清川地区
上磯ハリストス正教会
上磯ハリストス正教会は明治9年(1870年)、函館教会の生年信徒・キリール大村徳松によって設立
されました。伝道者ダミアン五十嵐東三師と伝道を開始し、ついに3名が受洗して小さな正教の灯がとも
されました。明治17年には総檜造りで畳敷きの教会が建設され「有川昇天会」と称されました。
昭和5年(1930年)に「有川昇天会」から「上磯ハリストス正教会」と称されるようになりました。
明治37年には屋上にキューポラが架設された二代目の教会が建設され、昭和62年には三代目の現在の
教会が建設されました。
この宗教の発祥は日本で最も古いとされているギリシャ聖教ハリストス正教会に属し北方ロシア文化の
伝統を日本に広めたものです。なお、教会管理の野崎墓地は、国指定史跡松前藩戸切地陣屋跡の裏門から
約500メートル奥に赤松に囲まれた土塁が巡らされています。
平成20年10月 北斗市教育委員会
岡田文太夫
元禄9年(1696年)、伊勢(三重県)の浪士、岡田正次郎英則(後に文太夫)が3人の子どもを連れて
松前に到着しました。文太夫は弓馬の達人であったことから、松前藩から賓客の待遇を受けていたと言わ
れています。宝永2年(1705年)文太夫は東部戸切地(ヘキリチ)に居住することを松前藩に願い出て認
められます。戸切地に移ってから18年後の享保8年(1723年)に没しました。後に子どもの1人、藤七
が家督を継ぎ松前藩士となったといわれています。伝説として文太夫の「照姫・雪姫物語」があります。
清川寺本堂に位牌があります。
平成21年12月 北斗市教育委員会
薬師堂跡
戸切地陣屋登口の南側の崖下に、小さな湧き水がこんこんと流れていた。その冷水があまりにも清らか
で、打ち身を冷やし、切り傷の消毒、洗眼、腹痛など万病に効果があり、「薬師様の水」として評判が箱
館方面まで伝わり、ご利益を求める大勢の人が集まり門前市が出来たという。戸切地陣屋が出来る前の話
です。
享保14年(1729年)地元民が称名寺信徒と相談し薬師堂を再建。文政10年(1827年)坊守順教が地蔵
庵として再建。安政5年(1858年)僧法泉再建。明治7年(1875年)大破して僧赤川竜全が再建、
大正11年(1922年)、称名寺に一時引き取られ、のち禅林寺(北斗市中央2丁目)に安置されました。
その後、浄土宗から曹洞宗の清川寺となったが、山号に「薬師山」が継承されています。
平成23年3月 北斗市教育委員会