、将来について真剣に話し合ったりしたこと。家族で旅行や買い物に出かけたこと。そこには、確かに、優しく温かな時間がありました。また、学校での楽しく賑やかな語らい。みんなの笑顔がはじけた球技大会。輝く雪山でスキーやスノーボードに挑戦したこと。友人と悩みを話し合ったこと。そこには、確かに、楽しく賑やかな時間がありました。
 しかし、現在の私は、このような満ち足りた生活から、少し離れてしまったような気がします。少し前までは確かにあった。いいえ、そんなことは考えることもないほど、ごく自然に存在していた、幸せな時間。それが、新型コロナ感染症により、私たちの生活は、家庭でも、学校でも、大きく、大きく変わってしまいました。
 二年生となった春4月、新年度を迎えて、新たな学校生活がスタートしました。ところが、10日ほどで、突然臨時休校となってしまい、自宅学習に取り組む生活が、5月いっぱいまで続くことになったのです。この間、学習に取り組みながら、趣味の絵を描いたり、好きな音楽を聴いたりと、有意義な時間を過ごしていました。しかし、ずっと家にこもっていると、次第に、学校に行けないストレスを感じるようになりました。友人と直接会うことができないストレスは、徐々に高まりました。「友人と直接顔を合わせておしゃべりしたい。」「先生と直接顔を合わせて勉強したい。」その気持ちを抑えるのは、とても大変なことでした。
 6月になり、いよいよ学校に戻れる日がやってきました。新たに始まった学校生活は、新型コロナ感染症対策で、大きな制約がありました。マスク着用は、違和感が強く、嫌悪感さえ感じました。そのほか、朝の検温、こまめな手洗い、消毒、黙食、などなど。中でも特に残念だったのは、友人と絶えず、距離をとる必要があったことです。会話を楽しみながらの食事や、お互いにふざけ合うこともできませんでした。全てにおいて、距離をとらなければならない生活は、何となく味気なく、「うきうき」「わくわく」「どきどき」とは、無縁のものでした。
 でも、臨時休校で家に閉じこもっていた頃のことを思い出すと、少しずつ私の気持ちに変化が現れてきました。友人たちや先生方と毎日会えること、目と目をあわせて会話ができること、それだけでも十分に、幸せな満足感に満たされることに気づいたのです。そういえば、学校が再開された日、長い間会えなかった時間を取り戻すかのように、クラス全体の雰囲気が明るく、みんなが生き生きとしていたことを思い出しました。家族、友人、先生との、位置的な距離は離れたとしても、心の距離まで離れることはなかった。いいえ、以前よりも、心と心の距離は縮まりました。新型コロナ感染症により、新しい生活様式の中で、このような感覚に包まれたことは、私にとって、すてきな変化でした。
 このような状況の中で、私にもう一つ、大きな変化がありました。それは、高校卒業後に目指すべき、進路が見つかったことです。新型コロナ感染症により、医療関係者は、誰もが追い詰められていました。救急外来の受け入れ制限、一般診療への悪影響、医療機関での感染、医療資材の不足、看護師の退職、様々なニュースがあふれ、まさしく、医療崩壊という状況でした。また、多くの看護師の悲痛な声が、胸に刺さってきました。「日々怖いと感じながら仕事をしている。」「精神的ストレスが大きい。」「感情のコントロールが難しい。」「先が見えないことが辛い。」
 このような声を聞きながら、私は考えました。今の状況では、医療関係者の使命感だけでは、限界があるのではないか。心身ともに健康で働き続けるためには、何が必要なのだろうか。私にできることはないのか。私には何ができるのか。このようなことを考えながら、自分でも気がつかないうちに、私の中に、ある思いが芽生え始めていました。その思いは、少しずつ、はっきりとした輪郭を持ち始め、私の目にも見えるようになってきました。「周りの人や社会の役に立てるように、患者を支える看護師の1人となりたい。」「患者を前向きな気持ちにできる看護師になりたい。」「患者の悩みや変化に気づける看護師になりたい。」「患者のすべてを受け止めて尊重する看護師になりたい。」私は、理想の看護師を目指す決意を固めました。
 北斗市が、住民一人ひとりのつながり、絆を大切にしていく街。そして、みんなが笑顔で、お互いに、思いやる関係で結ばれている街として発展してほしい。そのような街で、看護師として、皆さんの心の支えとなりたいのです。一人ひとりの不安に寄り添い、向き合うことができる看護師。優しさや思いやり、そして、自分の思いをしっかりと形にできる看護師として、北斗市と共に、私は成長していきます。

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