北斗市指定文化財(有形文化財)

彫 刻 円空作仏像

 

 円空上人は寛永9年(1632)、美濃国(現在の岐阜県)に生まれ、23歳で出家した江戸時代初期の僧で、宗

派は天台密教とされる。行基菩薩の徳風を慕って、12万体の仏像彫刻の願を起し、遊行しながら全国各地の神

社に仏像を造顕していった。その数は10万体といわれている。円空が残した仏像は円空仏と呼ばれ、道南には

今なお多くの円空仏が残されている。

 円空上人が蝦夷地に渡ったのは寛文6年(1666)、35歳の時である。記録から有珠岳、内浦岳(駒ヶ岳)に

登っていたことが知られている。内浦岳は寛永17年(1640)に噴火しており、また寛文6年は東北地方で大飢

饉があるなど、当時の社会状況は厳しかった。円空上人は自らの修行のため、蝦夷地に渡来したのであろう。

しかし、蝦夷地の惨状を目の当たりにした円空上人は衆生救済の誓願を立て、力を尽くしていった。

 木喰仏の柔和で穏やかな表情の仏に対し、円空のそれはゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な

微笑をたたえている。一刀彫という独特の彫りが作品の個性を引き立てる。北斗市指定の三体の円空仏には、

鉈仏の極意に達した充実期の作品に見られる迫力や荒々しさはなく、端正で純粋な作品に仕上がっている。

 円空物には仏像自身が持つ呪術的心霊的な宿命や廃仏毀釈などによる後生の社会事情によって、比較的保存

が損なわれているものが多い。

 

 名   称:神像 円空仏

 所 在 地:北斗市中央2丁目3-26 上磯八幡宮

 所 有 者:宗教法人上磯八幡宮 代表役員 小島正典

 指定年月日:平成18年2月1日(旧上磯町指定:昭和4011月1日)

 形   状:像高 491o、像幅 314o、像厚 149o、重量 3.12s

説明: 説明: C:\Users\PC1\Documents\北斗市の文化財\bunkazai\image\7-1.jpg 説明: 説明: C:\Users\PC1\Documents\北斗市の文化財\bunkazai\image\7-2.jpg

 上磯八幡宮の円空仏は極めて保存状態が良好で、細いスジ彫りの冴えたノミ痕を残し、初期の作風をよく

知ることができる。

 

 名   称:円空作仏像 観音像

 所 在 地:北斗市富川町294 富川八幡宮

 所 有 者:宗教法人富川八幡宮 代表役員 種田信二

 指定年月日:平成18年2月1日(旧上磯町指定:昭和55年9月1日)

 形   状:像高 439o(台座含む)、像幅 230o、像厚 117o、重量 1.97s

説明: 説明: C:\Users\PC1\Documents\北斗市の文化財\bunkazai\image\7-3.jpg 説明: 説明: C:\Users\PC1\Documents\北斗市の文化財\bunkazai\image\7-4.jpg

 富川八幡宮の円空仏の背面には墨書きで梵字が書かれており、「みそぎ」の神事の言い伝えを残している。

 

 名   称:円空作仏像 観音像

 所 在 地:北斗市茂辺地4丁目4-37 曹渓寺

 所 有 者:宗教法人曹渓寺 代表役員 佐藤圭二

 指定年月日:平成18年2月1日(旧上磯町指定:昭和55年9月1日)

 形   状:像高 514o(台座含む)、像幅 281o、像厚 115o、重量 2.65s

説明: 説明: C:\Users\PC1\Documents\北斗市の文化財\bunkazai\image\7-5.jpg 説明: 説明: C:\Users\PC1\Documents\北斗市の文化財\bunkazai\image\7-6.jpg

 茂辺地曹渓寺の円空仏は、昭和10年に道庁の史跡調査員・杉山寿栄男により発見されたもので、本道の円空

仏調査の発端となったものである。


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