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【令和5年度】青少年の主張

北斗市青少年育成大会が令和5年10月7日(土曜日)、総合文化センターかなで~る大ホールで行なわれました。
大会では、「私の近くのSDGs ~小さな気づきで大きく変わる~ 」「伝えたい、大切なもの ~舞い上がれほくと~ 」をテーマに、市内小中学校、高校から選出された青少年が主張しました。北斗市の未来や、これからの北斗市への提言、そして今後の自分の未来、身近な人との心のつながりなどに対する、率直で熱い思いを発表しました。

令和5年度青少年育成大会開会式

 

来場者の様子

 

1.小川禅匠 さん(石別小学校6年)『海 ~環境について~』
2.對馬凛花 さん(谷川小学校6年)『北斗市のみんなが「認知症サポーター」に』
3.谷口琴音 さん(久根別小学校6年)『木を大切に』
4.川口亮太 さん(萩野小学校6年)『農業の体験から貢献、そしてまちづくりへ』
5.山下吏玖翔 さん(市渡小学校6年)『「木育」が世界を救う』
6.川井進永 さん(茂辺地中学校2年)『守りたい、みんなの笑顔』
7.阿部遼大 さん(上磯中学校2年)『制服が変わる!? ~対話こそ、未来を拓く~』
8.阿部華 さん(大野中学校2年)『私の夢』
9.沼岡青空 さん(上磯高等学校2年)『当たり前から小さな気づき』

 

1.小川禅匠 さん(石別小学校6年)『海 ~環境について~』

石別小学校6年 小川禅匠さん

   窓から見渡す津軽海峡。僕の家は、海のそばにあります。両親ともに海が好きで、この場所に家を建てました。そんな環境で育ったこともあり、ぼくも兄も海が大好きです。暑い日にはよく海に泳ぎに行きます。そして最近、思うことがあります。それは、たくさんのごみがある、ということです。
   プラごみやペットボトル、海外のものと思われるごみ、最近では注射器が流れ着き立ち入りが制限される、ということもありました。
   ぼくは、きれいな海を守りたいと思っています。海はたくさんの恵みを与えてくれます。海にはたくさんの魚や貝がいます。海は、僕たちの遊び場でもあります。海水浴やサーフィンなど、海で楽しめることはたくさんあります。海は、ぼくたちの心をいやしてくれます。青い海や波の音、磯の香りに触れると、気持ちが明るくなります。
   そんな海が今危機にさらされているのです。たくさんのごみが流れ着き、汚されています。海のごみが増えることで海の美しさや魚たちの命が失われてしまいます。
   では、きれいな海を守るために、ぼくたちは何ができるでしょう。まずは、プラスチックごみを減らすことが大切です。海岸に流れ着くごみ、海中のごみの7割近くがプラスチックごみであるというデータもあります。みなさんは家庭科の授業で、『スリーアール』について学習したと思います。リユース、リデュース、リサイクルのことです。プラスチック製品をできるだけ使わないことや、使った時は、そのあとで正しく分別しリサイクルする、といったことを実践することで、海のごみを減らすことにつながります。マイバックやマイはし、詰め替え用のボトルを使うなどといった簡単なことから始めてみてはどうでしょう。
   次に、今あるごみを回収することです。北斗市では春と秋の年2回、海岸線クリーン作戦を行っています。ぼくの学校でも、中学校と合同で海岸清掃を行っています。一人では大変な作業ですが、みんなと協力して取り組むことで、たくさんのごみを楽しく集めることができています。きれいになった海岸線を見ると、とても晴れ晴れした気分になります。
   SDGsの目標14として、『海の豊かさを守ろう』ということがうたわれています。世界規模の問題でもありますが、一人一人の小さな積み重ねが、目標の達成へとつながっていると思います。
   ぼくは、きれいな海を守りたいです。ぼくたちの日々の行動が海に影響を与えています。だからこそ、日々の行動で海を守ることもできます。みんなが一緒にやれば大きな力になります。みんなで協力して、きれいな海を未来に残しましょう。

2.對馬凛花 さん(谷川小学校6年)『北斗市のみんなが「認知症サポーター」に』

谷川小学校6年對馬凛花さん

   皆さんは、「認知症」という病気を知っていますか?私は、認知症という言葉は聞いたことがありましたが、身近に認知症の人がいなかったこともあり、詳しくは知りませんでした。
   私たち6年生は、七月に北斗市地域包括支援センター「かけはし」の方に来ていただき、認知症について学びました。その時、認知症について、わずかですが理解することができたので、私と同年代の皆さんや認知症のことを知らない人たちにも聞いてもらい、認知症の人を支えていくサポーターになってほしいと思い、皆さんの前で主張することにしました。
   皆さんは「年をとる」と聞いたら、どんな姿を思い浮かべますか?白髪が増える、物が見えにくくなる、音や声が聞こえづらくなる、物忘れをする…、などが思い浮かぶと思います。このような症状に加えて、認知症を発症する方も多く、65歳以上で6人に1人、85歳以上で3人に1人がかかる、意外にも身近な病気なのです。
   認知症は、脳細胞が死んでしまったり、働きが悪くなったりする時に起こる脳の病気です。認知症になってしまうと、記憶障害になり、今あったことが覚えられなくなり、さっきのことも思い出せなくなります。進行すると、大切な情報までも忘れてしまいます。認知症は、今まで歩んできた人生の様々な出来事や大切なことを忘れてしまう、怖く、悲しい病気だと思いました。
   そんな認知症の人を支えるために、私が一番大切だと思うことは、「自分を大切だと思うように、認知症の人を大切に思って接すること」です。認知症の人は、認知機能は低下しても、感情の機能はおとろえません。つまり、悲しい、さびしい、うれしい、楽しい、ホッとする、などという気持ちは、私たちと変わらずもっています。だから、認知症の人が物忘れをしたり、失敗したりした時に、怒って責め、孤立させるのではなく、ゆっくりと話を聞いてあげ、優しく教えてあげるとよいそうです。周りの人が、様子を気にかけて、分からなければ教えてあげ、やさしく接していくことが、認知症の人の安心する気持ちにつながり、人生を明るいものにしていくことでしょう。
   最後になりますが、これは認知症サポーターのイメージキャラクター、ロバ隊長です。北斗市地域包括支援センター「かけはし」の方が時間をかけて作ってくれました。ロバ隊長には、ロバのように急がず着実に歩みを進め、「手助けします」という意味が込められています。認知症サポーターとは、特別なことをする人ではありません。認知症の人と共に歩み、必要なことを手助けしてあげるだけです。私は認知症に限らず、周りにいる様々な人たちを、進んで支えていくことが大事だと感じました。このロバ隊長に込められた願いを、一人一人が実行することは難しいことでしょうか。急がず着実に一歩一歩を進み、自信をもって生きていける社会を実現できたら嬉しいです。
   北斗市みんなが「認知症サポーター」のように、相手に寄り添い、手助けするためには、私もその一人として、これからを歩んでいきたいと思います。

3.谷口琴音 さん(久根別小学校6年)『木を大切に』

久根別小学校6年谷口琴音さん

   私は、読書が好きです。1か月に3冊ほど本を買ってもらって、読書を楽しんでいます。買ってもらった本は、一気に読んでしまい、1日で読み終えてしまうこともあります。そんなときには、読み終わった本をもう一度読み返したりします。
   本は、たくさんのことを教えてくれます。前に読んだ本は、地球温暖化について知るきっかけになりました。昨年、5年生のときに行った調べ学習でも興味をもって学習することができました。その時に、私がいちばん気になったことは、地球の森林が少なくなっているということです。私たちの住む北海道、そして北斗市についても例外ではありません。そして、その最大の原因が私たち人間であるということが、調べていくうちにわかりました。
   では、森林がなくなると、私たちの暮らしはどのように変わるのでしょうか。私ははじめ、森林がなくなっても私たちのくらしはそんなに変わらないと思っていました。けれども、森林がなくなると、山でとれる木の実やキノコ、山菜などがとれなくなり、生態系が崩れること、またそのことで、山から海に流れる養分がなくなるために、海の生態系にも影響があることがわかりました。そして、何よりも、森林は二酸化炭素を取り入れ、酸素をだす働きがあることから、私たち人間が生きていくために最も必要なものだといえます。けれども、私たち人間は自分たちの生活のために、木を切り、よごれた空気を排出してきました。木は大きくなるためにたくさんの年月を必要とします。今、私たち人間の行いと、自然の役割との関係が社会で大きく見直されてきています。
   SDGs制定の目標15にもかかげられているように、2030年までに「陸の豊かさを守る」ことが世界で目標にされています。
   この目標で言われている「陸の豊かさ」とは何を指すと思いますか。私がぱっと頭に浮かんだのは、森林などの緑がたくさんあることです。私の住む北斗市には緑豊かな森林が多くみられます。生活の中に緑があることで、心もなんだかほっとするような気がします。この「陸の豊かさ」を守るために、今わたしができることについて考えてみました。
   1つ目は、私の大好きな読書が続けられるように、木から作られる紙を大切にすることです。古くなった本をリサイクルにだしたり、読み終えた本は知り合いに譲ったりすることで、本も自然も大切にできます。また、私の家では、段ボールやお菓子の箱などの紙ごみを燃えるゴミで出さずに、古紙回収としてだしていることに気づきました。いつも母がごみをまとめる姿をみてきましたが、なんのためなのかはわかりませんでした。今、私が感じている「紙を大切にすること」がこんなにも身近で行われていたことを知り、今後はわたしも母を手伝うなどして関わっていきたいと思いました。
   2つ目は、環境に配慮した製品を選ぶようにすることです。環境に配慮した製品は、環境認証マークがついていることで知ることができます。有名なものではエコマークなどがあります。ほかにもバイオマスマークなどがあります。バイオマスとは生物由来の製品のため、そのほとんどが処分をするときに排出されるものが、地球に負担がかからないそうです。身近なものでいうと、レジ袋などがあげられます。
   このように、少し周りを見渡すと自分にもできることがたくさんあることに気づきます。
   私たちの住む北斗市は、海と山の恵みをたくさん受けることができる自然豊かな地域です。この自然をこれからもずっとこの北斗市に、北海道に、そして地球で受け継いでいくことは、私たちの責任なのではないでしょうか。このことは私一人では実現することはできません。皆さん一人一人の小さな心がけで、実現することができると私は考えます。

4.川口亮太 さん(萩野小学校6年)『農業の体験から貢献、そしてまちづくりへ』

萩野小学校6年川口亮太さん

   ぼくたちの身近にも体験型の施設があったらいい。
   北斗市は、農業も水産業もさかんです。ぼくは、北斗市のよさをたくさんの人に知ってもらうために「食」について、体験したり実際に働けたりする場があってほしいと考えました。
   ぼくは、母の知り合いの畑で、畑仕事の手伝いをさせていただいたことがあります。土を耕し、種をまいた春の日。そして、野菜を収穫した残暑きびしい秋の日。「こんなに大変な作業をして、おいしい野菜を作ろうとしているんだな」と、作業しながら思っていました。報酬は、とれたての野菜たちでした。そして「ありがとう。とても助かったよ」という農家の方からの、お礼の言葉と温かい笑顔でした。「ああ、手伝いに来てよかったな」「次は、友達と一緒に来られたらいいな」。ぼくは、さっそく、家に帰って、母に野菜サラダを作ってもらいました。新鮮で、甘味もあって、ひと切れの野菜も残さず食べました。
   こんなこともありました。総合の授業で稲刈り体験を終えた日、地域の方がぼくたちにこう言っていました。「お米だけじゃないけれど、食べ物を大事にしてね」。5年生のふるさと学習で毎年行っている田植えや稲刈りの体験。夢中になって稲を植え、稲を刈った日。給食で出たふっくりんこ。いつも以上においしくて、みんなで食缶を空にしたあの日。その時も、ぼくは「体験することってみんなの気持ちを変えるんだ。」と気付きました。
   現在、農業について、課題はいくつもあると社会科で習いました。働く人の高齢化のこと、燃料や農業機械のこと、安心・安全をどう消費者にアピールするか。
   そのために、ぼくは考えました。「あぐりへいや」の近くに、農業と食について学べる施設を建てませんか。講師は、北斗市にいる、たくさんの農家の方などにお願いするのです。畑や田んぼは、体験農場として、その方々の農場を使わせていただくのです。農家の方の力を借り、ときには農家の方と一緒になって、苗植えから収穫までを行うのです。さらに、収穫した食材をどう調理するかという、レシピまで北斗市の婦人部の方々にお願いして授業をしていただく。実際にその場で調理も体験し、食べてみて、その作り方と味を家庭に広めます。それだけでなく、収穫した米や野菜を、販売体験として「あぐりへいや」で実際に販売してみるのです。
   この施設に行けば、作物のつくり方だけでなく、調理や販売の知識をもつことができ、実際に働くこともでき、食べることもできる。そして、その体験を北斗市と市民のために、また返していく。農業と食の体験と学びを中心として、北斗市に貢献するモデルをつくるのです。対象は、小学校から高校まで、いや大人でも。
   とても大きなぼくの願い。でも何かが始まれば、ぼくのように農業の体験から食に関心を持つ子どもたちや大人が増えていくきっかけにもなります。子供を大切にする町・北斗市。学びを大切にする町・北斗市が、今一度、農業と食に目を向け、一歩一歩進んでほしいなと願っています。ぼく自身も、これからも、ふるさと学習などを通して、食や農業について学んでいきます。

5.山下吏玖翔 さん(市渡小学校6年)『「木育」が世界を救う』

市渡小学校6年山下吏玖翔さん

   僕が通っている市渡小は、とても自然豊かな所にあります。校舎は、大きな栗の木やミズナラ、こぶしなど、たくさんの木々に囲まれていて、季節ごとに様々な花や実をつけます。森の恵みのおかげで、エゾリスなどの小動物やトノサマバッタなどの昆虫、カナヘビなど、たくさんの生き物とふれあうこともできます。休み時間になると、虫取り網を片手に一斉に森の中に駆け出していく下級生たちも大勢いて、僕たちは常に自然を身近に感じながら生活しています。さらに、「木育」という学習を通して、森や木とのかかわりは、より深いものになっていると感じています。
   木育の学習では、木の実や枝を使った小物づくりや椅子などの木工品づくりを体験します。また、木製の手作り巣箱を庭の木々に設置したり、モルックを作って班対抗のゲームを楽しんだりもしています。冬には、かんじきをはいて雪の中で自然観察をします。
   このように、僕たちは当たり前のように自然とふれあいながら生活していますが、以前、SDGsについて学習した際、世界では森林破壊が進んでいることを知って驚きました。1990年からの30年間で減少した森林面積は、日本の面積の約4倍以上。たった一時間で東京ドーム約144個分の面積が失われているそうです。畑を作るため、紙やパームオイルの原料となるヤシを育てるために森林伐採をしていることなど、減少の原因は様々あるようです。アフリカや南米の熱帯雨林の減少が特に深刻らしいのですが、遠く離れた日本に住む僕たちには関係ない!で済まされることなのでしょうか。
   日本は、フィンランドに次いで2番目に森林面積の割合が高い“森の国”なのに、国内で伐採した国産材よりも価格が安い海外の木材を輸入しているので、放置されて荒れ果てた森が多いと聞きました。世界第2位の森の国なのに森が持つ役割が活かされていません。森林は、降った雨を根や幹にたくわえることができます。人間の生活から大量に排出される二酸化炭素などの温室効果ガスは、地球温暖化の原因になっていますが、木は、二酸化炭素を吸って、酸素を供給してくれます。森林を守り陸の豊かさを守らなければ、僕たちのくらしを持続していくことはできません。
   日本の森林資源を活かすことは、海外で減少し続けている森林を守ることにもつながります。そのために僕たちができることは、国産材の製品を使うこと、そして、身近な森を知ることだと思います。僕は、市民植樹祭に参加したことがありますが、植林活動に力を入れているわが街を誇りに思います。北斗市には、上磯ダムや八郎沼、匠の森などがあり、森に親しめる環境が整っています。僕たちの木育体験がまち全体にも広がり、より多くの人たちが森林の大切さを実感できるよう、木育の良さを発信していけたらと思います。

6.川井進永 さん(茂辺地中学校2年)『守りたい、みんなの笑顔』

茂辺地中学校2年川井進永さん

   みなさんは自分の通っている学校のことが好きですか。また誇りをもっていますか。
   僕は茂辺地中学校に進学してとても良かったと思っています。
   僕の家は茂辺地小中学校から歩いて5分のところにあります。父は基本的に茂辺地を拠点とした仕事をしており、母は茂辺地でカフェを営んでいます。そのようなわけで、小学校6年生までは谷川小学校に通っていましたが、茂辺地中学校へ進学することを決めました。
   しかし茂辺地中学校は生徒数が少ないと知って入学当初は不安な気持ちが大きかったです。また谷川小学校で仲の良かった友達と離れることが寂しく感じました。
   ところでみなさんは小規模校にどのような印象やイメージがありますか。生徒数が少ないため、学校行事や部活動に制限がかかり、楽しめないと思っていませんか。または、いつも静かで寂しい毎日だと思っていませんか。そんなみなさんに、僕が茂辺地中学校へ進学して良かった理由をお伝えします。
   1つ目は、全校生徒が楽しんで英語活動を行っていることです。火曜日と木曜日は朝の挨拶は「グッドモーニング」。廊下で先生たちとすれ違う時には「ハロー」。帰る時には「シーユー」と言って笑顔で手をふって帰ります。
   このようにみんなが楽しく英語でコミュニケーションをとることで、元気がない朝もポジティブな気持ちになります。僕たちの学校には英語を話すことを恥ずかしがっている生徒は誰一人いません。
   2つ目は、学校行事です。僕たちの学校は、少ない人数だからできることを一生懸命に頑張る生徒たちばかりです。体育祭は地域の方が一緒に参加してくれたり、小学生と一緒に行ったりする種目があります。僕が一番好きな種目は茂辺地ソーランです。体育の先生の熱い指導のもと小学校1年生から中学校3年生まで、全校生徒が心を一つに合わせて演舞します。
   人数が少ないということを理由にできないことはもちろんたくさんあると思います。でも、そうではなく、仲間と一緒に「今できること」「今楽しむべきこと」を考えてぼくたちは学校生活を先生方と一緒に創り上げています。
   今の日本は、少子高齢化が進む一方です。そのため、北海道でも小中学校や高校の統廃合が行われています。仕方のないことだと思います。しかし、地域に通う学校がなくなることで、若い世代の大人や子供たちがどんどん姿を消し、都市部以外の地域は高齢化が進む一方です。
   私たちの学校は、地域の方と一緒に活動を行うことがあります。そのおかげで帰り道では、地域の方に会うと、みんなが優しく声をかけてくれます。だから安心して暮らすことができます。時には僕たちがお手伝いすることがあります。そうすると、とても喜んでくれます。やはりどんな地域でも多様な世代の人々が住み、支え合うことが必要だと僕は考えます。だからこそ、小規模校を存続させ、子ども達が学べる場所を守るべきだと思います。
   また、今は不登校の生徒が増えているとよく耳にします。学校に通えない理由はそれぞれあると思いますが、一人一人の個性が発揮できないというのも理由の一つではないでしょうか。僕たちの学校はお互いを認め合い、個性をわかり合うことに、そう時間はかかりません。
   今、北斗市には僕たちの学校以外にも、小規模校が残っています。もちろん学校は家から近いほうがいいと思いますが、もしもその学校よりも自分にあった学校を気軽に選べるようになれば、もっと良くなると思います。そのためには、子どもがいないからといって、学校をなくすのではなく、子どもたちが安心して通える学校を守っていかなければなりません。また学校があることで高齢者だけの地域が少なくなり、より北斗市が活気づくと僕は考えます。
   僕は北斗市に住んでいてとても良かったなと思います。なぜなら、茂辺地中学校のような小規模校をとても大切にしてくれるからです。授業を観に来てくれたり、学校行事やイングリッシュキャンプなどでも、北斗市がいつも協力してくれたり、応援しに来てくれたりします。だから僕はとても充実した中学校生活を送っています。
   僕は北斗市の子ども達がみんな学校生活を楽しんでくれればいいなと思います。また北斗市に住む高齢者達がみんな元気に生活できればいいと思っています。これから先もずっと、多様な世代が協力して支え合える北斗市であってほしいと考えます。
   僕は、小さな学校でも大切にしてくれる北斗市に住んでいることを誇りに思います。そして、みんなが元気で、笑顔あふれる茂辺地中学校が大好きです。

7.阿部遼大 さん(上磯中学校2年)『制服が変わる!? ~対話こそ、未来を拓く~』

上磯中学校2年阿部遼大さん

   「来年から中学校の制服変わるんだって」。母から聞き、私は驚いた。なぜ変わるんだろう。どうして今変わるのだろう。そして、どんな制服になるのだろう。様々な疑問が浮かんだ。そこで、自分なりに考えてみた。
   北斗市内の学校で共通の制服になるということは、もしも転校することになっても同じ北斗市内ならば新しく制服を作る必要がない。保護者の経済的な負担だけでなく、新しい学校に登校するときの気持ちの負担も少ないかもしれない。
   しかし、自分が最も注目したことは、新しい制服がいわゆる「ジェンダーレス制服」だということだ。今の制服は男子は詰襟、女子はセーラー服と決まっているが、新しい制服では男女ともブレザータイプの上着に、スカートまたはスラックスを性別に関係なく選べるようになるそうだ。つまり、女子がスラックスをはいてもいいし、男子がスカートをはいてもいい。これはとても画期的で先進的なことだと思う。
   この「ジェンダーレス」を含め、多様性を認める社会を築くための動きが様々な場所で見られるようになっている。学校もその一つなのだ。
   現在、日本の様々な学校で校則の見直しが行われている。上磯中学校でも、今生徒会を中心にして全校で話し合いを進めている。時代に合わせ、個性を認めながら全員が気持ちよく過ごせる学校のルールを模索している。例えば、今まで認められていなかったツーブロックやおだんごヘアは、さわやかですっきりして良いのではないかという意見が出された。一方、学校に奇抜で派手な髪型で登校するのは良くないのではないか、という意見も多くあった。「さわやかさ」「派手」という言葉に対する感覚や捉え方について話し合ってみると、人によって全然違う。そこで、校則の文章の禁止事項は減らし、学校という場にふさわしい髪型をみんなで考えようという方向性になった。
   その全校学活での話し合いのとき、自分にはある疑問が生じた。「長い髪は結ぶ」とか「ピンでとめる」等と話し合っているけれど、みんな女子をイメージして話している。しかし、男子が長い髪を結んでもいいし、男子がピンで髪をとめてもいいのではないか、ということだ。もちろん男子の髪の長さについてきまりがあったり、そのきまりに沿って先生方から指導されてきたりしたという経緯はある。しかし、中学生である私たち自身の中にも、髪を長くしたり長い髪を結んだりするのは一般的には女子であるという固定概念があるのではないかと気づいた。
   実は、普段の生活の中でも、意識せずに「男子だから」「女子だから」と区別したり、それにとらわれたりしていることがあるのではないだろうか。
   制服が変わって、男子も女子も着たいものを選べるようになることは、多くの人の固定概念を揺るがす一歩になるだろう。学校の校則の見直しも続いていく。ただ、制服が変わって、校則の文章を見直しても、自分たちの心の中にあるこの固定概念がなくならなければ、本当の意味のジェンダーレス・ジェンダーフリーとは言えないと自分は考える。
   もっとも、人の考え方や価値観を変えるということは簡単なことではない。いや、きわめて困難である。大人だけでなく、十代である自分たち若者にも、ジェンダーバイアスがしみついているのだ。もしかしたら、長い長い歴史の中で、人間に刻み込まれてきたことなのかもしれない。それをどう払しょくしていくかはとても難しい問題だ。
   先日、授業でSDGsについて学ぶ機会があった。SDGsは、2015年に国際連合で採択された全ての国の共通目標だ。「誰一人として取り残さない」をキーワードに、全ての人々がそれぞれの立場から目標達成のために行動することが求められている。
   多様性が叫ばれる今、北斗市の中学生である私たちは、大きな転換期にいるのだと思う。新しい制服、考え整える身だしなみ、そういった身近なことから、ジェンダー平等のみならず「ともに生きる」ということの意味を考え話し合っていきたい。さらに私たちは、このことをきっかけとして、これから生きる社会、様々な価値観について、もっと関心をもち、学び、気づき、自分の考えをもって、対話するべきだ。対話して分かり合おうとすることは勇気がいる。相手の考えと全く違うこともある。時間がかかり、あきらめたくなるかもしれない。けれども、粘り強く伝え合うことでしか、お互いを本当の意味で理解し受け入れることはできないのではないだろうか。
   私たちが積み重ねる一つ一つの対話は小さな取組かもしれない。しかし、北斗市の中学生という立場で、2030年のSDGs目標達成に、少しでも貢献できたらと思う。
   「対話こそ、未来を拓く」そう信じて・・。

8.阿部華 さん(大野中学校2年)『私の夢』

大野中学校2年阿部華さん

   私は本が大好きだ。昔からずっと、本が大好きだ。本は私の生活に、ずっと寄りそっていた。絵本も、漫画も、小説も、全部、私は大好きだ。
   本は、私に沢山のものをくれた。生きるために必要な知識を、夢を、希望を。怒っている時も、悲しいときも、本は私が読むだけで元気を届けてくれた。
   いつか私は、本に関わる仕事がしたい。特に、図書館司書になりたい。小さいころ、私はこのまちの図書館に、そして司書さんに、沢山お世話になった。図書館に行っては、次はどんな本を借りようかと夢中になったものだ。次は私が司書になって、司書さんやこの町に、おん返しがしたい。何より、次は私が、子供たちに夢や希望、笑顔を届けるお手伝いがしたいと思った。
   司書になろうとしっかり思ったきっかけは、小学4年生から5年生にかけて2年間、図書委員(そこでは、文化委員という名称だった)をやったことだった。当時自分にできそうな委員会が、そこしかなかったことが大きな要因だったけれど、やってみると私によく合うやりがいのある仕事だった。図書室に集まる生徒たちがどんどん本を借りていく姿をカウンターから眺めるだけでも、私は嬉しく思った。6年生の頃は違う委員会になったけど、それは、私に司書の道を示すのに充分な体験だった。
   でも、私はコミュニケーションが不得意だ。それは生まれつきの性質だが、それは仕事をする上の言いわけにはならないと私は考えている。司書も人と接する仕事だ。就職するまでには多少なりとも改善していかなければいけない。それには本を読むことも大事だが、一番大切なことは人と沢山話すことだろう。生きていくためには大切なもの、得意なもの以外にもふれ、経験を吸収して成長することが必要だ。
   勉強もしなくてはいけない。司書になるためには最低でも大学へ進学する必要があるからだ。本物の司書は公務員なので、資格をとらないといけない。恐らく、私は一度この北斗市を離れることになるだろう。
   だが、私はここに戻ってくる。いつか私の大事なふるさとに恩返しをするために。そして、このまちの躍動を、少しでも手伝えるように。このまちがどうなるかはわからないけれど、それでも自分のふるさとだから、見てみたいのだ。このまちの図書館や本屋にやってきてくれるであろう次の子供たちが、どんな顔をしているか。どんな夢を見つけるか。 最近は紙の本の出版をしない、電子書籍というものが一般化しているが、そして、AIの進歩によって職がなくなるかもしれないけれど、それでもいい。私は、子供たちに限らず、全ての人に、自分にぴったり合う一冊を選んでほしい。全ての人に、本がもつ力を受取ってほしい。
   私は、「本に関わる仕事がしたい。特に図書館司書になりたい。全ての人に本の力を受け取ってほしい」という夢を、何があってもあきらめたくはない。理由は前に述べた通りだ。笑われてもいい。解ってくれなくてもいい。私は、ようやく見つけたこの夢を成しとげて、両親に、故郷に、そして未来の自分に胸を張れるようになりたい。夢を叶えるためには、少しの間ここを離れることになるかもしれないけれど、それでもいい。それに、今私の夢を応援してくれている人たちを、裏切りたくはない。いつか最良の結果を届けたい。なので、そのために良く学び、高校へ、大学へ行って、夢を叶える。叶えてみせる。だから、もう少しだけ、応援してください。
   私は本が夢や希望、現実を生きる力を届けることの手伝いがしたい!そのことで少しでも動き続けるこのまちへの恩返しがしたい! それが両親や先生方への応援に答える、唯一の方法だ!私はこれからも夢へ向かって、歩み続けて見せる!

9.沼岡青空 さん(上磯高等学校2年)『当たり前から小さな気づき』

上磯高等学校2年沼岡青空さん

   みなさん「SDGs」という言葉はご存じですよね。「世界中にある環境問題・差別・貧困・人権問題などの課題を、世界のみんなで2030年までに解決していこう」という計画・目標のことです。私たちは、日々、当たり前のようにして生活しています。当たり前のように学校に通って、授業を受けたり、友達と遊んだり、ご飯を食べたり、毎日を当たり前に過ごしています。しかし、このような生活を続けられているのも、これから先続けていくためにも「SDGs」が重要な鍵となっています。私たち一人一人は、広い世界だけを見るのではなく、身の回りの近くの「SDGs」にも目を向け、小さなことにも気づく必要があると思います。
   では、これから「SDGs~十七の目標~」の中から、私の身の回りのいくつかの小さな気づきをお話していきたいと思います。1つ目は、SDGs目標3の「すべての人に健康と福祉を」です。これは、世界には、2人に1人の子どもが病気の治療を受けられていないという地域があります。この事例を聞いたときには、とても驚きが大きかったのですが、それと同時に、自分は恵まれているのだという実感が身にしみました。
   私が住んでいるこの北斗市は、「満18歳に達する日以後の3月31日までの子どもは、医療費がかからない」という『子ども医療助成』の制度があります。私は、風邪を引いたら、病院に行って、先生に診断してもらって、お薬をもらって、というのは、みんなにとって当たり前のことだと思っていました。しかし、世界には2人に1人の子どもが治療を受けられていない事実があり、病院に行けるのは当たり前ではないことを私たちは、心に刻み付けておく必要があります。
   2つ目は、SDGs目標4の「質の高い教育をみんなに」です。誰もが公平に、良い教育を受けられるように、そして、一生に渡り学習できる機会を広めるための目標です。ですが、世界は、みんながみんな平等に学校に通えているわけではなく、世界の一部では、5人に1人が学校に通えていないところがあります。私たちは、小学校から中学校まで義務教育として、学校に当たり前のように通うことができます。義務教育期間は、無償で教科書が配布され、平等の教育が受けられるようにされています。ときには、学校に通うのが面倒くさいと思う時があるかもしれませんが、それは当たり前に通えているからこそ思えることです。教育を受けられていない子どもからしたら、教育を受けられていること自体が幸福で、とても大切なことだということに私たちは実感して、気がつく必要があると思います。
   3つ目は、SDGs目標6の「安全な水とトイレを世界中に」です。世界には、水道の設備がない暮らしをしている人が32億人もいると言われています。私たちは、水道水が簡単に手に入り、トイレも当たり前のようにあって、気にすることなく毎日利用しています。ですが、この水やトイレでさえも十分になく、20億人以上の人が利用できていません。水にしても、日本では水道から、安全で美味しい水が出てきますが、世界の一部のところでは、自分たちで水をくみに行くところからスタートしなければならない地域もあります。その水が安全な、美味しい水であるとも限りません。トイレだってあるのが当たり前なところばかりではなく、ないことがふつうの地域もあります。私たちは当たり前に利用できていますが、それを当たり前だと思わないようにしないといけません。
   私は、ここまで、SDGsの3つの目標を小さな気づきと関連させながら説明してきました。1つ目のみんながみんな治療を受けられていない話、2つ目の学校教育の話、3つ目の安全な水の話、どれもこれも私たちの身の回りに関するお話で、三つともきちんと私たちは受けられています。ですが、私が言いたかったのは、私たちが当たり前に受けられているからこそ、忘れがちになってしまう世界のことです。私たちの当たり前は、世界にとって当たり前ではないことがあることを忘れてはいけないと思います。
   私たちは、これからもそんな世界のことを考え続けて、自分達には、何ができるのかと考え続けるのも大切だと思います。身の回りの小さな当たり前から世界の現状について気がついて、これからも気がつき続けられたら良いと思います。

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