矢不来1地区
茂辺地鮭卵ふ化場跡
明治11年(1878年)に茂辺地川の鮭から採卵したものを七重勧業試験場で試験的に実施され、翌年稚
魚がふ化しました。その翌年には北海道初の民間(酒井宮次郎等)による鮭卵ふ化社が設立されました。
当初は北海道開拓使の煉瓦石製造所跡の払い下げを受けふ化場として使用しました。明治20年以降は
100万粒の採卵になり発眼卵は東北地方や利根川流域・島根・広島県にまで広がりました。
昭和22年(1947年)から本格的にふ化事業に取り組み、24年には建物を水源地下に人工ふ化場を開き、
昭和50年頃にふ化施設建物と稚魚の養魚地を完成しました。水産庁の助成を受け、捕獲・採卵・ふ化の
一切を漁業協同組合に委託、実施されていました。
現在は、北海道より直接業務委託を受けた財団法人渡島さけ・ます増殖事業協会が捕獲・採卵からふ化
・放流までの事業を実施しています。
平成21年12月 北斗市教育委員会
開拓使茂辺地煉瓦石製造所跡
北海道開拓使は、明治5年(1872年)に開拓使唯一の茂辺地煉瓦石製造所を創設しました。原料は茂
辺地村の砂を使用し技術者と職工の22名で煉瓦と瓦を製造しました。初期製造(明治5年~9年)製品
は、品質が悪く明治9年末で操業中止。明治11年6月、東京箱崎町に開拓使物産売捌所が造られること
になり煉瓦石15万本、屋根瓦約9千枚を供給するため製造再開。東京で煉瓦石職人2名を雇入れ11月
までに約20万本の煉瓦を焼き上げました。製品は良質で東京での評判も非常に良かった。開拓使は明治
13年1月、1億本製造計画を立案したが計画も廃案となり明治14年1月には民間に払い下げられ生産は
中止となりました。
建物では函館元町公園にある旧函館支庁書籍庫や金森洋物店等が現存しています。
平成21年12月 北斗市教育委員会