三好地区
三好八幡宮の力石
三好八幡宮の創立は寛政2年(1790年)とされていますが、史実に乏しく詳細はわかっていません。
三好地区は、安政年間(1854~60年)には、御用畑と呼ばれ御手作場と同様の官営の開墾地で箱館奉行
配下にありましたが、明治時代になって、松前藩士 尾見雄三も、この地に定着し開墾に従事したとい
われています。村民一体となって厳しい条件のもと切り開いた土地で、三好八幡宮は信仰の場として村
民の手によって維持され、現在に至っています。
現在この石は、二十までしか判読できませんが二十五貫(約94㎏)と刻まれていたといわれています。
力石は、村祭りの出し物として力自慢が集まり競ったものといわれています。
平成20年10月 北斗市教育委員会