北斗市指定文化財(有形文化財) 歴史資料
文月稲荷神社社号額
「正一位文月白狐稲荷大明神」
所 在 地:北斗市文月116番地 文月稲荷神社
所 有 者:文月稲荷神社
指定年月日:平成18年2月1日(旧大野町指定:平成16年6月22日)
文月稲荷神社は勧請年不詳であるが、松前藩10代藩主・章広公(1775〜1834)が再建した。大正3年(1914)
7月編纂の『大野村史』には「由緒 勧請年記不詳天保弐年函館奉行再建ス明治九年村社ニ列ス松前藩主ノ
建築ニシテ当時藩主ヨリ献納セシ藩主自筆ノ長額ハ(長サ弐間幅弐尺)今尚ホ存ス 明治十一年山神神社
(祭神大山祇命)猿田彦神社(祭神猿田彦太神)ヲ合祀ス」とある。松前藩主は徳川幕府の直轄時代から
有珠の善光寺に将軍家の供進使として代参し、その途中の休憩所を兼ねて文月神社に参詣した。
同社の「社号額」は、章広公が文政6年(1823)、外国船の来航などを監視するため、奥州梁川移封から
復帰後、初めて東在の海辺の台場を巡覧した際、文月村で狩猟をしたところ、草木の茂みの中に祠を見つけ
て補修を命じ、大野村の旅館で書いた章広公自筆の神号である。章広公はその年の夏、臣下を京都に遣わし、
「正一位」の位を受けさせたことが同社の造営由来額「正一位稲荷宮奉額序」に記されている。
社格が正式に認定されたのは翌文政7年で、紀州紀伊国本宮の神官が松前、箱館へ渡来した形跡があり、
文月では本宮の権威ある神官に拝んでもらいたいことと、社格を認定してもらうため、神官を招いたと見
られ、文政7年4月27日付の社格認定書が同神社に残されている。
社号額は、縦72.6p、横45.8pの飾り枠付きで、紫色の彩色木製板に金色文字で、「維時文政癸未六歳
春三月朔日 正一位文月白狐稲荷大明神 東部巡覧之序於大埜邨旅館 源章広拝書」と記載され、松
前藩10代藩主・章広公の落款がある。源は、松前家の祖・武田信広が清和源氏新羅三郎義光から出ていると
いう松前家の記録による。
文月稲荷神社は、これまで3回移転改築しており、白狐稲荷と称して信者も多く、湊(旧銭亀沢村)の石
倉稲荷、江差笹山の直満稲荷(笹山稲荷)とともに、松前藩下における蝦夷地の三代稲荷として数えられた。
社号額は、松前藩と文月とのかかわりを伝える貴重な文化財である。