当別地区
三木露風
明治22年(1889年)6月23日、兵庫県龍野市龍野町上霞城101番地に生まれる。幼名 操。後早稲田
大学、慶応大学に学ぶ。詩集「廃園」(明治42年9月刊行)によって日本詩壇で注目され、「白き手の
猟人」(大正2年9月刊行)で象徴詩界の頂点に立ちました。
大正9年5月から同13年6月までトラピスト修道院の文学講師として4年間居住し、その間大正11年
キリストの復活祭に夫人と受洗しました。
昭和39年12月21日、東京三鷹市で交通事故に遭い、同29日死去、カトリック吉祥寺教会で葬儀。
享年75才、法名穐雲院赤蛉露居士。昭和40年1月16日、勲四等瑞宝章を追贈。
※童謡「赤とんぼ」は修道院の文学講師時に作詞されました。
平成23年3月 北斗市教育委員会
当別の馬頭観音(獣魂碑)
太平洋戦争終戦後の昭和22年(1947年)、樺太から引き上げてきた5戸の家族がこの当別に入植しま
した。町から貸与された子牛を増やしながら酪農で生活し、事故や病気でたおれた家畜の霊を馬頭観音像
を建立して供養しました。昭和42年にこの開拓の地に総合施設「おしまコロニー」が創設され、施設内
でハム・ソーセージが製造されたことから、新たに獣魂碑設立発起人17名により昭和49年8月30日に
「獣魂碑」が建立され、この馬頭観音の精神が引き継がれました。
平成21年12月 北斗市教育委員会