=村章・町章・市章の由来=

 

-上磯町-

 明治12年(1879年)、有川村と戸切地村が合併して上磯村が誕生。

 明治13年(1880年)、上磯村を元村として他4村(谷好村、富川村、中野村、清川村)の戸長役場が

設置された。

 明治33年(1900年)、4村が上磯村と合併。

 大正5年(1916年)、村章(大正6年上磯町に改称し町章)制定に際し、町の形成過程の歴史と4村の

団結と発展を込めて4つの「上」という文字を菱型にデザインした、と言われている。

 昭和30年(1955年)、上磯町と茂別村が合併し、新上磯町発足。

 

旧上磯町の町章

 

-大野町-

 明治33年(1900年)7月、大野・市渡・本郷・文月・千代田・一本木の6村が統合して、新しい大野村

が誕生。従来の6村を大字とした。

 大正4年(1915年)の村議会に「見本の通り本村に因由する村章を制定する。既に公職者が衣服に用い

ている所もあるし支庁から支持もあり是非必要」と提案され、全員一致で可決した。

 大野町の町章(村章)は「大」と「の」を3文字ずつ組み合わせた大野6村統一の象徴である。

 昭和32年(1957年)、大野村が大野町となる。

 

旧大野町の町章

左が町章。右は大正4年の功労者の賞状にある制定時の村章。

 

左から昭和8年の村是、同9年の村勢要覧、戦時中に村が発行した家庭用配給物資購入通帳・要覧はなぜか「大」の字が4つある。

左から昭和8年の村是、同9年の村勢要覧、戦時中に村が発行した

家庭用配給物資購入通帳。要覧はなぜか「大」の文字が4つある。

 

-北斗市-

 

 平成16年(2004年)57日開催の第3回上磯町・大野町合併協議会で、両町が合併すると

した場合の新市名称を募る「合併新市名称公募案内(案)」を決定。

 両町の名称や「上」「磯」「大」「野」の4文字を含まないことを条件として、610日から

720日まで公募した結果、1,744人から2,342件、1,370種の名称が寄せられた。

 合併協議会は、有識者でつくる合併新市名称選考小委員会に選考を依頼し、条件に合った

1,308点の中から「青葉市」「稲海市」「渡島市」「渡南市」「北斗市」「南渡島市」の6点を

候補名称として選考した。116日の合併協議会で委員25人による投票が行われ、最初の2

で上位3つを決め、3回目の投票で「北斗市」が過半数を大きく上回って決定となった。

 

 市章は平成17年(2005年)62日に開かれた第17回合併協議会で「北斗市市章デザイン

募集要項」を決定し、上磯、大野に住んでいる人や両町にゆかりのある人、渡島管内小学生から

大学生を対象に、71日から815日の期間で募集した。その結果、254人から506点の応募

があり、両町の助役と函館近郊のデザイナー3人による市章デザイン選考小委員会が5点の候補

作品に絞り、1031日の合併協議会で投票によって、上磯町七重浜の主婦田渕美香さんの作品

に決定した。

 

北斗市の市章

北斗市の「北」と頭文字の「H」をモチーフに、青が上磯町の海、緑が大野町の大地を表し、

2つの町が躍動的に結びつくイメージを黄色で表している。また、北海道新幹線によって、

本州と北海道がつながる一番最初の市という思いが込められている。

 


[北斗市歴史年表TOP]