北斗市指定文化財(有形文化財) 歴史資料

文月稲荷神社俳句額「正一位稲荷宮奉額」

 

 所 在 地:北斗市文月116番地 文月稲荷神社

 所 有 者:文月稲荷神社

 指定年月日:平成18年2月1日(旧大野町指定:平成16年6月22日)

 

 「正一位稲荷宮奉額」と題する俳句額は、桂の板に毛筆の変体仮名で書かれたもので、松前と箱館の俳人

58人が名を連ね、137首の俳句を詠んでいる。天保3年(1828)に、松前10代藩主・章広公が補修を命じた文

月稲荷神社の完成を祝って奉納されたものと思われる。

 俳句額は縦54p、横231pで、松前と箱館の俳人による俳句の次に「有水雨明冬嶺の三たり志願ありて宝

殿に額ささげんと我君の御題をくだし玉はるをいただき早々の芳しきを幣に取定おん神をすすめ奉らむ事を

祷りふして」と、その由来が記されている。続いて「願主 御題」として、白鳥新十郎雅武(有水)、西村

次兵衛利貞(雨明)、蛯子七左衛門榮清(冬嶺)とあり、志願者の名が記載されている。

 願主と御題の3人のうち、白鳥新十郎は代々箱館の町年寄を務め、函館市白鳥町の町名に残る人物で、蛯子

七左衛門は箱館の旧家・蛯子一族の総本家である。また、俳句額にある「如水」の俳号は箱館の町人学者で

『松前方言考』や『箱館夜話草』などを著した淡斎如水こと蛯子吉蔵であり、この人も蛯子家の一族である。

 最後の句に「棲雲居雁来」の俳号があるが、由来額の「梅窓布席」と同一人物で、伊達屋の2代目・吉田清

兵衛である。奉納由来記と願主の間に「影あふぐ世や月華のかがみ餅」と一人だけ離れて句があることから、

清兵衛が句の選者であると考えられる。清兵衛は松窓乙二の俳諧結社「斧柄社」の2世で、斧柄社が箱館と

松前にあったことから、清兵衛が句の選者であると考えられる。清兵衛は松窓乙二の俳諧結社「斧柄社」の

2世で、斧柄社が箱館と松前にあったことから、句は両地の斧柄社の人たちが詠んだものと思われる。同様の

句額は松前の徳山大神宮や龍雲院にもあり、元禄時代の芭蕉以来、広く普及した俳句が、当時の箱館や松前

でも上流階級を中心に盛んだったことがわかる。

 「船にのり稲刈る春のくきにしん」や「岡作も田さくもうみも豊のあき」など、漁業と農業を関連付けた

句も多く、豊漁や豊作を祈願した当時の暮らしや俳諧の隆盛を知る上で貴重な文化財である。

 

 江戸時代の俳諧は「前句付」という短歌の形の五七五・七七から生まれたもので、俳句額も「前句」という七七(下の句)

の御題に対し、松前と箱館の俳人が「付句」の五七五(上の句)で応じ、五七五・七七を完成させている。例を挙げると、

「また雪になる春の山風」という御題に「黄鳥のおそきも宇賀のよろ昆布」と付け、「黄鳥のおそきも宇賀のよろ昆布 また

雪になる春の山風」と詠む。

 

説明: 説明: C:\Users\PC1\Documents\北斗市の文化財\bunkazai\image\14.jpg



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