HOME子育て・教育学校・教育催し【平成28年度】青少年の主張

【平成28年度】青少年の主張

北斗市青少年育成大会が平成28年10月8日、総合文化センターかなで~る大ホールで行なわれました。

大会では、「人と、未来と、ほくと。~走り出す新幹線 開きだす希望の扉~」をテーマに、市内小中学校、高校から選出された10名の青少年が主張しました。北斗市の未来や、これからの北斗市への提言、そして今後の自分の未来、身近な人との心のつながりなどに対する、率直で熱い思いを発表しました。 

  1. 小林 旦 くん(茂辺地小学校6年)『北斗市の未来に思うこと』
  2. 佐藤 桃華 さん(上磯小学校6年)『北斗市に魅力とキレイを』
  3. 清水 麻央 さん(沖川小学校6年)『新幹線と共に広がる笑顔』
  4. 鈴木 綾笑 さん(浜分小学校6年)『未来をのせる 新幹線』
  5. 藤田 裕紀 さん(島川小学校6年)『広がれ、北斗のお米!』
  6. 鈴木 共空 さん(大野小学校6年)『北斗市に生まれて』
  7. 江繋 美咲 さん(石別中学校3年)『北海道新幹線開業と「北斗市」』
  8. 中元 羽望 さん(浜分中学校3年)『keep and evolution 百年後、千年後の北斗のために、私たちにできること』
  9. 鍬形 美憂 さん(大野農業高校2年)『私が北斗市のためにできること』
  10. 工藤 克海 くん(函館水産高校3年)『なんとなくからの希望』

1. 小林 旦 くん『北斗市の未来に思うこと』

3月26日。北海道の人たちにとって待ちに待った日がやってきました。そう北海道新幹線がやってきた日です。ぼくはその日、新幹線に乗ることはできませんでしたが、テレビでその瞬間を見ていました。新幹線が駅を出発するとき、青函トンネルに入ったとき、初めて本州に入ったとき、そして東京駅に着いたとき。ぼくはテレビでわくわくしながら見ていました。そして、いつかは新幹線に乗ってみたいなあと思いました。新幹線に乗って北海道に来た人たちは「早くて快適でしたよ。」と話していました。そのとき、ぼくは、「北海道に来てくれた人たちは北海道のことをどう思っているのだろう。」「今回の旅行でその思いはどう変わるのだろう。」と、ふと思ったのです。そこでぼくはどうすれば、北海道に来てくれた人が「また来たいなあ。」と思ってくれるかを考えてみました。

北海道の良さって何だろうと考えたとき、まず思ったのが自然の豊かさです。車を少し走らせただけでも、きれいな川や海があります。木々に囲まれた美しい山があります。ぼくたちにとっては当たり前のものでも他の地域で暮らす人たちにとってはすばらしいものに思えるのだろうと思います。

次に考えたことは人々の温かさです。僕が住んでいる茂辺地地区では登下校のときに地域のみなさんが「おはよう。」とか「頑張って勉強しておいで。」というように声をかけてくれます。そんな声を聞くと「今日も頑張ろう」と思います。このような輪が北斗市全部に広がってくれればいいなと思います。その一方で残念なこともあります。それは飲酒運転やたばこのポイ捨てです。毎年飲酒運転のせいでたくさんの人が亡くなっています。また、たばこのポイ捨てもせっかくの北海道の自然を台無しにしていると思います。いずれも一人ひとりが気をつけさえすれば、嫌な思いをする人はいなくなると思います。そうすることによって北海道の人は素朴で約束を守り、人にも自然にも優しい人なんだなあと思ってもらえると思います。

もう一つは、すばらしい名所があることです。ここ道南は北海道の中でも歴史が古くいろいろなものがあります。北斗市だけでもトラピスト修道院やきじひき高原が。また、茂辺地には北斗星の客車もあります。これらをもっともっとアピールして北斗市にたくさんの人が来てほしいと思います。そして北斗を訪れた人が少しでも温かな気持ちになってくれればうれしいとぼくは思います。

2. 佐藤 桃華 さん『北斗市に魅力とキレイを』

2016年3月26日、北海道新幹線が開業しました。私は、家族で新幹線の試乗会に行くことができました。たくさんの人が乗っていて、「こんなにたくさんの人が新幹線を待ち望んでいたんだ」とうれしかったです。修学旅行でも、友達と一緒に青森まで新幹線に乗って、とても楽しい思い出になりました。北海道と本州の間をこんなに早く行き来できるなんて夢のようです。

でも、今は開業したばかりの時より、新幹線で北斗市に来てくれる人は少なくなっているように感じ、「さびしいな」と思います。

では、どのようにすれば、北斗市を訪れてくれる人が増えるのでしょうか。人の心を引きつけるものがあれば、来たくなるのではないかと私は思いました。

私が考えたのは、自然の中の広い公園です。小さい子が楽しめるすべり台やブランコ、私たちのような高学年の子どもが楽しめる、大きな遊具もあるといいです。自然の様子が見える大きな窓のあるプールも魅力があります。

冬は、広い公園で雪を使ったイベントを開くと、雪を見たことのない地方の人たちもたくさん来てくれます。雪合戦大会やそりすべり大会などは家族で楽しめます。

一日中遊んでも、まだ足りないので、夜は泊まる場所が必要です。夏は、キャンプをして過ごしたり、冬は、ゆっくり入れる温泉付きのホテルもあると家族で訪れる人が増えると思います。そして、そこで北斗市のホッキやお米を売るとよいですね。

魅力のある場所を作っていく以外にも、キレイな町作りも大切です。道を歩いていたり、公園に行ったりすると、ゴミが落ちていることがあります。ゴミが落ちている町に、また来てみたいと思う人はいないのではないでしょうか。北斗市の人も北斗市に来てくれた人も、気持ちよく公園で遊んだり、道を歩けるように、私たちにもできることがあります。それは、学校や地域で取り組んでいるクリーン作戦に参加してみることです。特に、北斗市は町内の交流が多くて、自分の近所の人と一緒にゴミ拾いをすることで、地域の人達のこともたくさん知ることができます。私も学校のみんなで、ゴミ拾いをしたことがあります。力を合わせてゴミを拾った後は、町にキレイが戻って、とてもすっきりした気持ちになりました。

北斗市に魅力ある場所とキレイを増やせば、もっと素敵な町になるのではないかというのが私の考えです。北斗市に観光客や旅の途中で訪れてくれる人が増えてくれたらうれしいです。また来たいなと思ってくれたらうれしいです。そのために魅力ある場所が増えたらいいなという夢を持ちながら、自分たちで落ちているゴミを拾ったり、ゴミ箱にきちんと捨てたりすることを積極的にしていきたいと思います。北斗市に魅力とキレイを。

3. 清水 麻央 さん『新幹線と共に広がる笑顔』

2016年3月26日、北海道新幹線が開業しました。私は沖川小学校の代表として開業前の1月30日に新幹線の試乗に行きました。完成したばかりの駅は天井が高くて、新築のにおいがしました。ホームに降りるとエメラルドグリーン色をした北海道新幹線と笑顔の駅員さんが待っていました。私は駅員さんにつられて、「わお!キラキラ」と感動してしまいました。

新幹線に乗ると、床は雪の結晶の模様で、エレガントな雰囲気でした。足元は、前の席との間隔が広く、とても余裕がありました。

あと一分で出発というときに、「どんなふうに走るのかなあ」「どのくらいで木古内駅に着くのかなあ」とどきどきし始めました。そして出発の瞬間、窓の外を見ると、景色が動き出したことに気づきました。音もゆれも全然なかったので、本当に出発したのかわかりませんでした。約15分間の旅でしたが、すごい速さで走っているのに、のんびりできて楽しかったです。

その後、新幹線が開業し、多くの利用者がいる中、私もその一員となりました。8月11日から8月15日までの5日間、愛知にいる祖父母といとこなどに会いに行く際、利用しました。私は一度乗っているのですが、乗ると静かに走る居心地の良さを思い出し、ワクワクしてしまいました。出発のとき、父に「本当に静かだから、目をつぶって、いつ出発したか言って!」と、クイズを出しました。やはり父も発車した瞬間に気づかず、しばらくしてから「出発した!」と答えました。「もう、とっくに出発しているよ。」と、私と弟でクスクス笑い合いました。

また、海底トンネルを通るのは初めてだったので、少し長いトンネルに入るたびに、弟と二人で、「これ、海底トンネル?」と、しつこく聞きました。

私は乗り物酔いをしやすい体質なのですが、約3時間乗っていても、全然酔いませんでした。

わたしは試乗や愛知への旅行を通して、新幹線のすばらしさをたくさん知ることができました。そして、何より心に残ったのが、お客さんのお出迎えやお見送りしてくれる駅員さん、そして新幹線を運転する運転士さんの笑顔です。私もこんな笑顔で人と触れ合えたらなあと思いました。

この経験がきっかけになり、「私も沖川小のみんなを笑顔にしたい」と思い、児童会会長に立候補しました。また、その笑顔で元気よくあいさつし、地域の方々にも笑顔と元気を届けられるような活動をしていこうと思っています。これからも笑顔の輪が広がり、北斗市が笑顔あふれるまちになったらいいなと思っています。

聞いてくださり、ありがとうございました。

4. 鈴木 綾笑 さん『未来をのせる、新幹線』

2016年3月26日、私たちの未来を乗せた新幹線が走り出しました。

私たちの住む北斗市から東京までを結ぶ、この新幹線は、2005年から工事が進められました。このころから多くの市民が開業を心待ちにしていたことでしょう。

私は、先月行なわれた修学旅行で新幹線に乗ることができました。ほとんどゆれない車内とその速さに驚きました。窓の外には多くの自然が見え、飛行機では見ることのできない景色を楽しむことができました。

この北海道新幹線に乗ったことで、これからの北斗市、そしてたくさんの地域の未来がとても楽しみになりました。

皆さんも、この新幹線開業にあたって、大きな期待をふくらませているのではないでしょうか。

私は、この新幹線開業に二つのことを期待しています。

一つ目は、さまざまな地域との交流が増えることです。

新幹線の開業によって、駅では道外の方や外国の方で、にぎわっている様子が見られます。そのため、今までよりもたくさんの方々や地域と交流する機会が増えることになります。

その機会を生かすためにも、北斗市と他の地域の方が住む文化の交流ができる場所を作ってはどうでしょうか。

互いの地域の文化を交流することで、その地域について知ることができたり、さらに理解を深めたりすることができます。また、自分の住む地域の文化を紹介することで、その文化を受け継いでいくという意識を持つ、よいきっかけにもなると思います。

ですから、駅内に様々な地域の文化を交流し合える場所を設けてみてはどうでしょうか。

二つ目は、新幹線の開業、駅の設立により、北斗市がさらに活気のあふれる市になっていくことを期待しています。

新幹線が開業してから、駅では北斗市のPRをはじめ、様々なイベントが行なわれてきました。

特に、北斗市の有名な特産物、ホッキ貝をイメージした、ずーしーほっきーをPR活動に活用しています。このずーしーほっきーは三年前に新幹線開業に向けて作られたキャラクターです。私も、このキャラクターを活用したイベントに足を運び、北斗市を更に知り、他の地域へ広める活動に参加したいです。まだ参加されていない方も、ぜひイベントに参加して、北斗市のPR活動を盛り上げていきましょう。

北斗市のPR活動を、北斗市民が積極的に参加することで、より多くの方との交流も生まれ、訪れる観光客の増加にもつながるのではないでしょうか。

このように、北海道新幹線が開業したことによって、様々な地域との交流が増えること、この北斗市がさらに活気あふれる市になることを期待しています。

新幹線に乗って、また北斗市に来たい、そう思ってもらえるような街になるように、私も未来を見据え、今できることを一生懸命、取り組んでいきたいと思います。

市民の皆さんの期待していることが、一つずつ実現していくとき、北斗市が今よりもさらに、すばらしい市になっていくと、私は信じています。

そのときに向けて、今日も新幹線は、私たちの未来を乗せて走り続けています。

5. 藤田 裕紀 さん『広がれ、北斗のお米!』

北斗市の魅力は何だろう。

日本初の男子修道院であるトラピスト修道院や、がろう鉱山からとれる石灰石を利用したセメント工場。緑の田んぼの中を飛ぶように走る北海道新幹線、自然いっぱいのきじひき高原や八郎沼…と思いつくものはたくさんあります。でも、私は、豊かな大地からとれる農産物、特にお米が魅力だと思います。

今、北斗市では、「ふっくりんこ」を売り出しています。私の家でも0.93ヘクタールの田んぼで作っています。

「ふっくりんこ」は、平成15年に道南農業試験場で開発されたお米です。一粒一粒、ふっくらしたイメージというのが由来で、一般公募で名前がつけられました。ふっくら柔らかく、甘みがあるのが特徴で、和食にも良く合う!JAL国内線のファーストクラスの機内食に採用されてもいます。ただ、品質管理が厳しく、農協で契約された農家でしか栽培できません。おいしく、品質のよいお米を作りたい。食べてもらいたい。「ふっくりんこ」は、こうした北斗市の農家の人たちの夢と希望から生まれたお米です。

私たち島川小学校では、毎年5月に学校の近くの田んぼを借りて、田植え体験をしています。1年生から6年生までの縦割り班での活動です。今年、私は1年生とペアになって田んぼに入りました。はだしの足がぬめっとして、指の間にどろが入る感触がとても気持ち悪かったです。1年生は手渡したイネをまっすぐに植えるのが難しく、土の中にぐっと押し込むことができませんでした。現在は機械化されている田植えも、昔はこうして手作業で行なっていたかと思うと、大変さが実感できました。

田植え体験の後、毎日、先生がイネの様子を写真にとっています。そこで、天候や生育状況によって田んぼの水の量が違うことに気づきました。茎の中の穂を寒さから守るために水の管理が大変だと、祖父が教えてくれました。何気なく見ていた田んぼに、こんなにも農家の知恵や苦労が入っていたんだと改めて知りました。

しかし、現在、米の消費量が年々減ってきています。学級でも「米よりパンの方が好き」という人が半数もいました。お米をどうしたらもっと食べてもらえるか、6年生で考えてみました。「米粉パンやリゾットなどのように、お米料理をふやす」「給食のパンの日もご飯にする」や「自分たちでお米本を出版する」「お米グッズ」「お米ソングをつくり、ユーチューブやインターネットで米の良さを発信してお米を世界に広める」など、いろいろなアイデアが出ました。私たちが一番盛り上がったのは「お米ソング」でした。小さい子でも口ずさめるメロディーにして歌を作れば、島川小のみんなや、地域の人でも歌えます。映像もつけたら楽しいね、卒業までに作りたいと夢が広がりました。

まだ私たちが北斗市のお米のためにできることは「お米ソング」のように小さいことですが、北海道に新幹線が来る夢が叶ったように、世界の人々が北斗市のお米が好きになる夢も叶うと期待をしています。広がれ、北斗のお米!

6. 鈴木 共空 くん『北斗市に生まれて』

「北斗市青少年育成大会」での発表。ぼくは、このような機会に恵まれたことで、今までの自分自身を振り返り、北斗市にどのように貢献できるか考えてみました。

ぼくは、生まれたときから北斗市に住んでいますが、この街が大好きだと言えます。それは、自然いっぱいのところや、食べ物がおいしいなどたくさんの魅力がありますが、この街の人の人柄が好きなのだと思います。

現に、今通っている大野小学校は、とても楽しく居心地がいいです。それは、先生や友達に恵まれているからだと思います。ぼくはスポーツが苦手なのですが、いつも優しくはげましてもらえます。それから、ぼくは三度入院したことがありますが、先生達から手紙や電話を頂いたり、友達から色紙に寄せ書きを書いてもらったこともありました。こうした温かい思いやりに包まれて、ぼくは小学校生活をすごしています。

そんなぼくですが、少しだけ得意なことがあります。それは英会話です。英会話は幼稚園のころから習っており、学校ではALTの先生の授業が毎週本当に楽しみです。両親からの勧めで習い始めましたが、今では、将来は英語に関わる仕事につきたいと思っています。

そして、今年3月の北海道新幹線開業。自分の住む街に新幹線が走る感動は言葉では言い表せないほどでした。そして、最高のタイミングで新幹線に乗り修学旅行に行くことができました。なんてラッキーな巡り合わせなのでしょう。とても幸せだと感じました。

新幹線開業により「北斗市」の知名度も上がりました。駅前は徐々に開発が進み、今後は新しいお店ができたり、イベント活用の場として発展することを期待しています。すでに新幹線を利用してたくさんの観光客が北斗市に足を運んでくれていますが、4年後に東京オリンピックが開かれるので、外国からの観光客もますます増えると思われます。

そこでぼくは、自分の強みである英会話を生かして外国人観光客の役に立ちたいと考えました。北斗市の観光名称はもちろんですが、何より、この街の人の温かさを伝えたいです。精一杯のおもてなしの心でコミュニケーションをはかりたいと考えています。「北斗市=おもてなしの街」となれば、とてもうれしいですし、ぼくを育ててくれた北斗市への恩返しになると思っています。そのためには、もっと英会話の力を高めていきたいです。

ぼくは、新幹線が走るところを見るたび、かんばろう!という気持ちがわいてきます。今できること、やるべきこと、努力をして成長していきたいと思っています。周りのたくさんの方々、家族、まだまだお世話になります。そして、ぼくは北斗市の一員として未来に向けてがんばります。

本日は、このような発表の場に参加させて頂き、本当にどうもありがとうございました。

Thank you for your attention.

7. 江繋 美咲 さん『北海道新幹線開業と「北斗市」』

北海道新幹線が開業して、早くも半年が経ちました。この半年間で北斗市はどのように変わったのでしょうか。新函館北斗駅の周りには、レンタカーサービスやレストランなどがつくられ、ホテルなども建設中です。新幹線に関連したイベントも多く開催され、北斗市が賑わってきているように感じます。私は新幹線開業後に新函館北斗駅に何度か足を運んだことがありますが、新幹線を乗り降りする人々を見るたびに、「日本全国とつながっているんだ。」という実感が沸いてきます。

また、近隣市町村の様々な場所で、「新函館北斗駅まであと○○km」という看板を見かけるようになりました。交通手段としての北海道新幹線の重要性とともに、「新函館北斗駅」の知名度が上がっていることを感じました。私は、北海道新幹線開通により北斗市に注目が集まっている今だからこそ、北斗市の良さを全国へ発信するべきではないかと思いました。

例えば、北海道新幹線開業と同時に動き始めた「道南いさりび鉄道」。木古内と函館を結ぶ鉄道で、私は毎日の通学に利用しています。時々、観光客と出会うことがありますが、宮城県や大阪府など、道外から来ている人たちもいて、その人気に驚かされます。そのような観光客たちは、車窓から見える函館山に感激し、その姿を何枚もカメラに収めたり、日光が反射し、キラキラと輝いた青い海をゆったり眺めたりと、地域の特色を楽しんでいるようでした。私は、この「道南いさりび鉄道」の良さをもっとたくさんの人に伝え、北海道を訪れた人たちに北斗市の魅力を味わってもらいたいと思いました。

では、北斗市の魅力とは何なのでしょうか。私なりに考えてみました。北斗市は「自然」と「歴史」が調和した街だと私は思います。観光地を見てみると、松前藩戸切地陣屋跡や八郎沼公園、法亀寺のしだれ桜などが有名ですが、いずれも歴史の深さを感じながら自然の美しさを楽しむことができます。また、私が通学している石別中学校の周辺にも、トラピスト修道院やルルドの洞窟、三木露風の詩碑など歴史のあるものがたくさんあります。さらに、ダイナミックな自然が味わえる盤の沢や、長い歴史のある矢不来天満宮など、北斗市の魅力をあげるときりがありません。

そして、忘れてはいけないのが「食」です。農業も漁業も盛んな北斗市では、全国に自慢できる食べ物がたくさんあります。北斗市は北海道の水田発祥の地として知られ、道産米「ふっくりんこ」を生み出した地でもあります。長ネギ、トマト、キュウリなどは道内有数の産地となっています。漁業でも、「すーしーほっきー」のキャラクターが有名になったように、ホッキ貝の産地として知られています。また、カキやワカメなどでも有名です。まさに日本の食料庫・北海道を代表する街と言っても過言ではありません。

私は、北斗市の魅力は、実際にこの街に降り立ってこそ伝わるものだと思います。ただ通り過ぎるだけの街ではなく、たくさんの人たちに足を踏み入れて魅力を感じてもらいたいと思います。そのために何をすべきかを考え、実行していくことが北斗市の今後の課題になると思います。その課題を解決していくためには、私たち中学生を含め、北斗市民みんなでアイディアを出し合い、協力し合うことが必要なのではないでしょうか。

例えば、特産物を紹介するイベントを増やしたり、特産物を使った新たなご当地メニューを開発するということも出来ると思います。「北斗市へ来たからこそ、こんなにもおいしいものを食べられる。」というように、「食」を北斗市へ訪れる目的の一つにしてもらえるような取り組みをしていけばいいとお思います。

また、すでに北斗市も観光案内用のパンフレットや地図などを作成していますが、私たち中学生が感じる北斗市の魅力を書き加えながら、手作りのパンフレットや地図を作成し、観光客に手渡すという活動も出来ると思います。さらに、ボランティアを募って、観光地を案内することだって可能なはずです。

ひとりひとりが改めて自分たちの愛する街「北斗市」の未来について考えてみること、魅力ある街として輝き続けるために、自分に何が出来るのかと問いかけてみること、まずはそれが大切だと思います。北海道新幹線の開業をきっかけに、「北斗市」は新たな一歩を踏み出しました。私もこの街の一員としてできることから取り組んでいきたいと思います。

8. 中元 羽望 さん『keep and evolution 百年後、千年後の北斗のために、私たちにできること』

今年の三月、北海道新幹線が開業しました。私は8月の見学旅行で、新函館北斗駅からはやぶさに乗り、仲間と共に東北を旅してきました。仙台まで、たったの三時間です。

旅行も、あっという間でした。ただ、そのあっという間の旅行の中で、引っかかっていたものがありました。

これからもずっと、走り続ける新幹線。

これからもずっと、利用され続ける駅。

これからもずっと……それは、手放しで、自然にそうなっていくものなのか。

ちょっと違う、と私は考えていました。観光に来た人達が笑顔になる北斗。住んでいる私たちが笑顔でいられる北斗。それは、私たちの手でつくっていかなければならないものなのではないか。そう思うのです。

つくっていくためのヒントは、身近にあります。

例えば、掃除。すごく当たり前のことで、すごく小さいことですが、すごく面倒くさいことです。毎日やってもホコリはどんどんどんどん出てくるし、水拭きをしようと雑巾を掴めば手が臭くなるし、私は掃除が嫌いな人間でした。だから、以前の私の部屋は散らかり放題、学校の掃除も適当でした。

でも、以前は……の話です。

変化のきっかけは、中学校で出会った考え方でした。「掃除は誰かの役に立つ」ということ。ルールだからやらなければならないのではなく、やることに喜びがあるということ。そういう考え方ができるようになってから、少しずつですが、私は変わりました。

例えば、浜分中学校で行なっている海浜清掃です。浜辺のゴミを拾うことが、いろいろな喜びにつながっているのだと気付くことが出来れば、掃除そのものが楽しいのです。

海で遊ぶ子供たちが、安全に遊べるんだ。

その子供たちの家族が、安心できるんだ。

浜中生の姿を見せること自体が、地域の人たちに喜んでもらえるんだ。

何個以上拾わなければならない、なんてルールがなくても、私にはごみを拾う理由を見つけることができるようになっていました。

また、ボランティアに参加することで得られる達成感は、他の活動では得られない達成感でした。自分の為の嬉しさではなく、「誰かの役に立てた」という喜びは、言葉では表現しきれない、素敵な気分でした。

北斗という街が、新幹線を「キッカケ」にして、もっと素敵な街になるヒントは、こんな風に、すごく身近にあります。

せっかく新しく出来た駅だから、きれいに使おう。どうせだから、最寄りの駅も、きれいに使おう。

そんな風に、ひとりひとりが考えて、行動に移せたら。ひとりひとりの行動は小さいけれど、少しずつ、でも確実に北斗は美しさを保って、来る人も住む人も、心地よく時間を共有できるはずです。

少し話が変わりますが、大人から見て、私達中学生は、子供に見えるでしょうか。世の中をあまり分かっていない子供に見えますか。それとも、大人にしてはまだ幼いけど、ちょっとは成長している子供に見えますか。

先日、国語の授業の一環で、主張の発表会がありました。私の学級でも、みんなが、身の回りの人たちに対して、あるいは社会に対して、自分なりの考えを堂々と発表していました。聞いていて、クラスの人だけじゃなくて、もっとたくさんの人に聞いてほしい主張がたくさんありました。今は、私がこうして話しているけれど、クラスのみんなにもここで発表してもらいたいくらいです。

私達ティーンエイジャーも、色々なことを考えます。それは学校の中の、社会から見れば小さなこともあるし、社会という大きな枠そのものについて考えたりもします。

大人に負けないくらい、なんて言えませんが、少ない知識の中で、自分たちが暮らしている街を「ああしたい」「こうしたい」と考えます。友達と「もっとこうしたらよくなるのにね」と話したりもします。

今日は、私が意見を述べましたが、みなさんの周りにも、必ずたくさんの『思い』があります。耳を傾けてみてください。

笑顔の北斗をつくるきっかけは、きっと、あちこちにあります。

私は、小学生と同じ通学路を歩きます。地域のおじいちゃん、おばあちゃんが行くお祭りに、私も行きます。

その『みんな』が笑っていられる北斗であって欲しいと思うし、そんな訪れた人が笑顔になれる北斗を、私もつくっていきたいと思います。

今年の3月、北海道新幹線が開業しました。

新幹線が生んだものは、移動時間の短縮、旅人の数、そしてここに暮らす私たちへの『キッカケ』……私は、そう思います。

思いを伝える場を与えてくださって、ありがとうございました。

9. 鍬形 美憂 さん『私が北斗市のためにできること』

 私の父と母は北斗市出身です。私も、三人兄妹の末っ子として生まれ、北斗市で育ちました。小中学校は浜分に通い、その後大野農業高校に入学しました。小学生の頃の私は、天真爛漫で自然が大好きでした。毎日公園に行って遊具を使って友達と遊んだり、道端に咲いている花で花かんむりを作ったりして育ちました。そして高校への進学を考えた時、当時興味を持っていた食品製造について学ぶことができること、また兄、姉ともに大野農業高校出身で、その姿に憧れていたことから大野農業高校の食品科学科を受検しました。

そして高校に入学してまもなく、担任の先生からある言葉を言われました。「美憂、お前さ北斗市役所目指してみない?」私はその言葉を聞いて「ここで暮らしてきたけれど、実際北斗市のこと全然知らない。知識がない状態で目指すも何もないな。まず北斗市ってどんなことをしているのだろう」という思いから、少しずつ北斗市について調べるようになりました。調べていくと、子育ての環境や支援が充実してきていること、また子どもの文化・スポーツ活動でより力を引き出すことのできるような支援なども行なっていることを知りました。その一方で人口の減少や雇用を増加させることなどが課題として挙げられていました。さらに、日本全体での地域の活力低下なども問題視されており、北斗市もそれに当てはまります。北斗市はそれらを改善するために「北斗市まち・ひと・しごと創生総合戦略」という行動指針を策定し動き始めていることなども知りました。また、北斗市の基幹産業は漁業と農業で、農業においては酪農、稲作、畑作、果樹など北海道全体で行なわれているものが、この北斗市に凝縮されていることも知りました。

私達の学校では、日々授業や実習などで学んでいることを活用して、地域の活性化のために北斗市を盛り上げようと、たくさんの地域活動を行なっています。農業科では地域の小学生たちと稲作を通した交流を行ない、園芸科では本校とワイナリー『農楽蔵』さんとの共同制作で作られたワイン『ONORA』の材料のぶどうを提供するとともに、今年完成した新函館北斗駅や地域の花壇の整備を行なっています。生活科学科では特別支援学校との交流で野菜を育てたり、ふれあい食堂いこいさんで提供実習を行なったりしています。そして私が在籍する食品科学科では、肉加工研究班が、すでに北斗市のものを原材料とした『北斗市肉巻きおむすび』を開発し、『畑のレストランHuis~ゆい~』さん、『北斗市』、『大野農業高校』の産官学の地域連携事業として活動しています。私の所属する乳加工研究班では、北斗市の新たな特産品として『マルメロライスチーズタルト』を開発し、商品化、販売に向けて日々研究しています。そして商品化されたものを、地域限定のような形で販売し、少しずつでも市民の方をはじめ、観光に訪れた多くの人にその存在を知ってもらえるように広めていきたいと考えています。それと同時進行で地域のチーズの普及のため、市民を対象としたチーズ作り体験会などを行なっています。このような販売活動や普及活動の中で、地域の方や食べてくれた人が笑顔で一言声をかけてくれたりします。私達はその一言でとても嬉しい気持ちになり、もっと頑張ろうという力になります。そして地域の方から力をいただいた分、私たちの活動で地域に恩返ししていきたいと思っています。そのためにもこれからも、いま取り組んでいる『マルメロライスチーズタルト』を完成させ、『北斗市肉巻きおむすび』、ワイン『ONORA』とともに、普及させていくことで、北斗市の地域活性化に貢献したいと思います。

将来は北斗市役所に勤め、今現在北斗市が行なっている『北斗市総合戦略』などにも携わることが今の私の目標です。そして「これからもここに住み続けたい。」「またこの街に来てみたい」「北斗市に行ってみたいな。」と思えるような、街にしたいです。そのために、今後も北斗市について調べたり、北斗市のイベントなどに積極的に参加するようにしたりして、知識をつけていきたいと思います。

最後に、この北斗市は十歳を迎えました。そしてこれからも成長を続け、長い歴史を作っていきます。私たち北斗市民、一人ひとりがその長い歴史の一部となって、そしていつか大きな希望になれるよう私たち自身も成長していきたいと思います。以上で発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。

10. 工藤 克海 くん『なんとなくからの希望』

自分が函館水産高校に入学するきっかけは、なんとなくでした。自分の持っている学力でなんとなく入学できる学校が、函館水産高校でした。現在、函館水産高校では伝統ある相撲部に入部しました。それも、入部当時は今から20kgほど太っていたので、顧問の先生からの熱心な勧誘もあり、なんとなく入部しました。これで二つのなんとなくです。

三つ目のなんとなくは、生徒会です。一学年から生徒会執行役員を行ない、現在は生徒会長を拝命しております。

生徒会役員についても、なんとなくはじめ、生徒会長についてはやる人がいなかったので引き受けたところです。これで三つのなんとなくです。

では、なんとなくからの心境の変化について話をしたいと思います。

一つ目のなんとなく。

現在在籍している水産食品科では、食の安心・安全を基礎・基本に食品製造全般について学んでいる。特に実習では、缶詰製造をメインに様々な加工食品の製造実習を実施、それに関する座学を学習している。

今思うと、入学当初は授業に身が入らず、ただ学校に通学していた感じだったが、学習が進むにつれて、学習内容が面白くなり、また、実習の内容もただ缶詰の製造だけでなく、作った缶詰の検査など、科学的な内容があり、興味を持つようになってきた。中でも食品の保存や食品を流通させる上で欠かすことの出来ない冷凍機器に興味を持ち、現在は「三種冷凍機械責任者」の国家資格取得に向け頑張っています。

二つ目のなんとなく。

高校入学までは、相撲の経験は全くありません。ただ、見てのとおり、高さはありませんが大きい体だと思っていました。相撲部の顧問の先生は、この体を見て熱心に勧誘してくれたんだと思います。今より20kgも重かったですからね、そんなに誘ってくれるなら、入ってもいいかな程度での入部でした。

相撲経験のない自分は、入部当初、相撲の基本をみっちりたたき込まれました。四股、すり足、てっぽう、本当につらかったことしかありません。中でも股割は地獄でした。元々体が硬い方だったので、股関節を開くのが大変でした。そんな自分も、練習での申し合いで、相手を打ち負かすことが出来るようになると、面白さが増して、練習に打ち込むようになってきました。それまでの辛さより、練習の成果を出せる達成感の方が勝ってきました。二年の後半から伝統ある函水相撲部の主将として、少ない部員ですが、少ないながらまとめ、今年の全道高等学校選手権大会では、41年ぶりに団体優勝を成し遂げ、全国インターハイへ出場し、北海道函館水産ここにありとばかりに、胸を張って参加してきました。結果は予選敗退でしたが、選手全員が持てる力を発揮し、悔いのない土俵だったと思います。

三つ目のなんとなく。

生徒会執行部。一年生後期に生徒会執行部選挙「副会長」に立候補。なぜ立候補したのか・・・「なんとなく」

一年生の後期から副会長に就任し、会長のリーダーシップのもと、函水恒例の綱引大会、卒業生を送る予選会、入学生を迎える対面式、各クラス対抗の球技大会、函水最大のイベント北鳳祭を成功裏に収めることができた。生徒会執行部だけでなく、全校生徒が協力し一丸となって各行事を成功させることが出来た達成感は、何者にも変えがたいものがあった。生徒会長就任については、本心あまり乗り気ではなかったが、周りを見てもやる人がおらず、第66代生徒会長を拝命しました。

生徒会長となって、生徒会執行部をまとめ、行事に取り組んでいくにつて、先代の生徒会長や今までの生徒会執行部の偉大さを痛感したところです。それでも周りの協力を得ながら、各行事を成功させ、先日は最大のイベント北鳳祭を無事に終了しました。やはりこの達成感は何者にも代えがたいものがあります。

このように、三つのなんとなくから始まった学校生活も、一つ一つ精進することにより、少しずつ扉が開き、達成感が得られ、今では胸を張って函水で良かったと思えます。

春に開通した北海道新幹線も、昭和29年の洞爺丸台風を契機に本格設計が始まり約半世紀の歳月をかけて開通することが出来ました。これも先人のたゆまぬ精進から少しずつ扉が開いてなしえたことと思います。

自分は卒業後、就職しますが、なんとなくではなく、精進を忘れず、自分の希望の扉を開いてゆきたいと思います。

ありがとうございました。

カテゴリー

このページの先頭へ

トピックス

更新情報

イベント情報